5月20日 日本記者クラブでの翁長知事スピーチと質疑応答(全文書き起こし)

2015年5月20日11:00~12:00、東京都千代田区内幸町の日本記者クラブ(JNPC)において、翁長沖縄知事の講演・質疑応答が行われました。以下、その全文を掲載します。元データは日本記者クラブ(JNPC)動画 (翁長雄志 沖縄県知事 2015.5.20)、聴き取りは批評.COM。省略や意訳はせず、話し言葉をそのままにテキスト化しました。なお、明らかな事実誤認や曖昧な点については、批評.COMが論評を付しています。(背景色グレイ着色部は批評.COM)

司会 (日本記者クラブ企画委員 / NHK解説主幹 島田敏男):
それでは定刻になりましたので、沖縄県知事の翁長さんをお招きしての日本記者クラブの記者会見を始めたいと思います。
今日はこの後、有楽町の方の特派員の皆さんの会見も午後あるという事で、その前にまず日本のプレスの皆さんの前で1時間、時間を取りたいということでございます。
ということで、最初は知事から30分ほどお話をして頂いて、今度のアメリカ訪問を前にして現時点でのお考えをお聞き出来ればと思います。
そしてその後、私が進行役を務めて、質問を皆さんから頂いて、それにお答えを頂くという形で1時間を有効に使いたいと思います。
申し遅れましたが、本日の司会担当は企画委員のNHK島田です。
私が今着ていますかりゆし(ウェア)は、決して沖縄県当局から頂いたものではありません(笑)
知事選のときに取材に行って、国際通りをうろうろと歩きながら探した品でございます。
知事のかりゆしは正装、本物で、こちらは若干観光客向けという解説を先ほど地元の(沖縄)タイムスさんや(琉球)新報さんから伺いました。
今日は今の沖縄の代表として是非知事に忌憚のないお話しを伺いたいと思います。
では、翁長さん、よろしくお願いします。
翁長雄志沖縄県知事
日本記者クラブの皆様、関係者の皆様、こんにちは。

本日はこのような会見の場をですね、設定をして頂きまして、そしてこんなに多くの方々がお出でを頂きまして、初めてのことでございまして、大変緊張しておりますけれども、なんとか今の沖縄の状況というものを説明させて頂ければありがたいなというふうに思っております。普天間基地の県外移設、新辺野古基地建設になぜ反対するのかというようなことをお話しする前に、ほんの少しだけ沖縄の紹介をさせて頂きたいと思います。

沖縄は文化の多様性にとんだところでございます。
首里城とか、今(着ている)かりゆしとかもそうですが、色々ございますが、今日は沖縄ひとくちメモということでですね、沖縄の言葉でありますウチナーグチを紹介をする中から、また沖縄の歴史に触れて行って、あるいはまた基地問題、経済の問題についてもお話が出来ればありがたいなというふうに思っております。

ウチナーグチっていうのは、分かりにくくて、おそらくなかなか聞き取れないと思いますので、まずどういうことを話するかということを標準語で話をしてですね、それからウチナーグチで挨拶をしたいと思っておりますので、よろしくお願いします。

どういうことを言うかといいますと
「どうもみなさんこんにちは。私は沖縄県知事の翁長雄志と申します。お見知りおきを願います。今日このように多くのマスコミの皆様にお集まりいただき、心から感謝申し上げます。沖縄の問題は大変難しいですので、皆様方で私の話をお聞きになって、多くの方にわかりやすく説明してください。よろしくお願いします」
というのを、ウチナーグチで喋ってみますので、よろしくお願いいたします。
はいさいぐすーよー、ちゅーうがなびら。
わんねー、うちなーぬちじやいびーん。
見ーしっちょうてぃうたびみせいびり。
おながたけしぬいちょーいびーん。
ちゅうや、ぅんぐとぅし、多くのぐすーようが、
あちまっちくみそーち、いっぺーにふぇーでーびる。
うちなーぬくとぅば、でーじなむつぃかさぬやいびーしが、
うんじゅなたーさーに、わんくとぅば聞きちみそーち、
多くのちゅんかい、ならーちくみそうり。
ゆたさるぐとぅ、うにげーさびら。

どうですか、聞き取れますか?
(会場から拍手)

【批評.COM:漢字まじり文で表記してみます。

ハイサイ御衆様、今日拝なびら。
我ねー、沖縄ぬ知事やいびーん。
見ぃ知りくださりて、訴び御候びり。
翁長雄志と申します。
今日や、この如し、多くの御衆様が
集まって呉みぃ候り、一杯ありがとうございます。
沖縄の言葉は、大事に難しくありますので、
雲上(うんじゅ=二人称の敬語)達に、我の言葉を聞いて候り、
多くの人(ちゅ)んに、習わせて呉み候。
宜しくの如ぅ、御願い候びら。

※漢字まじり表記は批評.COMによる】

沖縄本島も小さな島ですけれども、小さな島に、大阪弁、名古屋弁、九州弁という形で、どの市町村の出身というのが判るくらい、言葉が違います。
宮古、石垣、与那国、あるいは伊良部、多良間という所は、私もその人たちの言葉は聞けませんし、このようにして聞けません、彼らもそれぞれが聞けない、というくらい沖縄は言葉に関しましても大変多様性を持っておりまして、それぞれの島々が自然と歴史と伝統文化を持っておる所であります。

沖縄はご承知かと思いますが、東西に1000km南北に400kmの中にですね、160の島々がございます。
その中に尖閣もあるわけでありますけれども、そういう中で今、海底油田とかあるいはまた海底資源とかですね、いろんなことがございますし、その160の島々のうち40は人が住んでおりまして、日本の排他的経済水域が世界の第6位でありますけれども、それに沖縄の点在する160の島々は貢献をしているということにもなります。
今、簡単でありましたけれども、沖縄の紹介をさせて頂きました。

沖縄は、約500年に及ぶですね、琉球王朝の全盛期の中で万国津梁の精神と言いまして、アジアの架け橋になるんだということで、大交易時代を謳歌いたしました。

ベトナムに行って参りましたけれども、その歴史博物館の中で600年前に琉球人来ると書いてあるのを見て、やっぱり若干感動した覚えがございます。

それから、中国の福州とは大変な繋がりがありまして、福州にはたくさんの琉球人が渡って、北京に行く間にですね、亡くなった方もおりまして、琉球人墓というのが墓苑がありまして、地域の方が管理をして頂いております。それからその時に泊まる宿も、琉球館ということで残っておりましてですね、これもございます。

