白鵬の会見拒否 (2)〜横綱の複雑な胸中

Problems Involving Refusal of the Press Conference by Hakuho, the Yokozuna (2)

白鵬の会見拒否 (1)から続き)

2.白鵬の複雑な胸中

(承前) 白鵬の心中を推し量ることは難しいし、おそらく今後も、この件について白鵬自身が真相を明らかにすることはないだろうが、 白鵬は、すでに列挙した四つの理由のいずれかで会見を拒否したのかもしれない。舞の海発言を誤解したり、日馬富士コールに傷ついたりした可能性も否定はできない。だが、史上最強の力士の一人であり、誰よりも温厚で誠実で真面目な白鵬が記者会見を拒否した背景には、たんなる差別云々ではない、もっと複雑な事情が絡みあっているのではないか。

白鵬の会見拒否でぼくがまず想いだしたのは、先輩横綱・朝青龍をめぐるさまざまなトラブルである。モンゴル出身の最初の横綱であり、曙、若貴、武蔵丸の引退を受けて、ひとり横綱を三年近く務めた朝青龍の苦労は並大抵ではなかったと思う。角界を背負っているという自負がやがてある種の横暴に変わったのかもしれないが、作家の内館牧子さんに「品格がない」とまで批判されたときは、朝青龍ファンではなかったぼくも、さすがに気の毒だと思った。批判されるきっかけをつくったのは朝青龍だが、強力なライバルが育たない環境の中で、朝青龍は朝青龍なりに、横綱という重圧に堪えてきたはずである。

苦しむ先輩横綱を間近に見ていた白鵬も、また苦しんだはずだ。白鵬は、朝青龍を批判もできなければ、味方もできない立場である。愚痴一つこぼさずに土俵に専念したが、朝青龍が不幸なかたちで引退すると、今度は自分自身が、一人横綱を2年余り務める羽目になった。多くの横綱経験者がいうように、「綱の重圧」は、おそらくなったものでなければわからない。まして一人横綱である。「相撲を支えているのは俺だ」という自負さえも、彼らにとっては重圧と同義であったに違いない。

後輩が育ってくれば、危機感が募る一方で、彼らの重圧も軽減されるはずだが、その後輩が頼りなければ(今回でいえば、鶴竜がそれにあたる)、複雑な思いを抱え込んでしまうはずだ。あえて想像すれば、「やっぱり俺しかいないのか」という思いだろうか。その思いをマスコミはわかろうとしない。石で追われるがごとく土俵を去った朝青龍のときも、マスコミは彼を叩くだけで、その思いをくみ取ろうとしなかった。

白鵬の思いは、おそらく「日本人VSモンゴル人」などという簡単な対立の構図からは推し量れない。「最強の横綱なのに、正当に評価されないのは自分がモンゴル出身だからだ」という思いもあるだろうし、「日本人がふがいないのは俺の責任ではない」という思いもあるだろう。一方で真面目な白鵬は、「思ったように評価されないのはまだまだ精進が足りないからだ」と自分を責めることもあるかもしれない。いずれにせよ、誰かがその複雑な胸中を慮るべきだが、マスコミを始め、そうする者はほとんどいないのではないか。相撲協会も「スター」をつくりあげ、興業を成功させることにばかり関心が向かい、白鵬の思いに応えていないのではないか。

日本人による日本人力士の贔屓を止めることはできない。だからといって外国人力士を差別するのも間違いだ。舞の海のいうとおり、相撲もグローバリズムからは逃れられない。要は両者のバランスが求められるが、そんなことは誰でもわかっているし、わからなければいけない。ファンもまた力士も、ときに感情が噴出してマナー違反やトラブルが起こることもあるだろう。それもまた避けがたいことかもしれない。が、マナー違反やトラブルを批判するだけでは何の解決にもならない。

マスコミも相撲協会もファンも、横綱(とくに一人横綱)の孤独と重圧をもっと理解する必要があるのではないか。「排外主義」「差別」などという政治的言語での批判は、相撲に対する理解を妨げるだけで、なんの役にも立たない。それどころか、日本人力士にとっても、外国人力士にとっても、等しく百害あって一利なしである。(了)

週刊金曜日(2014年5月22日)

週刊金曜日(2014年5月22日)

批評.COM  篠原章
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