南島慕情 屋久島篇(1)

プロローグ

そもそも縄文杉などハイキング気分でオーケーと聴いていたのである。往復8時間という話だったが、「還暦をすぎた年輩者が平気で往復しているんですから、先生、心配ありませんよ」というJTB担当者の弁を、半分ぐらいは信じてしまっていた。それでもまだかなり不安ではあった。でなければ、8月末、NHKの生番組の楽屋で安藤忠夫さんと名嘉睦稔が楽しそうに話している席に割り込んで、「縄文杉はご覧になりましたか?」と無礼にも切り出したりはしないのである。縄文杉を見たことのある睦稔は「大丈夫さぁー、シノハラさん」というのだが、睦稔は原ウチナーンチュ・原ウミンチュともいえそうなあのがっちりとした体躯、あまりアテにはならない。

鹿児島入り

9月4日、午後の便で鹿児島に入った。鹿児島も初物である。空港バスで市内に向かう。宿舎は東急ホテルだが、地図がほとんど頭に入っていない。どこで降りようかと迷っているうちに終点の西鹿児島に到着してし まった。駅前に陣取る日本生命ビルの一階にあるといえば聞こえはいいが、南国交通のバスセンター(バスターミナル)はどこぞの離島桟橋のような雰囲気で、南国特有のだらだら感がある。居合わせた客も守衛もみんな年寄りばかりだ。温度計は36度を指している。南国そのもの、9月だというのに真夏だ。ターミナルに置かれている木製の、ペンキの剥げかけた“しょぼくれベンチ”に座って地図を開く。路線バスもあるようだが、錦江湾沿い、鴨池という場所にある東急ホテルまではどうやらタクシーで行くのがよき選択らしい。ひょっとしたら路面電車でいけるのではと期待していたのだが、それは甘い見込みだった。

駅前の商店街で買い出しする。商店街の入り口にある鹿児島特産品を売る店が、まるで沖縄の田舎町にある市場のような趣。手作りの木製の台に売り物の果物や野菜がだらしなく置かれている。商店街のなかで見つけた、いかにも地方都市らしい“総合衣料品店”で登山用のウォーキング・パンツと雨合羽を調達する。レジのおばちゃんのイントネーションはまるでウチナー、こんなことでけっこう安心してしまうものだ。ずいぶん沖縄に毒されている。縄文杉登山に備えて、できれば安めの登山靴もと思っていたのだが、荷物になりそうなので断念。

タクシーで東急ホテルへと向かう。車中、運転手に「昔な がらの街並みがそのまま残っているような飲屋街ありませんかねえ」と訊ねると、「要するに汚い飲屋街ってことですよね」と苦笑しながら、易居町(やすいちょう)、小川町などといった旧色街らしき土地の名を挙げてくれた。

「サラリーマンになったばかりの若い頃、先輩に易居町に 連れられてったとです。真っ暗闇でどの店もやっとらんと思ってたら、先輩が大声をあげたとですよ。“きたぞー”って。したら一軒また一軒と灯りが点る。警察の手入れをおそれて、営業していないように装っていたんじゃあないでしょうかね。あれにはびっくりしましたよ」

朽ちかけた二階家の暗闇のなか、まんじりともせず客待ちしている女たちの姿が頭に浮かんだ。なかなか凄まじい光景である。

鹿児島東急ホテルは、桜島や錦江湾を見渡せる素晴らしいロケーションにあったが、県庁などの官公庁に近い埋立地なので、街としてはまったくの新造といっていい。色気も素っ気もない。部屋にはプールや温泉ジャグジーを利用するためのブルーのゴム草履が備えつけてあった。いろいろなホテルに泊まったが、ゴム草履付きの部屋は初めてである。なかなかいいアイデアだ。もっともこのゴム草履を利用する時間はなかった。

午後7時、ロビーで同僚のD教授、学生たちと合流して夕食。今回の屋久島行きは学生たちの研修旅行の付き添いなのだ。焼酎がやたらとうまい。が、書き物があるのでほどほどにせざるをえなかった。最近は泡盛や焼酎がやたらと愛おしい。ふだん、晩酌も寝酒も縁はないが、たまらなく飲みたくなることがある。この歳になって酒にだらしない人格になったらどうしようという不安がよぎる。

翌朝は6時過ぎに起床。朝の錦江湾がこれもまた素晴らしい。勇壮・雄大な眺めである。人口55万を超えるという鹿児島だが、街並みも悪くない。実はもう少し貧しい土地柄を予想していたのだが、さすが島津の城下町である。歴史の蓄積の大切さを思い知る。その蓄積を誇りに思う心も大切である。尊ぶべき歴史をもたない土地は、悲しい。

宮之浦へ

種子島・屋久島に向かう高速船はトッピーという。トビウオを種子島の言葉でそう呼ぶらしい。船は時速80キロという猛スピードで種子島に向かうが、海は静かで乗り心地もいい。広い錦江湾を抜ける前、指宿の遠景を眺めながら微睡んでしまった。気がついたら種子島は西之表港。これが種子島か思うとちょっとした感慨がある。なんといっても鉄砲伝来の島、ロケットの島なのだから。

トッピーなら種子島を経由して屋久島まで二時間あまり。在来のフェリーだと四時間はかかるらしい。遠目にも“山の島”とわかる屋久島だったが、入港したのは安房(あんぼう/屋久町)の港だった。この島には宮之浦(上屋久町)と安房という二つの港があるが、用があるのは宮之浦、にもかかわらず情報不足で安房に着いてしまった。“あさいち”のトッピーなら宮之浦 だったのだが、今となってはすっかり手遅れである。

摂氏35度前後はあるだろう港のバス停の前で、ジリジリと日射しに焼かれながら路線バスを待つ。宮之浦方面に向かう“いわさきコーポレーション屋久島交通”のバスに乗り込み、海沿いの道を40分ほどかけて宮之 浦に向かう。右手の車窓には海辺の風景が広がっている。左手には“そびえ立つ”というとちょっと大げさだが、海抜千メートルを越える山が途切れることなく連なっている。

宮之浦の上屋久町役場前で下車し、役場に向かう。昼食がまだだったので、ヒアリングを後回しにして、役場の人に教えてもらった“食堂街”を探す。役場のある一帯がこの街の中心なのだろうが、大阪市(221.3 キロ平米)の二倍強の面積(504キロ平米)に人口わずか一万三千余という“巨大な小島”だから、歩く人も通る車もまばらである。何軒かの店をあたるが、午後2時に近く、休憩時間だと断る店もあって昼食場所探しに難渋。なんとかわれら9名を歓迎してくれたのは中華料理中心の“あじさい”。「首折れ鯖のすきやき」が名物らしいが、要予約とのこと。うーむ、そそられる。それぞれが麺類などを食して役場へ戻ったら3時近くだった。

島の現況や自然環境について一通りのレクチャーを受けたら5時前。徒歩で宿舎のシーサイドホテル屋久島に向かう。明日のことを考えるとちょっと憂鬱。登山らしい登山はシノハラ15才の時の大菩薩峠が最後だ。3月に西表でトレッキングの真似事をしているが、それとても往復三時間ほど。往復八時間超の縄文杉となると否が応でも緊張感は高まる。「みんなの足手まといにならなければいいんですが…」

ぼくよりも年長、大阪市立大学を定年で辞められ、わが大東大に来られたD教授も同じ気持ちらしい。引率教員が学生に引率されるような事態になってはお話にならない。

yakushima

 

批評.COM  篠原章
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