追悼・黒沢進さん

音楽評論家、というより日本のGS研究・フォーク研究の最高峰・黒沢進さんが故郷の秋田県角館で亡くなられた。享年52才だった。

60年代後半〜70年代前半に展開した日本のポピュラー 音楽、とくにフォークとかロックとかいわれる音楽は、ぼくにとって音楽体験の出発点であり、足枷であり、希望であった。たんなるノスタルジーではなく、そこには時代を理解し、自分という存在を解明する「鍵」があると20代のころから強く感じていた。

そんな思いをわかちあえる人間などまずいないと思っていたら、偶然にも従弟でミュージシャンのサエキけんぞう(パール兄弟)が“同族”であることを知った。

そのサエキから、八百屋を営みながら『リメンバー』という音楽研究誌を発行している高護さんを紹介されたのは85年のことだったと思う。高さんと初めて話したのは、今は無き新宿の「第三倉庫」(伊勢丹経営)というスペースだったような気がするが、場所の記憶には自信がない。放送作家の景山民夫さんのイベントが開かれた会場だったことはたしかだ。古くからの友人・川勝正幸君(エディター&ライター)や岡崎京子さん(漫画家)もその場に居合わせたような気がする。

あのとき高さんから、日本のフォークやロックの「研究書」である『日本ロック大系』という本を企画しているから、一緒にやらないかと誘われ、ぼくも気軽に引き受けてしまった。

その本はなんと5年もかかった。中村俊夫さん、市川清師さん、管岳彦さんなどの音楽誌『ミュージック・ステディ』(『ロック・ステディ』)系のライターの方々や、旧知の音楽評論家・湯浅学さんなどとご一緒させていただいたが、なかでもひときわ大きな存在だったのが黒沢進さんだった。黒沢さんは、すでに『リメンバー』誌上でGS研究を発表していて、フォークについても貴重な資料を収集・解析しつつあった。その知識と研究意欲には舌を巻いた。大いに触発された。その後しばらく、ぼくは黒沢さんの書いた物を見本に原稿を書いた。黒沢さんという先達がいなければ<音楽評論家・篠原章>は存在しなかったということである。

80年代の終わりから90年代にかけては、高さんの企画 とマネジメントで、60年代・70年代前半の日本のフォークやロックが次々にCD化された。いうまでもなく日本のフォークやロックの最初のCD化である。カタログやパンフレットの作成、ライナーノーツの執筆と発注は、高さん、黒沢さん、そして篠原の三人が手がけた。マスタリングも立ち会った。ニューモーニング(日本フォノグラム・徳間音工)、ベルウッド(キング)、URC(キティ)、ポリドール……。黒沢さんと高さんは、この他にもジャックス関連の復刻 CDと『定本ジャックス』も手がけている(はっぴいえんど派の篠原はジャックスには関わらなかった)。

黒沢さんとの仕事でいちばん印象に残っているのは、やはりURCの復刻作業だ。日本のフォークの真の意味での原点となるレーベルである。高さんが入手したマスターテープは、キティレコードのそばにあった倉庫 (目黒区青葉台)に預けられていたが、黒沢さんはその膨大なマスターテープを、倉庫に持ち込まれた機材を使ってひとつずつチェックする作業を引き受けてくれた。

「ひょっとしたらさ、すごくレアな音源が混じっているかもしれないじゃない!」

寒風が吹き込む凍てつくような倉庫だったが、電気ストーブに手をかざしながら、マスターテープのチェックにいそしんでいた黒沢さんの嬉々とした表情を今も忘れることが出来ない。ぼくはといえば、あの寒さに負けて作業を早速と諦め、もっぱら差し入れ係に徹する楽な道を選んだ。

その頃のことだったろうか。辛い作業のつづくなか、高さんがふと漏らした言葉がある。

「ぼくたちのやってる仕事って、何十年か後に評価されるようになるのかな?」
「“ぼくたち”って誰よ」

「だからさあ、黒沢君と篠原君とぼくが一緒にやってる仕事だよ」
「その三人だけ?他にもいっぱいいるじゃない」

「でも、歴史的に評価される可能性のある仕事をしているのは、この三人ぐらいでしょ」

高さんの問いに何と答えたかあまりよく憶えていない。当時のぼくは小生意気であおっちろく、妙に鼻息の荒い経済学の駆け出し研究者だったから、煙に巻くような答え方をしたかもしれない。“まだまだちゃんとした研究にはなっていない。むしろ、これからだよ”とかなんとか。

でも、正直言うと心の中では誇らしげに思っていた。黒沢さんと高さんの“同志”としてぼくも認められているんだ、と。

あれから十数年。まさかの訃報である。

大学の仕事が忙しくなり、沖縄との関わりが深くなるにつれて、黒沢さんともお付き合いは薄くなってしまったが、黒沢さんに引っ張られるようにして歩いてきたんだ、という「歴史的事実」と「自負」は一度も忘れたことがない。

日本のポピュラー音楽研究も今や市民権を得てきたように見えるが、本当の意味で価値のある「業績」は、黒沢さんの仕事以外にほとんど見あたらない。「感想」や「思い込み」や「屁理屈」を研究や批評と勘違いする連中が多いなかで、事実を発掘し、それを的確に整理・解釈する手法は、黒沢進をもって嚆矢とする。黒沢進は、容易に乗り越えられない巨星なのだ。日本のポピュラー音楽を執筆・研究の対象とする評論家・ライター・研究者は、その事実を重く受け止めるべきである。

黒沢さん、ほんとうにありがとう。

感傷でも世辞でもない。手向けの言葉は「ありがとう」以外に見あたらない。
合掌。

nihonfolk

批評.COM  篠原章
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