佐藤優の沖縄論再批判(デモ版)

朝食後(といっても昼に近いんですが…)、iPhoneでスマートニュースというニュースポータルを眺めるのが日課である。

きょうも寝っ転がりながらニュースをチェックしていたが、「ハフィントン・ポスト」(日本版)に掲載された「沖縄は本気で抵抗している」という佐藤優さんの記事がやたらと気になった。いつものように引用も多く、しつこいほど長い記事で(あまり人のことはいえないけど)、「沖縄=被害者」「日本=加害者」にこだわる持論をあらためて展開している。

ハフィントンポスト(2013年12月4日)

ハフィントン・ポスト(2013年12月4日)

ぼくは、この場合の「沖縄」は「沖縄の指導者層」(ぼくはあえて「支配階級」と呼んでいる)、「抵抗」は「自分たちの利益を最大限引き出すための政治行動」と読み替えるのが正解だと考えているが、佐藤さんは「被害者・沖縄の声を聴け」と主張するだけだ。

彼が何よりも狡猾だと思うのは、「沖縄を形式的に独立させ、日本と連邦を組ませた上で米軍の代わりに自衛隊を配置する」ことが真意なのに、それを覆い隠しながら「被害者・沖縄」に寄り添う姿勢である。佐藤さんは普天間移設問題をめぐる「沖縄の保守派の変節」(辺野古移設容認への変化)を批判するが、その裏には「米海兵隊を海外に移駐させ、沖縄の自衛隊を増強する」という彼の青写真がある(本コラムのアーカイブ「沖縄を騙しているのは佐藤優さんだ」を参照)。

これは「自衛隊の国防軍化」にも通ずる主張だが、問題なのは彼の青写真そのものではない。自分のなかに沖縄の血が流れていることを強調して「沖縄ナショナリズム」を支援する一方で、「沖縄を日本に完全に統合する」目的を果たそうとする偽善的な姿勢にある。

佐藤さんは石破幹事長をあらたなる「琉球処分官」と呼び、その植民地主義者的姿勢を糾弾するが、沖縄を独立国として扱い、国家連合を呼びかけて自衛隊を移駐させようと考える佐藤さんの主張のほうがより植民地主義的である。

沖縄の政治家は、つねに日本政府から「最大利益」を引き出すことに邁進してきた。その利益を県民に分配しなかったことは、「日本最低の県民所得」が一向に改善されない状況を見ても明らかである。安倍首相や石破幹事長に恫喝されて沖縄の政治家が「変節」したのではない。沖縄の政治家にとってこれは「予定調和」の行動なのだ。言い換えれば、まったくスケジュー ル通りである。これ以上「反日」でありつづけることに彼らの利益を見いだせなくなったということだ。

佐藤さんが沖縄の指導者と日本政府を批判し、「沖縄のこころがわかっていない」「日本による構造的沖縄差別だ」と強調すればするほど、政治的用具(既得権益)としての基地反対運動は温存され、同じことが未来永劫繰り返される。佐藤さんの思惑通り自衛隊移駐が成功したとしても、「米軍基地反対運動」は「自衛隊基地反対運動」に変質するだけである。事態は一向に解決しない。沖縄における深刻な所得格差もそのまま継続する。

「沖縄=被害者」VS「日本=加害者」という構図にこだわる限り、沖縄問題はけっして解決しない。佐藤さんの主張は、その構図を解消するのではなく、拡大再生産するだけだ。

※「デモ版」とカッコをつけましたが、今回はいわゆる「さわり」の議論です。近々、より本格的な批判を掲載する予定です。

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批評.COM  篠原章
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