それから北京に行きますと、国子監の科挙の制度を通って学んでいる国子監その中に正式の地図の中に琉球学館というのがありまして、オブザーバーとしてそこで学ばせて頂いたというようなこともございます。

それから琉球の特産品である泡盛は、タイのお米を原料にしておりますので、やっぱり数百年前からタイとも交流があるということであります。

それからアメリカのペリー提督がですね、初めて日本に来たのは1853年ですから、歴史上は最初に浦賀にペリーさんは来たということになります。
それは間違いありませんけれども、ペリーはその前後、実は5回沖縄を訪れておりまして、通算85日ほど那覇に滞在をし、1854年にですね、独立国としての琉球と合衆国との間に琉米修好条約を結んでおります。それからフランスやオランダとも締結をしております。

琉球はその25年後、日本の国に併合をされました。
1879年、私たちはその事を琉球処分と呼んでいるわけでありますけれども、そういう中から日本国の一員として、今日の私たちが、また、あるわけであります。

その間には、先ほど私はウチナーグチを喋りましたけれども、ウチナーグチの禁止令が出ましてですね、これは喋ってはいかん、ということで私どものおじいさん、おばあさんは話さないで標準語を話すような努力をしたわけであります。
戦後もそれは一時期続いておりまして、方言札というのがあって、肩から垂らすんですね、違反をしたらですね。次に使った人がいたらそれを渡すという事で、そういう形でウチナーグチは使わないようにと、日本語を使いなさいと、というようなこともございました。

そういう中で、ウチナーンチュは立派な日本人になるんだということで、大変努力をし、必死に頑張って、日本国民として誉れを感じたいということで頑張ってやってきましたけれども、その先に待っていたのが70年前の沖縄の戦争でありました。
約10万人を超える沖縄の人と日本軍とアメリカの兵士、合わせて20万人余がですね、日本で唯一の地上戦で亡くなったわけでございます。
その中で起きた戦争の醜さみたいなものはここでは言及しません。

とにかく沖縄は、戦前、戦中、戦後と日本国にある意味では、操を尽くしてまいりました。
その結果が戦後サンフランシスコ講和条約で、日本の独立と引き換えに、27年間、米軍の施政権下に差し出されたわけでございます。

米軍との過酷な自治権獲得闘争は、想像を絶するものがございました。当然のごとく、日本国憲法の適用はありません。児童福祉法の適用もなし。27年間、国会議員もその間ひとりも送ったことはございません。沖縄は、日本国民でもなく、アメリカ国民でもなく、本当に大変な時代でございました。

日米地位協定も不平等条約と言われますけれども、その時は治外法権みたいなものでですね、いろんな事件がありましたけれども、犯罪を犯した米軍は無罪でそのまま本国に帰るというような時代でございました。

インドネシア沖で沖縄の漁船が拿捕されても、琉球はその時三角の旗を持っていたそうなんですが、そんなものは何の意味もございませんでした。

それから、ベトナム戦争には、沖縄から毎日米軍が出撃をいたしました。B52を中心として、ベトナムとのあの長い戦いは、沖縄がある意味で中心になったわけでございます。

そういうことがございましたけれども、その間日本は、ある意味で自分の力で日本の平和を維持したかのごとく、高度経済成長を謳歌して今日来ているわけでございます。そういう中で日本政府は、これから基地の問題に入っていきますけれども、普天間基地の危険性除去が原点であると、その唯一の解決策は、新辺野古基地建設が唯一の解決策であると言っております。

しかし沖縄から言わしてもらいますと、普天間基地の原点は、戦後住民が収容所に入れられてる間に米軍に強制接収をされたことが原点であると私たちは思っております。改めてでありますけれども、みなさん何回か私のこの言葉を聞いたこともあるとは思いますけれども、確認をしたいと思います。

沖縄は、今日まで自ら基地を提供したことは一度もございません。
普天間基地も、それ以外の取りざたされる飛行場や基地も、戦後沖縄県民が収容所に入れられて住民がいない中で取られたり、あるいは居るところでは銃剣とブルドーザーで基地に代わっていったわけでございます。

ですから、自ら土地を奪っておいてですね、県民に大きな苦しみを今日まで与えておいて、普天間基地が老朽化したから、世界一危険になったから、お前たちが負担しろ、辺野古が唯一の解決策だ、嫌なら代替案を出せ、日本の安全保障をどう考えているのか、沖縄県のことは考えているのか、こういう話をすること自体が私は日本の政治の堕落ではないかとこのように申し上げてきているわけであります。

新辺野古建設の工事の現状も、まさしく今海上での銃剣とブルドーザーの基地建設の様相を呈して参りました。私は自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国がですね、どうして世界の国々とその価値観を共有できるのだろうかと、大変疑問に思っております。日米安保体制、日米同盟というものは、もっと品格のある誇りの持てるものでなければならないと思っております。それこそが日本がアジアのリーダーとなり、世界のリーダーとなって確固とした価値観を持った中から日本の存在を示すことになると思いますし、日米安保体制も一番安定するのではないかという風に思っております。

安倍総理との会談をさせて頂きました。安倍総理との会談でもですね、安倍総理が二点に渡って、このように努力をしているから是非ご理解お願いしたいと二点、他にもお話しありましたけれども、この話をさせて頂きたいと思います。

ひとつは、嘉手納の以南、嘉手納基地の南側ですね、以南の返還を着々と進めてますよということでございました。それからふたつめは、オスプレイの、まぁ、どんどん普天間にも来ましたが、そのうちの何機かは今本土の方で飛び立ってますから、沖縄の負担を軽減するためにですね、本土の方でもこのオスプレイの訓練をしてるので、その辺のところはご理解願いたいということが、話でございました。

しかし、嘉手納以南の返還もですね、皆様方がその話を聞くと相当進んでいるように見えるかもしれませんけれども、私は一昨年小野寺防衛大臣と他の防衛局の方々もご一緒して話をしたときに、一体全体、普天間基地が新辺野古に移設をされて、それから嘉手納以南のキャンプ・キンザーとか那覇軍港とかキャンプ瑞慶覧とか、五つくらいありますけれども、そういうものが返還されてどれだけ面積が小さくなるんですかということで、一緒になって計算をしました。

