移設拒否の論理(2)非合理で曖昧な「沖縄の心」と「過剰な基地負担」

Consideration About Grounds for "No More U.S.Base In Okinawa" Vol.2 ; Though Henoko People Accept Relocation of U.S.Marine Corps Base, Why Do You Say "Okinawa Is Against Relocation of the Base"?

【全2回のうちの第2回】
移設拒否の論理(1)「辺野古の民意は移設容認」なのに「沖縄の民意は移設反対」の矛盾から続き

 

前回のコラムでは、「地元・辺野古では移設容認なのに、名護市と沖縄県では移設反対」という「民意のねじれ」について触れ、全市的・全県的「民意」を根拠に辺野古移設に反対するのには大きな問題があると指摘した。最大の問題が、基地が周辺地域にもたらす物理的な基地負担(危険の負担)であるとするなら、辺野古区とその周辺区が移設を容認している以上、民意のマジョリティ(沖縄県や名護市の民意)に正当性を見いだすことは難しい。辺野古代替施設(滑走路)は巨大だから、辺野古周辺の民意よりも、もっと広域な名護市の民意を尊重すべきだという主張もありうるが、現実的な基地負担という観点からいえば、人口の集中する名護市西部(東シナ海寄りの一帯)に影響が及ぶことはない。

このように指摘すると、「移設の是非を問う民意ではなく平和を願う民意が問題なのだ」という声が帰ってくるだろう。「沖縄はつねに戦に巻きこまれ、多くの命を失い、人心は深く傷ついてきた。今も米軍基地は人殺しの拠点であり、騒音や米兵の暴力、軍用機の墜落など、県民の心身の安全も脅かしている。基地をこれ以上沖縄に押しつけるのは、平和を願う県民の心情を無視するものだ」といった主張である。歴史認識と現状認識が混成された移設反対論だ。この場合は、基地のもたらす物理的な基地負担のありようよりも、米軍基地そのものの不当性が問題視されることになる。

「平和を願う沖縄の心に反する」という主張は美しい。美しいが、精査しなければ正当性があるかどうかわからない。この主張は、「平和と米軍基地は両立しない。よって沖縄は米軍基地を拒絶する」という従来から唱えられているクラシックな基地反対論と同じだ。日米同盟に対する懐疑が含まれている。平和を願う沖縄の心が米軍基地の存在を許さないなら、米軍基地に出ていってもらうほかない。「沖縄の心」が強調されているが、安保政策に対する異議申し立てであり、日米同盟に対する懐疑である以上、青森、埼玉、東京、神奈川、山口、長崎といった米軍基地が所在するすべての都県にあてはまる考え方だ。沖縄戦の悲惨さは論を俟たないが、だからといって「沖縄は最大の戦争被害者だから、米軍基地を拒絶する権利がある」ということはできない。国民全体の課題として、日米同盟に対する疑問を投げかけ、米軍基地に依存しない安保体制とは何かを希求しなければならない。米軍基地問題は、国民全体に共通の安保政策上の課題として論ずるべきだが、基地問題は沖縄に固有の問題として論じられる傾向が強い。「沖縄だけが平和を望んでいる」という主張に正当性を見いだすことはできない。

ところが、翁長知事は「日米同盟の重要性は理解できるが、沖縄の過剰な基地負担は改めなければならない」と繰り返している。安保政策に反対なのではなく、沖縄の基地負担が過剰だといっている。平和と米軍基地は両立する(日米同盟是認)という前提で、移設に反対しているのだ。この点が、移設反対論をわかりにくくしている。「平和を望む県民の心」を前面に出して移設に反対しながら、日米同盟は認めている。反対するのは沖縄の基地負担が過剰だからという。ここでは、あらためて基地負担の問題が浮上する。

では、沖縄の過剰な基地負担は放置されたままなのだろうか。実は、必ずしもそうとはいえない。1996年のSACO合意以降、過剰な基地負担は改められるプロセスにある。普天間基地の辺野古移設もその一環だ。SACO合意による基地縮小では不十分だ、という主張ならわかる。普天間基地の撤去には賛成だが、県内の別の場所に移設するのは、基地縮小とはいえないから反対だという。が、基地面積でみれば、これは縮小につながる移設だ。基地反対派も容認派も、これまで基地面積を基準に基地負担を主張してきた。にもかかららず反対派は、辺野古移設では面積の縮小が負担の縮小にはつながらないという。となると、負担とは何かをあらためて問わねばならない。反対派の中には、辺野古移設は基地機能の維持または強化をもたらすから、沖縄の負担は変わらない、それどころか増大するという見解もある。物理的な基地負担ではなく、基地負担の質が問題にされる。基地負担の質=基地機能を問題にするのであれば、議論は軍事戦略・安保政策の領域に移されることになる。

