辺野古埋立の論点整理〜 もういい加減にお金の話をしようよ (2)

Now Let's Talk About Money ; Futenma's Relocation Program to Henoko

(辺野古埋立の論点整理〜 もういい加減にお金の話をしようよ (1) から続き)

【要 約】

先週(6月19日前後)、辺野古埋立に伴う補償金が、名護漁協の組合員に配分された。単純に頭割りすると1人あたり4,138万円。たしかに大金である。こうした報せに接すると「沖縄はやっぱりお金が欲しかったんだ」と沖縄批判を展開する人もいれば、「政府は札束で沖縄の心を買った」と政府批判を展開する人もいる。どちらの批判にも一理あるが、問題の本質を捉えた批判とは言い難い。復帰以来42年。その間につぎこまれた沖縄振興資金は11兆円に上る。が、そのお金が沖縄に何をもたらし、何を失わせたのか、実は誰もわかっていない。沖縄をめぐるお金の問題を真剣に考えた人もほとんどいない。「お金か心か」の選択肢の問題として論じられることはあるが、お金の実態を知らないのに、お金と心を比較すること自体がナンセンスだ。メディアも識者も、お金の問題に無頓着す ぎる。沖縄問題を解決する糸口は、お金の問題を正面から見つめ直すことにある、とぼくは思う。「基地依存・補助金依存の沖縄経済」「公務員優位の貧困社会」という沖縄経済社会の実態をクールに捉えることから、やり直そうじゃないか(全2回)。



辺野古移設は政府によるゴリ押しか

メディアでは「政府が強引に名護市に基地を押しつけてきた」という見方が主流だが、これもまた正しくはない。沖縄県の元知事・稲嶺恵一さん(1998年〜 2006年在任)、名護市の元市長・故岸本建男さん(1998年〜2006年)、同じく元市長の島袋吉和さん(2006年〜2010年)は、普天間代替施設の受け入れを表明して、施設の位置や形状の提案にも積極的にコミットしてきた。

沿岸埋め立てを伴う現在のV字型滑走路案が採用されるに至るまで、地元の土建業者である東開発と屋部土建が激しく対立し、政治家や役人も巻きこんで利権争いを演じてきたことも、地元では広く知られている。名護市が受け入れ拒否の姿勢を明確にしたのは、元首相・鳩山由紀夫さんの「最低でも県外」(2009年7月)という発言を経て、現在の稲嶺進市長が当選した2010年1月以降のことである(ただし、1997年12月21日に行われた住民投票では、反対票が賛成票を上回っていたが、首長まで反対の意思表示を明確にしたのは稲嶺さんが最初である)。日本の米軍基地の約7割(専用面積比)が沖縄に集中している以上、「政府が辺野古移設をゴリ押ししている」という見方が説得力を持つのもやむをえない面があるが、経緯は正しく捉える必要がある。

辺野古テント村とは何か

辺野古漁港の一角には、反対派の拠点となっているヘリ基地反対協議会のテント村がある。同協議会の共同代表・安次富浩さんなどの活動家が運営にあたり、抗議行動の一環として行われている座り込みもここでオペレーションしている。座り込みや海上デモなどの抗議行動には全国各地から参加者があるが、主体は労組、社民党・共産党の関係者や支持者である。「テント村の活動家に辺野古区の住民はいない」といわれることもあるが、多くは区外(本土も含む)からの支援者であるにしても、区民の中にも協力者はいる。ただし、辺野古区は、再三にわたり名護市に対してテント村の撤去を要請している。海岸法などの法令に違反している、と主張する人もいるが、市や警察のレベルで問題となったことはない。実際、法令違反の要件を満たすかどうかは微妙である。

基地からもたらされる実利

辺野古区で興味深いのは、行政区の長に相当する区長職が有給だという点である。行政区とは字単位で設けられているある種の自治組織で、地方自治法上は「認可地縁団体」に類推される。本土では自治会・町内会といった組織がこれに当たるが、沖縄の行政区は、一般に自治会・町内会よりも多くの機能を持ち、独自財源や市町村からの委託料を得て、行政の一部を補助するような役割がある。沖縄以外にはほとんど見あたらない独自の組織である。