そうしましたら今ある沖縄県の0.6%の面積にですね日本国の、73.8%の米軍の専用施設があるわけですけれども、この73.8%が、普天間が新辺野古に移ってですよ、それから嘉手納以南の五つの基地も移ってですね、どれだけ減るかって言ったら、0.7%なんです。【批評.COM: 正確には0.7ポイント。パーセントではない】
73.8が73.1になるんです。

これはですね、小野寺大臣もびっくりしていましたけれども、その後私が国会か何かに行ったときにいろんな方々にお話ししますと、あの政治の中枢にいる人たちでさえですね、全くわかりませんでした。誰も、半分くらい沖縄の基地が解決するんだと思っているわけですね。
そして尚且つ、その嘉手納以南の五つ移設要件ですがなんでそういうふうに0.7かと言いますと、移設は普天間が嘉手納に移るようにですねキャンプ・キンザーも那覇軍港もですね、全部県内に移っていくんです。

ですから、この返還されたものは、返されるというよりは機能強化をして移っていくわけですから、0.7%しか変わらないということをよくご理解を頂きたいと思います。

そしてその返還時期も那覇軍港は2025年、10年後になりますか。キャンプ・キンザーは2013年【批評.COM: 2028年の言い間違いと思われる】そういうふうに発表されておりますが、その数字の後に何が書いてあるかと言いますと、「またはそれ後」って書いてある。
「2015年2028年、またはその後」【2025年2028年の言い間違いと思われる】

ですからそういうふうに着実に返還をしてるんだよ、出来ることはすべてやるよと言っている中身はこういうことでありまして、政治の中枢にいる人ですら分からないわけですから、日本国民は、おぉ安倍さんやるじゃないかと嘉手納以南こういうふうに着実に返還してるんだというふうに思うかもしれませんけれども、内実はそういうことでございます。

そしてオスプレイもそうであります。
オスプレイも今何機か本土の方で飛んでおりますけれども、あのオスプレイが配備されるときにはですね、ちょうど2012年に配備されましたから、2013年頃から配備されるんじゃないか沖縄に来るんじゃないかという話がございました。
で、防衛省に行きまして確かめても、本当に直前までですね、「わからない」と「何もアメリカから知らされてない」というのがその返事でありました。

ところが、その2012年の2年前にですね、森本元防衛大臣が学者の頃ですね、著書を出しておりまして、その本の中に何が書いてあるかと言いますと、2012年に12機、2013年に12機、沖縄に配備されますということが5年前に書かれているわけです。その通り、2012年に12機、2013年に12機来たんですね。そしてその後何て書いてあるかというと、新辺野古基地はですね、オスプレイを収容するためにですね、つまりオスプレイ専用の基地にするために設計をされているので、普天間ではもう老朽化しているのでオスプレイは使えない。ですから新辺野古基地に移すことによってですね、ある意味でこの基地を維持したいんだという。そしてそこに100機以上配備をされるということが書いてあります。
そしてその本の中にはいみじくもですね、オスプレイは未亡人を作る飛行機、製造機、というような言葉まで使ってですね、表現をしております。

ハワイで墜落がありましたけれども、そういったこと等は5年前の森本さんの本に書いてありますので、私が作った話をしてるわけではありませんので、読んで頂きたいなと思います。ですから今、沖縄からしますとですね、本土の方で飛んでいるオスプレイも新辺野古基地が完成をしたら、あるいはまたそれより前に、普天間の方にまた戻って来るんじゃないかと、私たちの肌感覚からは感じがございます。

ですから、横田に今度CV-22が来ますけれども、それも沖縄に配慮して横田にしたんだという話でありますが、あのCV-22を受け入れる部隊はですね、沖縄の嘉手納基地にあるんです。ですから、横田に置いてもすぐ沖縄に来て訓練を始めるのは、嘉手納基地を中心としてやるということがはっきりしております。

ですから、そういうことを考えたりしますとですね、私はこの、所謂、今の沖縄に対してのですね、日本政府のあり方、場合によっては米国のあり方もですね、大変おかしいのではないかと、このように思っているわけです。本当に自由と人権と民主主義をですね、共有の価値観を持つ国とタイアップするためにですね、今回の日米同盟あるいは日米安保体制の首脳会談があったのかという事を考えますと、本当に心さびしくなります。

えーそして、もう一つ申し上げますけれども、13年前、ラムズフェルド国務長官がですね、沖縄の普天間基地を見て、こういう言葉を残しました。現職の国防長官でした。こんな世界一の危険な基地はね、はやく移せ、というようなことをラムズフェルドさんが言っております。

そして菅官房長官も再三再四世界一危険な普天間基地だから、はやく辺野古に移して、その危険性を除去したいと言っているんですが、ぼくはこの方々にお聞きをしたいんですけどね、それじゃ、新辺野古基地が出来ない場合には、この世界一危険な普天間を本当に固定化出来るんですかということなんです。本当に普天間の基地を固定化できるのかどうか。

これが日米同盟として本当にそういうことが出来るかどうかということを考えますと、私はよく代替案を出せとか、沖縄が持つべきだろうということをよく言われますけれども、これは当然国が考えるべきでもありますが、普天間の固定化も私は出来ないと思っておりますから、ある意味でこの新辺野古基地はですね、どうしても阻止をして、沖縄の今日までの歴史を含めてですね、もう一度総浚いをして考えなければならないなぁとこのように思っています。

ですから政府には、とにかく今の工事をですね、中断をして話し合いをしてもらいたい。日米体制にですね、これは大きなヒビが入ります。
新辺野古基地が出来ない場合には、日米安保体制、日米同盟、私は自由民主党の出身でありますから、日米安保体制の重要性はよく理解しております。理解しておりますけれども、新辺野古基地に作ろうとして作れない場合の日米同盟の危うさといったもの、そしてその間10年かかりますから、あれは。

その間、普天間にですね、何か飛行機がハワイで堕ちたように堕ちましたら、それこそ日米安保体制は砂上の楼閣にあるというふうに、乗っかっていると、私は思っております。ですから、この件についてはですね、真剣に考えて頂きたいなというふうに思っております。

それから沖縄の振興策でありますが、これもよくですね、沖縄は基地を預かって振興策をもらったらいいですよ、ということで、いろんな方から言われるんですね、政治家からも普通の国民からもですね。これはですね、マスコミからの報道があると、それから政府が誤ったといいますか、あるいは作為的に出すものがありましてですね、これに国民の皆さんもそう思っているのではないかと思います。