元沖縄タイムスの記者でジャーナリストの屋良朝博氏は、日米同盟を肯定する立場から「米軍の戦略上、海兵隊のポジションは相対的に低下しており、沖縄に駐留する必要性はない」と主張し、辺野古移設に反対している。彼のこの主張が、移設反対論の中では最も合理的かつ説得的だ。「普天間基地はそもそも必要ない。海兵隊のある種の既得権にすぎない」という主張であれば、辺野古移設は海兵隊権益の温存または強化だから、反対の姿勢には一理ある。

ところが、反対運動の中で、屋良氏の主張が前面に出たことはない。屋良氏自身も、運動の現場では「沖縄の心」や「本土による沖縄差別」を口にしながら移設に反対している。こんな状態では、軍事戦略論・安保政策論にもとづく移設拒否の論理が育つ余地などない。被害者感情にもとづく移設反対論「平和を愛する沖縄の心」に逆戻りだ。「沖縄はかわいそう」という本土の人たちの感情を高めることによって、移設を阻止しようという思惑があるのかもしれないが、「なぜ沖縄はかわいそうなのか」については、沖縄戦などの歴史の領域に踏みとどまるだけで、けっして「現代化」しない。日米同盟に対する懐疑を含みながら、それを正面から論じて政府の移設推進政策に挑む者もいない。基地負担の質を問題にするのであれば、屋良氏のように抑止力としての在沖縄海兵隊についての考察を含まなければならないが、そのような主張は、運動の中で顧みられることはない。曖昧模糊としたままで「移設反対」というスローガンだけがこだましている。日米同盟を支持する勢力と日米同盟に反対する勢力が相乗りする中で反対運動が展開されているせいかもしれないが、「平和を愛する沖縄の心」を武器に闘うのは、時計の針を逆戻りさせるだけだ。現状に対する冷静な考察を欠いたまま移設と対峙しようとする姿勢に問題はないのか。

「平和を愛する沖縄の心」が移設反対の論拠として十分ではないと判断する理由は他にもある。沖縄戦を含む戦争被害の体験が国民の平和指向を高めたことは紛れもない事実だ。第2次世界大戦から得たわれわれの最大の教訓は「戦争はしない、巻きこまれない」であり、その一つの象徴が日本国憲法第9条であった。少なくとも戦後70年間、日本は自ら戦争したことはなく、直接戦争に巻きこまれたこともない。その意味で、戦争被害がわれわれの平和指向の原点であると考えることはできる。

だが、戦争への反省と平和を愛する心だけでわれわれは戦争に関わらずに済んできたのだろうか? 日本を含むアジア太平洋地域の経済発展・科学技術の進歩や国際関係・国際秩序の形成は平和の構築とは無関係なのか? 日本の安保政策や外交政策は、平和の構築に寄与してこなかったのか? 日米同盟や日本の米軍基地は平和に対してネガティブな影響だけを与えてきたのか? 平和の源泉や背景となる要素は数え切れない。戦争被害を正しく認識し、平和を希求する精神は大切だが、それだけで「平和が構築できる(できた)」と判断するのは不熟であり、不遜だ。

が、百歩譲って、過去の戦争に対する歴史認識から米軍基地に反対する心情を認めるとしても、米軍基地からもたらされる現行の基地被害とそれとをない交ぜにするのは、計測可能なものを計測不可能なものに変えてしまう怖れがある。騒音被害、米兵の引き起こす犯罪や事故、軍用機墜落のリスクなどは客観的に計測可能な負担であり、その被害は防いだり低減したりすることもできれば、経済的な補償によってカバーすることもできる。平和の構築とはまるで位相の異なる話なのに、過去の戦争被害と現行の基地被害を重ねながら、基地反対の論拠とするのは、冷静な議論を忌避することになるのではないか? 反対運動のプロセスで前面に出て来るのは、戦争被害への反省や平和構築への意思だが、他方で基地被害に対する経済的補償や基地負担の代償としての振興策の必要性も強調される。たとえば沖縄の新聞は、「移設反対」と主張する一方で、多額の振興策の獲得を強く奨励している。そうなると「やっぱりカネの話じゃないか」という批判も呼びこんでしまうし、現に「カネと権力」が基地問題を動かしてきた証拠は無数にある。

が、ここで忘れられがちなのは、普天間基地移設の目的である。宜野湾市という人口密集地のど真ん中に存在する普天間基地の危険性の除去がそれだ。移設のプロセスは、「宜野湾市民の切実な願い」を当時の橋本龍太郎首相が聞き入れたことから始まった(1996年)。米軍基地や安保政策自体の是非や政府の歴史認識が問われたわけではない。基地移設によって、宜野湾市民の目に見える基地負担を減らすと同時に、代替施設の規模を抑えることで、面積という観点から沖縄の米軍基地全体の規模を縮小することになったのである。

