従軍慰安婦問題に関するメモ

Memorandum ; Korean Comfort Women For Japanese Military in the World War II

ここ数日、従軍慰安婦に関する議論を振り返っていた。やはりこれは、胃がきりきり痛むような厄介な問題だ。

この問題については、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書・1999年)が嚆矢で、和田春樹や林博史などの批判にも関わらず、今もなお最も信頼できる論考だと思う。細部に曖昧な点が指摘されているとはいえ、慰安婦徴募の一般的な実態やその規模などに関する客観性は、吉見義明などによる他の研究を凌いでいる。秦は、軍による物理的な強制連行はほとんど存在しなかったというのが事実であると主張し、軍国主義・植民地主義から発する同調圧力自体を(広義の)「強制」とする見解については否定的である。現在までのところ、国家あるいは軍が積極的に関与して朝鮮半島の婦女子を慰安婦として強制的に徴用したという事例はあまりなく、従軍慰安婦問題を「軍ないし国家の犯罪」として糾弾するのは難しいというのが、秦の判断である。他の研究者や韓国側が主張する20万〜100万といった慰安婦の数値も明確に否定されている。

「植民国の軍隊(あるいは政府)が被植民国の婦女子を、心理的・物理的な強制力によって慰安婦に仕立て上げた国家的犯罪」という主張は今も根強いとはいえ、貧困に伴う身売りが横行していた時代であるが故に、したがって近代的な意味での人権が尊重されていなかった時代であるが故に、従軍慰安婦問題を「国家の犯罪」として一方的に告発することの適否については、もちろん決着が付いていない。

韓国・世宗大学教授の朴裕河は、従軍慰安婦の歴史的評価を巡って反発し合う日韓双方の姿勢が問題の解決を遅らせているとの立場から、『和解のために』(平凡社・2011年ー大佛次郎論壇賞受賞作)『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版・2014年)を著し、日韓双方が対立を解消する方向で行動すべきであると提案した。左右の立場を越えて多くの日本の知識人が、彼女の著作を評価したが、元慰安婦の女性などから出版差し止めを求めらるなど韓国内では厳しい批判に晒されている。

日本でも、たとえば、在日朝鮮人作家で東京経済大学教授の徐京植(『植民地主義の暴力―「ことばの檻」から』高文研・2010年)や同じく在日朝鮮人研究者で明治学院大学准教授の鄭栄桓が(ブログ「日韓国交『正常化』と植民地支配責任」所収の「『帝国の慰安婦』の方法について」全7回が閲覧可能。他にも朴裕河に関する論考あり)、朴裕河の議論を激しく批判している。朴裕河の主張は一見中庸を目指したものに見えるが、その中庸は出鱈目な方法論と、稚拙な資料分析の上に成立しており、日帝の朝鮮植民を正当化する右寄りの論者を喜ばすだけであると批判する。興味深いのは、徐も鄭も、確信犯的な右寄りの論者よりも日本のリベラル(左寄りの論者)に失望している点だ。それによれば、日本のリベラルは植民地時代への反省を口にしながら、その実日本と日本人の免責を求めているという。要するに、日本のリベラル派・左派は、旧植民地に寄り添うフリをして、結局は日本人としての利得を求めてるだけじゃないか、と疑っているということだ(ただし鄭は、最近の徐の右旋回も懸念している→「徐京植を読み直す――『反動的局面』と現在」の(1)(2))。

鄭の日本のリベラル派に対する批判は留まるところを知らず、高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社・2012年)にも及んでいる(「福島は『植民地』なのか――高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』について)。福島の原発問題と沖縄の基地問題を、今に生きる日本の植民地主義として捉える高橋の言説は植民地主義云々の話ではなく、「日本国内の地域差別・地域格差」の話だと切り捨てている。日本の植民の歴史のなかで人間としてのアイデンティティを分断された在日朝鮮人として、日本政府と日本人を糾弾し、日本政府と日本人は本気で朝鮮植民の歴史を反省・謝罪すべきである。さもなくば、自分たちの人間としての尊厳は回復されないという鄭の批判力は鋭い。とくに日本のリベラルに関する鄭の批判はきわめて真っ当だと思うが、結果的に領域的国家観・民族観に収斂する偏狭なナショナリズムを煽る主張につながる怖れもあると感ずる。鄭の批判が日韓の間に横たわる問題解決にどの程度寄与するかについては、このコラムであらためて考えたいと思う。

朴裕河 (著),佐藤 久 (訳)『和解のために-教科書・慰安婦・靖国・独島』(平凡社・2011年)

朴裕河 (著),佐藤 久 (訳)『和解のために-教科書・慰安婦・靖国・独島』(平凡社・2011年)

朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版・2014年)

朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版・2014年)

批評.COM  篠原章
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