よく年末になりますと、「沖縄の振興策3000億円確保」とか出ますよね、そうすると普通の国民はですね、47都道府県みんな一緒に貰って、その上に沖縄県は3000億貰っているのかというようなお考えになっていると思います。沖縄県は27年間日本から切り離されて、米軍の施政権下に入ったものですから、その間は憲法も法律の適用も何もないわけで、復帰した頃は待機児童の認可保育園なんて一つくらいしかないくらいの、子どもたちの設備もそんなもんだったんです。ですからそういう27年間日本の法律に馴染まない中で過ごして参りましたので、返還をしたときに当時の沖縄開発庁とそれから今でいう内閣府の沖縄担当の部署がですね、沖縄県の予算は一括して各省庁と交渉するようになったんです。ですから、今でいうと内閣府が各省庁と沖縄県の間に立ってですね、「はい建設省100億出しなさい、はい文部省学校つくるために100億出しなさい」という形で総額出来上がったのが、総額3000億円だったんです。他の都道府県はどのようにしているかというと「学校つくりますから100億円ください、何を作りますから100億円ください」と言って、各省庁に自分でやってるもんですから、一括して鳥取県は何千億円とか、一括して島根県は何千億円とか出てこないんですよ。

沖縄は内閣府が一括してやるもんですから、3000億円。この3000億円を一般の国民の皆さん方は「沖縄は基地を預かっているから地方交付税とかそういうものの上に乗っかって、更に3000億円もらってるんだなぁというふうに考えているもんですから、「振興策とって、基地を預かりなさいよ」とこういう形になるわけであります。しかしながら、この振興策のそういった諸々ですね、こういった仕組みでそういうことになっているものですから、是非ともこれはご理解頂きたい。

そして、ちなみに地方交付税は、全国で何番目かというと、47都道府県のうちの16位です。それから国庫支出金と地方交付税を合わせた金額は全国で6位であります。しかしこの6位というのは、27年間のブランクをですね、インフラから何から埋めようとして、たしかに沖縄県は27年間は他の所の何分の一だったんですが、今は何十パーセントアップで本土に追いつくという事でもってですね、ある意味で他の所よりは優遇されてるように見えます。だけれどもそれはあくまでも地方交付税が16位で、国庫支出金と合わせて6位というような状況だということも是非ご理解を頂きたいなと、このように思っております。

そして今、沖縄は大変元気になってきております。
私が去年の選挙でですね、一番大きなスローガンをふたつ挙げました。

日本の安全保障は日本国民全体で考えてもらいたい、負担をしてもらいたい、これは基地問題であります。もう一つは何だったかといいますと、米軍基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因であるということを、知事選挙では大きなスローガンとして掲げさせてもらいました。

それは何故かといいますと、那覇市の新都心地区に今発展してるところが、沖縄に行かれた方は分かるかと思いますけれども、新都心地区というのがあります。そこは215ヘクタールなんですけれども、米軍の住宅がありました。100軒か200軒ありまして、芝生に敷き詰められて、学校もありました。そこは軍用地料が52億円入ってました。

で、25年くらい前に返されました。軍用地の地主はびっくりして、これだったら生活が成り立たないんじゃないかということだったんですが、15年前、私が市長になりまして、そこを普通の区画整理をやりまして、今の新都心地区が出来ておりますけれども、どういうふうに変わってきたかといいますと、52億円の軍用地料が600億円の商売の販売額になってるんですね。雇用は180名、芝生を刈ったり、米軍の住宅をトントン直す人が180名働いていましたけれども、今は1万8000名。100倍であります。

それには情報通信産業が一番大きくありまして、そういった形で100倍になっているんですね。そして、この税収は6億円でありましたけれども、97億円。今はもっと大きくなってきております。

今は、その三つ、他にふたつありますけれども、三つ合わせてどうなっているかというとですね、所得が27億から617億とか。雇用は327名から2万3574名、これは72倍ですね。税収も8億から298億。というような形であります。

じゃあ、今いったキャンプ瑞慶覧とかキャンプ・キンザーとか那覇軍港とか普天間基地が返されたらということで、沖縄県が試算したところ、今返されない中での基地関連収入とかそういうことを含めての経済効果というものは今の収入はそういった基地から来るものは500億円。そして返されて、今の新都心地区のように私たちが開発をしてですね、いろんな形で産業に、あるいはまたこの公園にと使っていった場合どれだけ収入になるかというと8900億円です。これはもう10倍以上、15倍くらいになります。

ですから、基地からの関連収入は2000億円くらいでありますけれども、あれが返されたならばですね、沖縄には投資をしようという国もたくさんありまして、ただし土地がいいところはみんな基地に取られていますので、返された場合のこれからの沖縄の発展はですね、計り知れないものがあるんです。ですから、「基地で食べてるんでしょう」というものは、基地があるから食べられないというそういった状況もこれから説明が出来るような状況になっていくのではないかなぁと思っております。

ちなみに基地関連収入は、戦争直後はですね、沖縄県のGDPの50%ありました。戦争でみんな破壊されましたので、何も産業もありませんでしたから、50%が基地関連収入だったんです。それから27年経って、復帰をするときには、基地関連収入は沖縄のGDPの15%。

で、今はどうなっているかというと、5%を切ってですね、4.8%まで基地関連収入は落ちてるんです。ですから、こういうようなものを含めて、沖縄が基地で食べているんだというようなですね、そういったもので所謂、日本の本土の皆さん方が「いいんじゃないか、あっちは振興策を貰ってるんだから、基地を預かるのは当たり前じゃない」というようなことは是非考え直して頂きたい。やはり日本国民全体でですね、これを考えて頂きたいと、このように思っております。

もう大体あと3分くらいになりましたので…

沖縄は今アジアのダイナミズムが押し寄せて来ておりまして、まさしくアジアの中心地になろうとしております。本土の、日本の辺境、アジアの外れだったものが、今、日本とアジアの架け橋になれるような大きな可能性を秘めて来ております。

いわゆる世界への物流拠点、アジアの物流拠点というものをANAさんがやっておりまして、当初からの物流の100倍を超えて、シンガポール、上海、香港、台湾、この辺りから、物を沖縄で積み替えたりして、そして成田、羽田に持って行くんです。で、本土の北海道とか山梨とかそういったものの特産物も沖縄に来て、ここからアジアに飛んで行くという24時間の那覇空港だもんですから、それが今、本当に大きく羽ばたいて来ております。