沖縄本島中北部の行政区では「区長有給」が一般的だが、多くは米軍基地との軍用地契約のある行政区である。自治体に入った軍用地料の一部が「分収金」として行政区に分配され、その分配金から給与が支払われている。名護市の場合、市から行政区に支払われる行政事務委託料や区民から集めた会費が給与に充てられているケースもある。辺野古区長の給与は不明だが、沖縄県中北部には年収300万程度の区長もいれば、1,000万円程度の区長もいるという。公務員ではないので、区長給与は各区の裁量に委ねられており、地方自治法の認可地縁団体の項にも給与に関する規定はない。もちろん、情報公開も行われていない。

こうした行政区では、運動会や祭など区が主催する年中行事の原資も多くは分収金であり、なかには余剰の分収金を住民の間で分配しているところもあるという。米軍基地の存在が地域住民や地域に「実利」をもたらしている、ということだ。被害もあれば実利もある、というのが現場の実態である。

辺野古区では、基地受け入れ条件として、1戸あたり1億5千万円の補償金の支払いを要求したこともある。「実利と引き換えに基地を受け入れる」という姿勢がはっきり現れている地域でもあり、「名護市の総意は移設反対」とか「政府による辺野古移設のゴリ押し」といった一面的な見方で、本質は見えてこない。名護漁協が受け取った補償金の問題も同根である。

深刻な基地被害に苦しむ地域もあるから、どこも辺野古と同じだと考えるのは早計だが、被害は実利によって補償されると考える人々も少なくない。

基地に隣接する地域に長く住むある知人は、

「米軍基地の存在は人権やアイデンティティを踏みにじるという住民もいる。確かに60年代までは米軍に蹂躙されていると感じたが、復帰以降は次第に持ちつ持たれつの共生関係に移行してきたと思う」

「県は<もはや米軍依存経済ではない>というが、中北部の観光資源の乏しい地域では、米軍の消費や米軍駐留に伴う政府からの補助金がなければ生きていけない」

と語る。

実はお金の問題は、これからが本番である。辺野古新滑走路の工事費は少なくとも3,000億円といわれている。普天間からの移転費用、普天間跡地の整備費用 なども考えれば、辺野古移設関連の経費は4,000~5,000億円にのぼるだろう。漁業補償金や分収金などもはや微々たる問題である。これとは別に、大規模 な埋立を伴う那覇空港拡張工事にも2,000億円を超える公費がつぎこまれる。

辺野古と違って那覇空港拡張は必要な公共事業だといわれるが、那覇空港は自衛隊機と民間機が共用する軍民共用空港である。共用による混雑解消が拡張の大きな目的だから、安保・基地関連の事業のひとつに数えることもできる。また、メディアでは辺野古埋立による環境破壊だけが大きく取り上げられているが、 WWF(世界自然保護基金)ジャパンなどは、辺野古埋立と同様、那覇空港埋立も取り返しのつかない環境破壊だと問題視している。

基地・安保関連の大型公共事業や基地の受け入れと引き換えに与えられる補助金に依存する沖縄経済。その財源の大半は国民の税金である。復帰以降、11兆円の振興資金をつぎこんでもなお、沖縄からは「まだ足りない」という声が聞こえてくる。本土の納税者が「それは沖縄のわがままだ」と大声でいわないのは、沖縄に米軍基地が偏在している事実を知っているからだ。「だったら、本土で米軍基地を引き受ければ問題は解決するじゃないか」と基地反対派は繰り返し主張す るが、沖縄から本土などへ基地を移転することができないのは、「本土が嫌がっているから」だけではない。すでに見てきたように、沖縄の側にも、基地があることでもたらされる実利を失いたくない、という動機から事実上基地の県外移転を阻みたい勢力が存在するのである。

基地反対運動も、そこに参加する人びとの個人的な意思とは関わりなく、基地から実利を引き出そうとする勢力に加担している。メディアが基地反対運動を大きく取り上げれば取り上げるほど政府に圧力がかかり、「沖縄振興」「基地対策」という名目でより多くの資金が注ぎこまれる仕組みになっているからだ。

