【特集: はっぴいえんど】サエキけんぞう×篠原章対談 第6回(最終回)

Saeki Kenzo & Shinohara Akira ; Talk About Happy End, the Japanese Most Legendary Rock Band Vol.6

サエキけんぞう×篠原章対談 第5回からつづき

特集: はっぴいえんど

サエキけんぞう×篠原章対談 第6回(最終回)

サエキ×篠原、はっぴいえんど対談第6回(最終回)。
ここで話題になってるのは、1970年初頭当時、はっぴいえんどが世間的には話題になってないし、傑作『風街ろまん』は実は批評家の人達にもそれほど評価されてなかったという凄い現実。※1枚目の写真は、当時はっぴいえんどと親しい交流のあった写真家、野上眞宏さんがとられた1970年当時の電車車内。

1970年当時の電車車内(写真家 野上眞宏さん撮影)

1970年当時の電車車内(写真家 野上眞宏さん撮影)

 

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それが今の状況になってるということは、いかにロング・アンド・ワインディング・ロードを突き抜け、今があるか?ということで、それ以降に、それだけの継続され た取り組みがあったということです。その辺の見えない闘いについては、『レコード・コレクターズ』2015年4月号「大滝詠一特集」のサエキ原稿で少し触れましたが、未完ではあります。そこでわかることは、これからの未来、新しくまた作れるってこと!頑張りましょう!

今だから見えてくる、はっぴいえんどの現代的意義

“はっぴいえんど”という謎に挑んだながいなが〜い対談も今回で最終回。最後は、はっぴいえんどが、今を生きるボクたちにとってどんな意義を持つのかを探ります。ご愛読いただき、ありがとうございました。

篠原章
「表現者としてのはっぴいえんどは、意外にも的確に評価されていないんじゃないか、というのがぼくの問題意識なんですよ。人は反省も回顧も評価もしないんです。これ、世の常…。」

サエキけんぞう
「ロック・ビジネスみたいのは、まるで軽んじられていて、まるで無から有が生じるように、凄いものを創るべきみたいな、口調だった、それが当時の風潮。」

篠原
「レコード会社の幹部になった人たちの意識もそんな感じだった。ビートルズに追いつけ追い越せ的な発想しかないでしょう。」

サエキ
「正直、もしタイムマシンがあって、当時に行けるなら、1971年のジャーナリズムなんて、もうすべて無視していいから、未来に託してくれと、はっぴいえんどのような行き場のない表現者達をみんな、応援したくなる。現場はやばかった。そういう土壌から発進できたところが、はっぴいえんどの凄み。」

篠原
「85年のはっぴいえんど再結成の音を聴くと、安心しますよ。なにかいい意味で安定がある。それはビジネス的成功が土台にあるんですけどね。あ、ここまできたな、っていう感じ。大瀧さんも凄くいいボーカルでした。」

サエキ
「YMO、『ロンバケ』、歌謡曲でのヒット、80年代前半は凄まじい飛躍ですね」

A LONG VACATION(大滝詠一)

A LONG VACATION(大滝詠一)

篠原
「その背景に、まさに死闘に近いやりとりが60年代末から数年間あったということ。歴史の1ページに過ぎないんだけど。大事な1ページ。僕はまだあの時代の気分を共有したいと思ってます。たしかに暗いところがある時代だけど、なんだか力が湧いてくる。」

サエキ
「無から有が生じてきた瞬間。章氏のいうとおり、ボックスの<風をあつめて><夏なんです>の前段階バージョン聴いてると、ムクムクと進化していく凄みを感じる」

篠原
「あれは生半可じゃ出来ません。今回のあがたさん新作『浦島64』(窪田晴男サウンド・プロデュース)で、また勇気づけられたと思いますね。まだやることあるかもしれないって(笑)。窪田さんの音は80年代なんだけど、それもまた勇気づけられる(笑)。」

浦島64(あがた森魚)

浦島64(あがた森魚)

 