それから情報通信産業も、本土とそれから沖縄と結ぶことによって、シンガポールまで海底ケーブルが繋がりました。それで沖縄県には約3万人の情報通信産業に働いている人がいますけれども、これもアジアの核となると言えるような企業が今沖縄に進出をして来ております。

それからもうひとつは沖縄国際観光リゾート。これも今、バースがありましてですね、10万トンクラスの船が海外の人たちをドンドンと運んで来ています。去年で、2014年でですね、約90万。今年は120、130万を超えるような勢いでありましてですね、観光客全体で760万ですけれどもそのうちの120万がですね、海外の観光客をいうことになります。

ですから、そういったこと等を私たちはベースにしながら、今初めて日本国に貢献をする、所謂沖縄として、所謂アジアと日本の架け橋となってですね、昔の大交易時代ということを踏まえて、アジアとの交流の中で沖縄を考えていく、それからアジアが平和でなければ、日本もどのアジアの国も経済はダメです。ですから、沖縄が平和の緩衝地帯となるべきであって、そこに基地を持って、基地でもって平和を維持するなどということは、これは本当に難しい話であります。沖縄は1000km、400kmの中に160の島々があってですね、その間に立って平和の緩衝地帯として、私はこれからの沖縄の、アジアや日本に貢献をするそういった素地になろうかと思っております。

ちょっと後半が短くなりましてですね、恐縮でありますけれども、ありがとうございました。にふぇーでーびる。

司会:
ありがとうございました。
私が30分目途でと言ったものですから、ちょっと駆け足を無理にさせてしまった感がありまして、申し訳ありません、質問で、おそらく経済発展に関するものも後ほど出てくると思います。で、いつものように皆さんからの質問を受けていくんですが、今日は最初に私の方から一問だけ。後ほど挙手をしてのご発言については私の方からお声かけます。

一問だけまず知事に伺いたいです。
今の話は非常に歴史を背景にして、とてもわかりやすいお話でした。
で、そういう中でご自身も先程「私は自由民主党出身だ」というふうに仰った。

単に自民党出身というだけじゃなくて、沖縄の自民党のリーダーでしたよね、若いころからのね。
その翁長さんが、自民党政府が1990年代半ばから進めてきている県内移設、それが辺野古ということになってきているわけですが、そうしたものに対して「相容れない」と今日のような主張に変わられたのは、いつ頃、何をきっかけにしてだったのか、この点を是非お聞きしたいのですけれど。

翁長沖縄県知事
沖縄は、そういう歴史でありますので、沖縄県民も保守と革新に別れてですね、大変な死闘を繰り広げて参りました。親戚も別れ、隣近所も別れてですね、私の父も兄も政治家でありましたから、地方政治家でありましたから、私が二十歳になるくらいまでは、15回も選挙をして8勝7敗でございました。

そういった中で沖縄の県民がですね、自ら持ってきたわけでもない基地を挟んで、保守の方は生活と、自由主義社会を守るんだ、これでやってる。それから革新の方はですね、人権を守る、誇りを守る、それが人間の生き方じゃないのと。金で命を売るのかと。というようなもので、お互い価値観を持ってやってきたんです。

しかし冷戦構造が終わって、日本も55年体制が終わって、そういう中で小沢さんとかね、名前はまぁ言いませんが、いろんな人が自民党から出て行ったり、戻ってきたりとね、流動化が始まったんですね。沖縄は流動化がないんですよ。ですから、私が自由民主党と言いますとね、「あれ?あんた安保条約に反対なの?」というような質問が来るんですね。本土ではもう、そういうものは何もないですよ。

ですから、そういったようなものが所謂、稲嶺さんが知事のときにですね、基地の問題がありましたが、15年で区切って2キロ先に軍民共用飛行場ということで、許可をしたんです。それさえも小泉さんが潰しましたので、今はゼロベースから辺野古の問題になってきております。

で、それを見たときに、自民党政権でも民主党政権でも、沖縄に置いておけというのを私は肌で感じましたので、極端な話、オールジャパンで沖縄に基地を置いておけと言うんですね。
こういうことになったら、そうすると自由主義社会を守るとか、共産主義社会がどうだとかいうよりも、私たち沖縄の人からすると、イデオロギーよりはアイデンティティ。

私たちの70年前の戦争で、10万人亡くなったお爺ちゃんお婆ちゃんお父さんお母さんがある中、これから以降も私たちは孫にこれを引き継いでいいのかと、沖縄に生まれた保守の政治家は、沖縄の子供たちを守るために一番頑張るべきであって、日本でいう、日米同盟が大切、日米安保体制が大切というのは本土の論理です。自分たちで負担しないから、そういうことが言えるんです。ここのところが本土の保守と沖縄の保守の違いだと思っています。

司会:
つまり、辺野古に着地を計った小泉内閣当時、ということですね?

翁長沖縄県知事
そうです。

司会:
はい、そしてその沖縄にですね、来月(6月)9日から4日間、沖縄取材団をこの記者クラブで編成して、チームで取材に行くことになっています。今日は、その団長を務められる共同通信の企画委員川上さんに、そのお立場で一問お願いいたします。

質問者(共同通信・川上高志):
共同通信の川上と申します。今日は貴重な時間ありがとうございました。今紹介がありました通り、6月の初めに記者クラブで沖縄の方に伺わせて頂きます。大変お忙しい中ですが、若干でもお時間頂ければと思います。おそらく(5月)月末からの訪米を終えられた後の、そのご感触をお聞きする機会になると思いますが、その訪米に向けて、今日は質問を一問させて頂きたいと思います。

外交、特に安全保障は、政府の専管事項であるという意見もあると思いますが、その中で知事として今回(5月)27日から訪米される狙い、思い、特にその場で何を訴えて行かれたいのか、その辺についてお聞かせ頂ければと思います。

翁長沖縄県知事
まさしく国の専管事項でありますけれども、この一沖縄県に73.8%の米軍の専用施設があるということは、私ども沖縄は国から無条件で受け入れさせられるという今までそうだったんですけれども、自己決定権の主張というものがないと、私たちの子や孫を守れないと、本当にまた日本の安全保障という意味でも、それがいいのかという気持ちがございます。そこで73.8%の米軍専用施設があるということは、何が見えてくるかというとですね、皆さん方が日頃感じない、日米地位協定のですね、不平等性が良くわかって来るんです。