政府も沖縄もこうした「基地とお金の関係」をひた覆ししようとするが、「基地とお金の関係」を正しく認識しない限り、基地問題はけっして解決しない。

11兆円という振興資金が沖縄をどう変えたか、沖縄が何を得て何を失ったのか、誰も本格的に検証してこなかったことも、沖縄問題が解消されない一因なっている。今すぐ振興資金を止めて、自立の道を探せなどといっているのではない。「もういい加減にお金のことをきちんと語ろうよ」といいたいのである。

お金の話から見えてくる沖縄問題の出口

ぼく個人は普天間基地の辺野古移設は税金の壮大な無駄遣いだと思っている。アジア太平洋地域における米軍再編の方向性を見れば、沖縄における海兵隊のプレゼンスは、それほど重大な意味を持たなくなりつつある。遅かれ早かれ、沖縄の海兵隊は縮小される。それは既定の方針だ。

オバマ政権ははっきりいわないが、アメリカは「世界の警察官」を降りたがっている。シリアにもイラクにも介入しないのは、一般的なアメリカ国民が他国民のために命を失いたくないと考え始めているからだ。安倍政権が集団的自衛権や憲法改正にこだわるのは、安倍政権が好戦的だからではない。アメリカの側のこうした思潮の変化を警戒しているからだ。日米同盟は、米国の軍事力に依存する体制から、日本側の負担を増やすことで両国の負担のバランスを取る体制に変質しつつある。こうした状況の中で、領土防衛ではなく外征を主任務とするアメリカ海兵隊が沖縄に駐留することにどれほどの意義があるかは推して知るべし、といったところだ。

以上のような背景から、辺野古に新設される滑走路は壮大な税金の無駄遣いになるとぼくは考えている。もちろん、完成すれば海兵隊も使うだろうが、利用頻度は予想より小さくなるだろう。基地としての利用頻度が減って民間空港に転用したくとも、辺野古の滑走路はわずか1,200メートル。日本の航空会社が導入する最小クラスのジェット旅客機であるボンバルディアCRJやエンブラエルE170ですら離着陸できない。離着陸可能なのはセスナ・クラスのプロペラ機やヘリのみ。しかも、海上滑走路なので、滑走路本体だけではなく機体や整備機器のメンテナンスも酷い塩害に悩まされ、莫大なコストがかかる。2本の滑走路がV 字型に組まれるが、こんな滑走路が2本あっても民間空港としての役割は限定される。

埋立・建設自体は、多額の資金が投入されるため、工事期間中とその直後は沖縄の景気にとってプラス要因になる。が、軍事施設である以上、施設からあらたな る付加価値が生みだされるわけではない。わずかばかりの海兵隊の消費と政府からの補助金に頼るほかない。まして海兵隊が縮小されればジリ貧である。海兵隊 が縮小されれば、自衛隊の代替的な移駐も選択肢となるが、それでも補助金頼みという構造に変化が生まれるわけではない。自衛隊には外征部隊が存在しないのだから、辺野古の施設を使いこなせるかどうかという問題も生ずる。そうなれば、辺野古基地の安保上の位置づけも再検討せざるをえない。

八方塞がりになれば、あらたなる公共事業が次々起案されるだろうが、同じことの繰り返しにすぎない。沖縄の経済社会構造には手がつかないまま、事態はループ状に永続するだけだ。

「辺野古移設問題」は、たんに安保や平和の問題ではない。政治の問題ですらないかもしれない。辺野古移設には、経済問題あるいは財政問題としての沖縄問題、つまりお金の問題が凝縮していると見るべきだ。

最終的な当事者は、財源となる税金を支払う納税者全体、そしてそれを受け取る沖縄県民だが、両者ともに当事者意識はない。お金の問題に蓋が被せられているから、当事者意識を持ちようがないのである。

メディアも識者も、沖縄をめぐるお金の話に無頓着すぎる。「最後は金目の話」といった石原伸晃環境大臣を擁護するつもりはないが、問題の本質と打開策はお金の話から見えてくる、といったら言い過ぎだろうか(了)。

辺野古 (飛行場施設の位置・形状)

辺野古 (飛行場施設の位置・形状)

批評.COM  篠原章
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