サイパン追悼

A Tribute to the War Dead of the Battle of Saipan 1944

「戦争の記憶」を持たないぼくたちは、いったい戦争にどのように対処したらいいのか。模範解答は「平和を願い、そしてそのために行動すること」だろうが、多くの人びとは、平和を願うことはあっても、行動することは稀だ。

平和憲法を維持することが平和への道だという考え方に理があることは否定しない。が、「平和憲法のおかげで自衛隊員が戦闘で1人も亡くならなかった。日本は平和憲法を誇りに思うべきだ」というようなロジックには首をかしげる。それはたんなる僥倖であり、必ずしも誇れることではない。「日本の平和」のために世界が払ってきた代価も、ぼくたちの想像を絶する大きさだ。日本の平和が、「日本人」の努力だけで維持されていると考えるのは傲慢ですらある。

いまできることのひとつは、戦争の歴史をぼくたちの記憶にとどめることだ。

ところが驚いたことに、あれだけの戦争を経験してきた日本なのに、戦争の歴史を記憶にとどめるシステムが欠落している。試しに「日本の戦没者数」をネットで検索してみるといい。Wikipediaには262万人〜312万人という数字が出ている。誤差が50万人分もあるが、詳細はない。日本政府の公式の記録は310万人だが、この数字も苦労して探さなければ見つからない。戦没者のデータがこの体たらくだから、戦傷者に関するデータなど探すだけ無駄である。

平和を願う気持ちが国民的なものなら、戦争犠牲者あるいは戦争被害に関するデータを蓄積する機関やサイトがあって当然と思うが、そんなものは政府にもなければ民間にもない。戦争のダメージを客観的に評価する必要などないということなのだろうか。むろん、政府機関や研究者はデータを持っているはずだが、この種のデータは一般に公開しない限りなんの意味もない。

こんなことを書いたのも、昨日7月9日が、サイパンにおける日米の戦いが終息してちょうど70年というメモリアルな日だったからだ。サイパンでいったいどのくらいの犠牲者が出たのか、調べるだけで数時間費やしてしまった。数字はあちこちに出てはいるが、なにが公式なのかさっぱりわからない。あれこれ調べ、あれこれ考えて、いちおうの数字は得たが、どの程度の客観性があるかは、正直、判定できない。

怒ってばかりいてもしょうがない。テーマはサイパンでの戦いである。

サイパンでの戦闘は、沖縄戦同様苛烈をきわめた戦闘で、多数の民間人が亡くなったことで知られている。前年の1943年8月の時点での日本国籍者(朝鮮人を含む)の人口は29,348人。戦闘前に民間人を島から疎開させる措置がとられたが、疎開船が米潜水艦の攻撃を受けるなど、戦闘前の段階で3,000人を超える民間人の人命が失われ、島内での戦闘では12,000人がなくなったといわれている(厚労省援護局推計)。Wikipediaはアメリカ側の数字を引用して、民間人死者のうち5,000人が、バンザイクリフでの投身自殺など自ら命を絶ったものだと伝えているが、大半は戦闘、マラリア、デング熱、栄養失調などで亡くなったと考えたほうが実態に近いだろう。

サイパンの戦闘での軍人軍属の戦死者・戦病死者は43,000人(厚労省援護局推計)。米軍が上陸した時点での日本軍の兵力と同数だから文字どおり「全滅」(玉砕)である。ただし、米軍の記録では日本兵921名が捕虜になっている。生存率はわずかに2%だ。

最終的に軍人軍属+民間人の戦没者は、疎開船での犠牲者を除き合計で55,000人ということになる。いわゆる南洋諸島では最大の犠牲者数だ。厚労省によれば、第2次世界大戦下の民間人(日本人)の死者数がほぼ確定できているのはこのサイパンだけである。

九死に一生を得て米軍に「保護」された民間人(非戦闘員)は14,948人。うちわけは日本人10,424人・朝鮮人1,300人・チャモロ人2,350人・カナカ人875人となっている(米軍の記録)。ただし、米軍に収容された後に栄養失調や病で亡くなった人も多数いるが、詳細はよくわからない。

米軍側の投入兵力は9万人。うち戦死者3,426人。負傷者103,064人だから犠牲者の数では日本軍と比ぶべくもないが、真珠湾、沖縄、硫黄島などと並んで米国人の記憶にもっとも刻みつけられた戦闘のひとつだった。

サイパンでの戦闘を扱った映画では、ジョン・ウー監督、ニコラス・ケイジ主演の『ウィンドトーカーズ』(2002年)がある。大作だが、結果的に大赤字を出した映画なのであまり知られていない。ジョン・ウー作品のなかでは駄作の部類だが、現存する記録映像をもとに演出された戦闘シーンの悲惨さはかなりリアルだ。

2011年に公開された、平山秀幸監督、竹野内豊主演の日本映画『太平洋の奇跡 〜フォックスと呼ばれた男〜』もサイパンでの戦いがテーマだ。この作品は、戦闘終了後も山中にこもり1年半にわたってゲリラ的な戦いをつづけた大場栄陸軍大尉とその部下、そして行動を共にした民間人の実話がもとになっている。

軍人としての大場栄大尉の行動は米軍にも賞賛されたというが、大場大尉は、配下の憲兵に民間人を装わせて日本人収容施設に送りこみ、施設内で「反米工作」を行わせてもいる。憲兵は沖縄出身の18歳の若者・新垣三郎を扇動し、米国人と親しい日本人少年を殺害させるという事件まで起こしている。

殺人者となった新垣は大場部隊投降時に捉えられ、戦犯として死刑判決を受ける羽目になったが、ハワイの刑務所でクリスチャンとなって減刑され、出所後にセブンスデーアドベンチスト教会の牧師として日米で活躍した。

新垣牧師の数奇な運命はテレビでドキュメンタリー化され、『地獄の虹〜新垣三郎 死刑囚から牧師に』(著者:毛利恒之/毎日新聞社/1998年)という本にもまとめられている(2005年に講談社が文庫化)。その新垣牧師が今年4月始めに沖縄市で亡くなられたことを最近になって知った(享年88)。ご冥福を祈りたい。

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毎年夏になると、沖縄、広島、長崎の犠牲者の冥福は祈られるが、サイパンを始め他の地域で亡くなられた人たちのことは忘れられがちである。内外での戦争体験者も次々に亡くなられている。

戦争の記憶は、政治的立場を超えて語り継がれていく必要があると思うが、実のところ正確な死者数すらわかっていないし、海外戦没者240万人のうち113 万柱を超える遺骨もまだ見つかっていない。戦争に関するデータを整え、それを知ることがぼくたちにとってほんとうに大切な「平和学習」のはずだが、まだまだ道のりは遠い。幸いにして、サイパンについては米軍の撮った記録映像が整っている。進んでみたくなるものではないが、こうした映像ときちんと向き合うことが、犠牲者の方々に敬意を表し、せめてもの哀悼の意を示すことだとぼくは思っている。戦争の記憶を継承することこそ、平和の出発点だと思う。

Saipan

批評.COM  篠原章
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