飛行機が堕ちる、事件事故が起きる、私たちは防衛局に抗議に行きます。沖縄には沖縄大使もいますけれども、他の国に出すようにして、47都道府県で唯一沖縄には日本大使がいるんですけれども、そういった所にも抗議に行きますけれども、何をおっしゃるかと言いますと、アメリカの運用の問題だから口が挟めないと言うんですよ。

そうすると、これは日本政府を相手にしていたらどうにもならない。それで、アメリカに行きます。アメリカに行きますけれども、アメリカは必ず「日本の国内問題だよ」ということになります。そういう私は、ジレンマの中で行くことはよくわかっております。

しかしながら、今回の新辺野古基地の問題は、作れない場合は、あるいは残骸が残って作れないような場合にはですね、「当事者ですよ、アメリカさん。これは日本国の国内問題に留まりませんよ。日米安保体制にヒビが入りますよ。これをよくよく考えて、新辺野古基地を安易に考えたら皆さん方の国の問題に関わってきますよ」ということは申し上げて来たいと思うんですね。それを向こうがどのように料理するかは私には何とも言いようがありませんが。

ただ私たちは新辺野古基地を作らすということは、この沖縄を守るということと、日本を変えたい、それから日米同盟ももっと誇りある品格のあるものに変えたいというための一助にしたいと思っております。

司会:
それでは会場の皆さんから。今日はひとり一問にして下さい。出来るだけ多くの方が知事に直接質問が出来るように。右の方に三人並んでいるうちの真ん中の方、お願いします。

質問者(産経新聞イヌイ):
ありがとうございます、産経新聞のイヌイと申します。今日は知事のお話を聞いて、体系的に知事のお立場がよくわかりまして、ありがとうございました。そこで一点だけ。

私も、日本の安全保障は、日本全体で負担すべきだという知事のお考えに大変共鳴いたしております。そこでひとつ疑問なのは、先月知事が中国に行かれた際に、せっかく李克強(リ コクキョウ)首相と会われているのに、沖縄が抱えるもう一つの安全保障問題、尖閣諸島の問題を、どうもあまり強く仰っていないと聞いております。これは何故かということ。

せっかく知事の基地に対する知事のお気持ちには沖縄県民のかなりの部分で賛同していると思いますけれども、石垣の人は、もっと尖閣のことを知事に言ってほしいという声もわが社に届いております。その辺、尖閣問題についてどのようにお考えかと、お願いします。

司会
お願いします。

翁長沖縄県知事
私は知事になりまして、基地問題も最重要課題でありますが、先程申し上げましたアジアの成長のダイナミズムも取り入れて、アジア経済戦略構想というものを持っております。

ですから、河野洋平さんが40年来中国に行ってですね、日中友好の貿易の拡大について頑張っておられることを聞きましてですね、ご一緒させて頂いて、このアジアの経済戦略構想というものを今の中国の経済の勢い、それを帰ってきた後すぐに台湾に行きましたけれども、台湾の経済の勢い、そしてこれからシンガポールとか香港も行ってまいりますけれども、こういったものを今やっている一貫であります。

そして人民大会堂で李克強(リ コクキョウ)さんとお話しをするときには、私たちの持ち時間50分の内ですね、40分は河野洋平さんがAIIBですか、そういったもの等をどう考えるかということ等を含めて、日本と中国に横たわるような大きな問題がございまして。

で、私からすると、何を申し上げたかといいますと、沖縄の福州との関係がありますから、福州と沖縄の直行便、観光という意味でも重要なので、是非ともこれを定期便として、させてもらいたい。

それから、福州に自由特区が出来ますので、沖縄にも特区がありますから、それとこれとを関連させて、これから経済交流をさせて頂きたいというような話をするだけで、私の持ち時間は10分でしたので、これで全てが終わったわけで、話をするものとしてはアジア経済戦略構想の一環でありますので、それも持ち時間は10分でありますから、李克強(リ コクキョウ)さんが答えるのも含めて10分ですので、そういう意味からしますとそういう話しか出来なかったということです。

司会:
知事、次に李克強(リ コクキョウ)さんとお会いになったら、尖閣に対する懸念、これはお話になりますか?

翁長沖縄県知事
尖閣の懸念はですね、先ほど「石垣の方が…」という話がありましたけれども、沖縄からしますと13年前の9.11のニューヨークテロですね、あれがビルにぶつかって飛行機がいった時に大変なことが起きたなと思ったら、1週間後に何が起きたかと言いますとね、沖縄の観光客は4割減ったんですよ、風評被害で。修学旅行がすぐ止まりました。

で、今、石垣の所に尖閣がありますね。
私は尖閣は日本の固有の領土だと思っておりますので、それに何の疑問もございません。

しかしながら、向こうで小競り合いがあって、ほんの何名か、あるいは十何名か怪我人が出たりすると、今、石垣観光は大変順調で年間100万人石垣は来ています。

あそこで何かイザコザがあった場合にですね、10万まで観光が落ち込むんじゃないかなという心配があるものですから、私からすると何はともあれ平和的にですね、この問題は解決できないだろうかということが沖縄県を預かる知事としてはございます。

司会
それは今後是非発信して頂きたいですね。はい、ではこちらサイド2列目の方どうぞ。

質問者(TBS報道特集の金平茂紀):
TBS報道特集の金平ですが。翁長さんのこの数か月の発言の中で、非常に印象に残っている発言があって、その時の言葉を出した時のご心境の一端をお伺いしたいと思ったんですが。

先月、那覇市内で菅官房長官とお会いになったときに、知事の方から、昔の高等弁務官のポール・キャラウェイ氏の名前を出されて、キャラウェイ氏と今の日本の政府の態度が重なるといったようなお言葉がありましたですけれども、これはどういうお気持ちからお言葉を発せられたのかということを、一端でも構いませんのでお聞かせ頂きたいと思います。

翁長沖縄県知事
6名ほど27年間の中で高等弁務官というのが来まして、当時は当然沖縄県議会とは言いません。沖縄立法院議会と言ってですね、何の権限もありませんでした。布令布告でもって、米国の民政府が指令を出して、それの受け皿としての議会や、あるいは主席と言っておりましたけれども、任命主席ですね。

そういった中で自治が行われておったんですが、その時に、一番キャラウェイ高等弁務官というのが沖縄のあり方にメスを入れまして、これはいい意味でも悪い意味でも有無を言わさず改革をしていった。よく言えば改革、悪く言えば独裁者だったというですね、そういうことになります。沖縄には、それに反発する何事も許されませんでした。