サエキ
「良かったです『浦島64』。窪田氏は、もうなにもかも、世代も地域も音楽背景も、あがたさんと違うので、そこがタッグとして超面白い。」

篠原
「あがたさんは、何より自己表現を大事にしますからね。そのために細かいライブを何本もやり、アルバムも毎年出している。だからレア感がないんだけど、表現者としての覚悟はものすごいと思います。それは70年の頃とあまり変わらないと思います。鈴木博文さんの新作も『後がない』っていうんだけど、これも表現者としての覚悟がありますね。売れる売れないで言えば売れないんでしょうけど。やり残しがないように、っていう意識がある。そのサウンドは超精密です。 細野さんも何年か前からその境地でしょう。僕はやり残しだらけ。はっぴいえんどにすら決着がつけられない(笑)。」

サエキ
「それぞれに、60年代末から生きている覚悟を背負われてますね。章氏みたいに受けとめるのは、大きな所業なんだと思います。表現のポイントになる幻惑の頂点は、やはり“1970年前後の気分”でしょうか?僕にはやっぱりミステリアス。その暗さの質感は、ナゾに終わりがない。なぜなら、それは今の若者には失われたものだから。おそらく日本人が失った大事な心性。はっぴいえんどは、70年代に離陸しましたけど、その胎内に、あの60年代末を内包している。それは原石のような、人間のほとばしる情念なのです。それにしてもホントに生きていくのは大変ですね。」

篠原
「まあ、今さらあらためていうことでもないんですけど、たいへんですよ。“それに”というべきか、“だからこそ”というべきか、一人じゃ生きられないし。シガラミから自由になるどころか、年老いてもまだまだ泥沼(笑)。」

対談を終えて

サエキけんぞう
何だ、全然音楽の話しないじゃん?と思われた方もいると思いますが、はっぴいえんどを理解するのに、背景なしでは語れません。しかし、そのややこしいことといったら。
なお、はっぴいえんど『ゆでめん』の音楽性を理解したければ、『レコード・コレクターズ』2015年1月号、はっぴいえんど特集の小倉エージさんの原稿にある曲を全部聴かれて下さい。YOUTUBEにだいたい上がっているので簡単です。目からウロコ間違いなし。このアルバムは実は大滝詠一さん『ロング・ ヴァケイション』そのままといってもいい音造りがなされているようです。
ぜひ、まとめてお読みください。
https://www.facebook.com/kenzosaeki

篠原章
はっぴいえんどに初めて出会った13才の時の衝撃がとても大きかったことは確かですが、それが50歳を過ぎ、還暦にならんとするこの歳まで、自分のモノの考え方の、まさにコアの部分を占めるようになるとは思いもよりませんでした。
けんぞう氏とは、10代の前半から“同志”みたいな関係なんですが、それはやはりはっぴいえんどから受けた影響を見つめ直し、そこから脱却しようと苦闘しつづけているという意味においての同志なのです。
対談中でも発言しましたが、“はっぴいえんど”のような影響力の大きかったサブカルチャーを、歴史のなかに位置づけるための評価軸みたいなものがまだ不完全な状態で、それゆえ、けんぞう氏も取り上げた『レコード・コレクターズ』2015年1月号での小倉エージさんの原稿などは、さまざまな意味でとても重要な記録だと思います。過大評価でも過小評価でもなく、はっぴいえんどというバンドを歴史のなかに正しい姿で甦らせる作業は、今後もまだまだつづくのではないか、と思います。
https://hi-hyou.com/

サエキけんぞう×篠原章対談 全6回(了)

全6回

サエキけんぞう×篠原章対談 第1回
サエキけんぞう×篠原章対談 第2回
サエキけんぞう×篠原章対談 第3回
サエキけんぞう×篠原章対談 第4回
サエキけんぞう×篠原章対談 第5回
サエキけんぞう×篠原章対談 第6回(最終回)

サエキけんぞう(左)×篠原章(右)

サエキけんぞう(左)×篠原章(右)

 

 

 

 

 

 

 

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