佐藤優「辺野古移設は21世紀の琉球処分」の危うさ (3)

Fallacious Opinion Of Mr.Sato, Masaru On the Okinawa Problem (3)

佐藤優「辺野古移設は21世紀の琉球処分」の危うさ (2)から続き)

西南戦争は、明治政府の対琉球政策にも影響を及ぼしました。琉球は、薩摩以上に士族を抱える体制だったからです※ なぜこんなに士族が多かったのかという問題についてはあらためて考える機会を持ちたいと思います。薩摩の影響もあったかもしれません)。明治政府は「西南戦争の二の舞」を畏れたに違いありません。

琉球における士族比率はなんと約36%。64%のハルサー(農民)が36%のサムレー(士族)を養っていた計算になります。庶民(農民)のなかには琉球処分を歓迎した人たちも多数存在した、と伝えられていますが、この数字を見れば十分頷けます。

明治政府は、この士族人口を知り、次のように考えたことでしょう。

<士族の多い琉球をいたずらに刺激すれば西南戦争のような戦争に発展するかもしれない。かといって、対清(対中国)関係や対欧米関係を考えれば、琉球を日本国 の枠外に置くわけにはいかない。強力な集権体制をとらなければ、琉球は中国や欧米列強に支配されてしまうだろう。それは日本本土にとっても脅威となるにちがいない>

あれこれ悩んだ明治政府は、最終的に琉球処分官・松田道之に約500名の兵士と警察官を与えて琉球に派遣し、琉球藩を廃して沖縄県を置く政策を強行したのです。佐藤さんはこれを「琉球人のアイデンティティを踏みにじる暴挙だ」といいたいのでしょうが、正直なところ、このような「アイデンティティ」はあくまでも士族階級の特権の一部にすぎません。ハルサーにとっては「メシの種」にもならない、どうでもいい理念です。そもそも独立した国家というにはあまりにもお粗末な封建的経済システムしか知らなかった琉球の支配階級が、その支配を正当化するために「頭のなか」で構築したフィクションのようなものです。

ハルサーにとっては、19世紀に入る前後から荒廃をきわめていた琉球経済のほうがはるかに切実な問題だったのです。佐藤さんは国際秩序における日本のポジションを安定させるために 琉球のアイデンティティを顧みなかったといいますが、重税と貧困に喘ぐ民にとって、「琉球アイデンティティ」など無縁でした。「明治政府は身勝手な理屈で琉球を強引に植民地化した」というのは実に単眼的な、大衆を顧みない歴史認識です。

実際、琉球では目立った抵抗運動は起こりませんでした。西南戦争のような「流血」の事態には至らなかったのです。犠牲者ゼロです。清(中国)に助けを求めた士族はいましたが、これも大きな支持を集めませんでした。

琉球処分を悪徳と決めつける主張よりも、なぜ処分に対する大規模な抵抗運動が起こらなかったのかをを深く考えるほうが、より重要だというのがぼくの認識です。その背景に、琉球に対する「アメとムチ」政策があったことは事実です(以後、政府の沖縄政策は、現代に至るまでこの「アメとムチ」政策を踏襲します)。ムチが松田処分官の強行策だとすれば、アメは士族の俸禄廃止の先延ばしでした。今まで王朝から給与をもらっていた士族は、琉球処分を境に明治政府から給与をもらうようになり、なんとそれは1902年までつづいたのです(旧弊温存策)。いってみれば不平士族に対する懐柔策です。結果として、士族がハルサーを搾取する構造は少しも変わりばえしませんでした。明治政府は、事態が面倒になることを畏れて士族たちに妥協し、重税と貧困に喘ぐハルサーを顧みなかったのです。明治政府の琉球政策を責めるならまさにこのポイントでしょう。アイデンティティ云々よりはるかに重要な歴史的課題ではないでしょうか。ハルサーが可愛そうだといっているのではありません。士族への給与の支払いが、インフラや制度の整備を大幅に遅延させたのです。この旧弊温存策のおかげで地租改正も遅れ、この遅れが現代に至る沖縄の経済的な遅れを決定的なものにしたとぼくは考えています。

佐藤さんは、辺野古移設も沖縄人のアイデンティティを奪う政策だといいます。たとえそのようなアイデンティティが存在するとしても、それは沖縄人全体のアイデンティティではなく、沖縄の知識層のアイデンティティにすぎません。沖縄の大半の人たちは、佐藤さんのいうようなアイデンティティには関心はありませ ん。琉球処分のときとあまり変わりません。

沖縄の歴史や文化や風土に由来する独自性は尊重すべきですし、今後も育てていくべきでしょう。でも、それを「国家」や「民族」に関わるアイデンティティに直結させるのは間違いです。結局は「血」の問題に還元されてしまうからです。「血」が問題になれば、人は排他的にならざるをえません。いちばん切実な問題は、琉球処分のときと同じく「経済」にあるのに、「血」を問題にしようとする人が公論を歪め、問題解決を遅らせてしまうのです。それこそ歴史から何も学んでいないことになります。

1609 年の薩摩による琉球侵攻以来、琉球・沖縄は大国の狭間で苦しんできました。が、「大国の狭間でしたたかに生き残ってきた」ともいえるのです。失うものも大きかったでしょう。しかし、今も「生き残っている」のです。誰が琉球・沖縄を苦しめてきたのか、という問題設定も大切ですが、なぜ生き残ってきたのか、という問題設定のほうがより適切ではないでしょうか。沖縄は「生き残り術」に長けていたと思うのです。その「生き残り術」が現代に通用するかどうかは不明で すが、辺野古の問題も「なぜ生き残ってきたのか」という視点から捉える必要があると思っています。そうした視点で捉えると、沖縄の美徳も悪徳もはっきり見えてくると思います。

いずれにせよ問題の回答は「経済の領域に横たわっている」とぼくは考えています。琉球処分も辺野古移設問題も、経済的な側面から捉え直すことが何よりも重要です。

「琉球・沖縄アイデンティティ」という切り口で、辺野古の問題にアプローチする考え方は破綻します。経済史や経済実態への目配りのない佐藤優さんの沖縄論は、沖縄の人たちを追いつめるだけに終わる、とぼくは予想しています。佐藤さんの主張はfallacious、つまり人を惑わすだけだと思います。(了)

佐藤優「辺野古移設は21世紀の琉球処分」の危うさ (1)もどうぞ)
佐藤優「辺野古移設は21世紀の琉球処分」の危うさ (2)もどうぞ)

ハフィントンポスト(2013年12月7日)

ハフィントンポスト(2013年12月7日)

批評.COM  篠原章
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