で、そういう中で普天間の新辺野古基地の問題、あるいはそれ以外のオスプレイの問題もみんなそうですが、沖縄がどんなに嫌だと言っても、東京要請行動で41市町村長、41市町村議長、全県会議員が行ってですね、勘弁してくれと言っても、何も言わず持ってくるこの姿勢ね、他の都道府県でこんなことはないと思いますよ。他の都道府県でこれだけの全市町村長が、全市町村議長が、何の問題にしろ止めてくれと言ったらね、そこにいる国会議員が次に落選しますから、一所懸命頑張っておそらく阻止すると思うんですね。沖縄の場合、沖縄県連の自由民主党県連の議員はもう、首根っこを押さえられて、県外移設から県内移設へ変わっちゃったんですね。

それくらい政府は権力を持って、沖縄に関してはやるんです。やって来たんです。

ですから私はいつも理不尽だというふうに思っておりましたが、それの表現方法がなかなか分かりにくかったんですけれども、やはり27年間の沖縄の置かれた環境と、あの「粛々と進めるんだ、粛々と進めるんだ」と100回も200回も聞かされるとですね、こんな上から目線で、サンフランシスコ講和条約で切り離されて、日本を支えてきたこの沖縄に、地上戦をして10万人も亡くなった沖縄に、このような形で表現をするのかという気持ちが私にはございました。

ですから、菅官房長官にも直接お話しする機会がありましたので、キャラウェイ高等弁務官のお話もさせて頂きながら、「粛々という言葉は止めてもらいたい」と、このように話をしたわけです。

司会:
では、今度は真ん中の…右手の女性の方。

質問者(琉球新報シマ):
琉球新報のシマと申します。すみません、沖縄の新聞社ですが。

今のお話もそうなんですけども、政府はもう普天間問題が起こってから、ずっと沖縄の負担軽減、負担軽減と言ってきましたけれども、オスプレイの配備も含めて、県民の間では負担は全然減らずに増強されてるんじゃないかという声があります。知事が、今の73.8%の基地が置き続けて、更に全然負担軽減にならない事を、その背景にあるのは日本の国の何だというように分析していらっしゃるのかを教えて頂きたい。

翁長沖縄県知事
2年前ですかね、参議院の予算委員会の超党派のメンバーがですね、沖縄にお出でになって、基地所在の首長さんたちと意見交換しました。そこで普天間は県外にという話をしましたらですね、あえて名前は申し上げませんが、どこそこでは名前も判るような記事になっていると思いますが、その方が、一言一句変えずにこのように仰ったんですよ。その予算委員会と基地を持っている首長さんとの会話の間でですね、何と仰ったかと言ったら、「本土が嫌だと言っているんだから、沖縄が受けるべきだろう。不毛な議論は止めようや」と言ったんですよ。
こんな話をされて、私は、本当に日本国民だろうかと思いましたね。

こういったことがベースにあるもんですから、沖縄に基地は置いておきなさいと、で日本国民全体で日本の安全保障を守る気概もないのに、一県にこれだけ押し付けて、それで積極的平和主義だと言ったら、私は他の国から、本当に日本の覚悟というかそういうものを感じられないのではないかと。

ですから、サンフランシスコ講和条約で沖縄は切り離されましてけれども、先々、何かわかりませんけれども沖縄は切り離されるんじゃないかという恐怖心が私にはあります。私の時代ではないかもしれませんけれども、子や孫のために、私はそういった日本の民主主義のあり方というものを、そして自国民を守るという気持ちですね、そしてアメリカと一緒になって力を合わせてですね、そう言った価値観を共有するものを今一度組み立てて貰いたいと、こういうふうに思っております。

司会
こちらのゾーンのみなさん、どなたかいませんか?はい、じゃ、その方。後ろから男性の方。

質問者(週刊朝日ニシオカ):
週刊朝日のニシオカと申します。

先程、地位協定の話が出たんですが、アメリカ政府に直接その話をするということだったんですけれど、そうは言っても、最終的には日米両政府で話し合って貰わないといけないので、その場合、日米合同委員会でどうやってこの問題を取り上げてもらうかという事が必要になるかと思うんですけれど、翁長知事としてはそこにお願いするというような形で考えてますでしょうか。

翁長沖縄県知事
まぁ、今までの経験からいうと絶望的な感じがしますね。

だから民主主義国家として品格のあるものになっているかという、そういう事を申し上げてるんです。全市町村長、全市町村議長、全県会議員が来ても一顧だにしないところにですね、日米合同委員会で私たちに意見を述べさせてくれとのが本当に成り立つかどうか。国の専管事項と言っても、一県にこれだけ押し付けてるわけですから、本当は当事者として意見交換すべきだと思うんですね。

ですから、今仰るようなものは、理屈としては普通の国にはあると思うんですけれども、今のところ、申し上げたい気持ちはありますが、たぶん言う前から虚しくなるのではないかなぁと、こう思ってます。

司会
今度そちらの、ご年配の方。お二人並んで手を挙げている方にお願いします。

質問者(個人会員ワダマサテル):
個人会員のワダマサテルと申します。
実はあの、翁長先生というお名前には、私は終戦当時に中学生でございまして、中学校の英語の教師が翁長先生で、のちに琉球大学の教授もなさった方、その一族であられるということで、風貌その他が、頑固であるところ、筋を通すところ、まさしく先生と同じだなと思いながら聞いておりますが、その筋を通せば結局は沖縄独立論に行くだろうと私は思っております。あまり乱暴に言っちゃいけませんけれども、国際情勢もイギリスもスペインも含めて地域が、沖縄のような地域が中央に物言うのは世界的状況でもあるし、尚且つ世界地図を眺めれば、沖縄の置かれている地政学的な立場というものは素晴らしいわけですね、ハブとして、臍として発展するためには。そこで問題は、リー・クアンユーのような傑物が、リーダーがいるのかと沖縄に。ということになるかと思いますが、知事はおそらく不滅の信念を持って、普天間から辺野古への問題も防ぎ止めると仰っておられるけれども、その道を行くと結局、申しわけないけれども、妥協の点はないと思います。
勝手に思っているわけですけれども…

司会:
ご質問は、冒頭の独立論でいいですか?