橋本龍太郎首相が普天間基地の移設を提案した1996年に、篠原は沖縄の基地問題に関わり始めたが、あの時点で、普天間基地のような米軍にとって重要性の高い基地が返還プログラムに含まれると予想した者は、本土にも沖縄にも駐留米軍にもいなかった。沖縄の指導者の間には、その政治的な立場にかかわらず動揺が広がり、基地跡地の利用や米軍基地反対運動の行く末を懸念して「移設は迷惑だ」と真顔で発言する人びとさえいた。

しかしながら、不要となった基地の返還を除いて、それまでほとんど動かなかった基地返還プログラムが大きく動くということは画期的だった。現に稼働している、米軍にとってきわめて重要性の高い普天間基地が移設されることなど、夢のまた夢だったのである。1996年時点でのこのサプライズは、やはり今も記憶に深く刻んでおくべき出発点だ。

次なる問題は移設先となった。米軍は、普天間周辺にある海兵隊施設や金武町にある巨大な海兵隊基地、キャンプ・ハンセンとの一体的な運用を考慮して、県内、それも沖縄本島を望んだ。どうせ移設するなら県外が望ましいと沖縄県民は願った。本土で引き受けられればベストだったが、さまざまな移設先候補は浮かんでは消え、基地誘致の歴史を持つ辺野古が最終的な移設先候補として残った。日米の政府レベルでは、辺野古周辺が正式な移設先として合意され、沖縄県の指導者もこれに従った。ところが、その後、辺野古移設は大きく迷走した。

鳩山発言「最低でも県外」が大混乱を招いたことは間違いないが、日米合意後の紆余曲折の大半は、利害の対立と調整をめぐるものだったといっていい。橋本首相の「普天間移設」の意向を受けて策定された1996年のSACO合意から今日までの19年間何をしていたかと問えば、沖縄県内の政治的指導者や指導的経済人は利権をめぐる争闘に明け暮れ、政府は混乱を収拾してSACO合意を実現するため、振興策という麻薬を沖縄に与え続けた。他方で、基地反対運動は、その最前線で闘う人々の善意や思惑とは裏原に、政府から振興策を引き出すための圧力装置として、見事に機能し続けたのである。

この19年で普天間基地移設問題の何が変わったのか。基地は今も普天間に留まり、振興策は「粛々と」続いている。観光業の活性化で沖縄経済は部分的に改善されたが、「貧困」を直接・間接に表す経済指標・社会指標は今も全国最低水準だ。復帰以来11兆円を超える振興資金が注ぎこまれながら、最も重視すべき県民生活が改善されないのは異常な事態だが、移設をめぐる混乱に、事態はすっかり覆い隠されてしまっている。

辺野古基金が創設され(『辺野古移設反対運動を支える「辺野古基金」とは何か?』参照)、反対運動に資金的な基盤ができたことは、移設反対派がその拒否の論理を合理的に形成するきっかけになりうるので歓迎はしたい。たしかに「反対のための反対」というレベルから脱皮するチャンスにはなる。

しかしながら、一方で懸念も強い。移設反対運動が、従来の自分たちの運動の背景や根拠を批判的に見直し、政府を議論の場に引っ張り出す覚悟がなければ、問題はけっして動かない。そのためには、振興策の功よりも罪を自ら明るみにだし、3500億円以上といわれる辺野古代替施設の事業費が、全国の納税者を裏切る無駄金になる可能性があるということをきちんと説明できなければならない、と思う。要するに自ら血を流す覚悟がなければ、反対のための反対運動に終始するだけだということだ。これでは政府を動かすことはできない。事態は膠着し、海兵隊基地は普天間に居座りつづける。

最後になるが、本コラムの内容を今一度要約しておきたい。

  1. 民意を盾にした辺野古移設反対は、辺野古区の民意が容認である以上説得的ではない。
  2. 「沖縄の心」「平和の希求」を論拠とした辺野古移設反対は、日米同盟への懐疑を含んでいるが、リーダーである翁長知事が日米同盟を是認している以上、反対論の論拠として不完全でわかりにくい。
  3. 「過剰な基地負担」は面積を基準に主張されているが、辺野古移設ではトータルな基地面積が減るにもかかわらず、基地負担の縮小とは認識されていない。辺野古移設は海兵隊機能の維持または強化につながると主張されている。
  4. であるとするなら、量的な負担ではなく質的な基地負担が問題ということになるが、質的な基地負担とは何かが示されないまま反対運動が展開されている。
  5. 結果として、現段階での移設拒否の論理は、どれも貧弱で移設反対のための武器として期待はできない。
  6. 辺野古基金の創設をきっかけに、説得的な拒否の論理が構築される可能性はあるが、事態はあまり楽観できない。
批評.COM  篠原章
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