質問者(個人会員ワダマサテル):
はい、それでお願いします。

翁長沖縄県知事
先輩の重厚な質問に答えるのも何ですけれども、沖縄に言う前にですね、日本本土で覚悟を決めて米軍を受け入れて立派な日米同盟を作ってもらいたいんですよ。

何で沖縄にだけ、このように上から目線で「あんたがたで考えなさいよ」という姿勢になるのか、人生の経験者としては、私はこれは少し物足りないのではないかと思います。

私が頑なであるというようなことで独立というような話をしましたが、僕は安倍さんの頑ななものには勝てないと思ってますよ。あんな頑なな人はいなくてですね、そういったものには大変ご理解があって、小さな沖縄にはご理解がないというのは、立つ姿勢が間違っているんじゃないですかね。

だからよくよく考えて頂いてですね、沖縄がこうして切羽詰って話をするものを、独立だと言って、沖縄を切り離しますか?皆さんが、本土の方々が切り離すと言えば、沖縄も切り離されるでしょうけれども、しょうがないから。

だけれども今、日本国の為にアジアのダイナミズムを取り入れて、架け橋となって頑張ろうという事を言っているんですよ。そして、戦争をしちゃいかんから、平和を実現してもらいたいと、その中に沖縄は安定して日本国に貢献出来るんではないかという話をしているわけで、その中で新辺野古基地を作らせないと言っているわけですから、その辺の所は、先輩は戦争も経験されました?では是非よく理解してください。

司会:
はい、そしたらこちらのゾーンの一番手前の人。

質問者(東京新聞ゴトウ):
東京新聞のゴトウと申します。

翁長知事の仰る辺野古に新基地は作らせないという決意は、非常に強い面を理解いたします。その一方で、政府は非常に強い、硬い決意で辺野古に新基地を作ろうとしております。その中で、仲井眞前知事がもう埋立承認をした以上、もう止められないのではないかという意見が国民の中には広がっているかと思います。その中で、どのようにして止めることが出来るのかということを具体的に示して頂くことによって、本土の国民が、まだこの問題が終わってないんだということを理解できるように、具体的に、手の内をさらすことになるのかもしれませんが、言える範囲で言って頂ければと思います。

司会:
手続きの問題にも関わってくるかもしれませんね。

翁長沖縄県知事
今の質問もですね、沖縄が本土に説明すべきだっていうんですよね。

何であんなに本土に尽くしてきた沖縄に、沖縄がもがき苦しんでいるのに、「お前たちが説明すべきだ」というのは、これはもう沖縄が日本の犠牲になるのが当たり前だという話なんですよね。

この当たり前だというところに、私たちの将来というものに向けての生き方、ですからスコットランドとかそう言った問題と比較できるようなものが出て来ます。先程の方も「独立するんですか」というような話がありました。ここまで、所謂国民として受け止めてくれない、というようなことであった場合、これはなかなか苦しいものになって来るのではないかと思っています。

私は、その意味で言いますと、新辺野古基地が出来ないということは、確かに国としてはアレですけれども、沖縄は27年間の米軍の施政権下にあったときプライス勧告と言いましてね、所謂銃剣とブルドーザーでもって、全てですよ、銃剣とブルドーザーで奪った土地を借りておったのでは、自分のものにならないからということで下院議員のプライスというのが来てですね、勧告を出したんですよ。強制買い上げです。

強制買い上げをして、いわば国有地になるのか、米軍用地になるのかよくわかりませんが、強制買い上げをするということでやったときに、あの1956年、55年くらいの時にですね、沖縄の人は裸足で芋食べて歩いてるんでしたけれども、そういったときに、保守も革新もみんな一つになって、絶対に売らないということでですね、あのプライス勧告を阻止したんですよ。だから今、全ての基地は、民有地であったり行政の土地だったりしてダメだって言えるんです。あそこで、強制買い上げで私たちが負けていたら、あと沖縄の基地は3倍、4倍にもどんどん増えさせるような勢いであったと思いますよ。

ですから、あの厳しい治外法権みたいなところでも、うちなーんちゅーは戦ったんです。自治権獲得をして来たんです。本土のように与えられた自治じゃありません。

沖縄は自ら27年間、高等弁務官と或いはアメリカの民政府と戦って、人権もやって来たんです。そのものが今、今日生きてるんです。だから2、3日前、3万5000人もあの炎天下で集まって、そう言った趣旨はよくわかってるんです、うちなーんちゅーも。良くわかっていながらも、沖縄の人はそれでヘタこれない。【批評.COM:へこたれないの意味か?】

ヘタこれないで、しっかりと自己主張をして行かなければ、子や孫に対して、もう一度70年前のですね、ああいう戦争を経験させたくないという思いが強いんです。

ですから、手続き論は細かいのがたくさんありますので、撤回か取消か、或いはいろんな問題があります。これは知事の権限として、これは私は有効に使って、これは名護市長さんも一緒になって、これは作らせないと、それが出来ると確信を持っておりますので、是非頑張って行きたいと思っております。

司会:
じゃ、最後の一問です。こちらの3列目の人。

質問者(NHKニシガワ):
NHKのニシガワと申します。今日はありがとうございます。

先程、アメリカでの仰りたいことに関してご質問がありましたけれども、こういったことを、要するにアメリカも当事者ですよということを、実際に向こうに行かれて、どういった方々に向かって訴えていかれるのか、現状決まっている向こうでお会いする方々がどういうふうになっているのかということを含めて伺えればと思います。

翁長沖縄県知事
日米首脳会談の後であります。そして、辺野古が唯一というものにもなりました。そこで小さな沖縄県の知事が、どのような形でやって行くかという事になります。

そういうときに、私は今、新辺野古基地は作らせないということでありますので、それからアメリカが、この米軍の沖縄にあるもの含めて、日本国内の問題だと言っているものですから、そうしますと、所謂新辺野古基地を作らせないということはアメリカと関係のないことになってきますので、本当にそれでいいのかという事は話をさせて頂きたいなと思っております。

で、然るべき人に会えるかということでありますが、今、流動的なところもございます。やっぱり、沖縄の日本国の中に置かれている立場がございますので、こういったものの中で、今いろいろ交渉しながらやっておりますので、どのような形になっても私とすればしっかりそれを伝えてですね、場合によっては何回も行かざるを得ないのではないかと、そう言ったこと等も考えながら、そして、国民、日本の本土の方々にもですね、是非この問題は考えて頂きたいということをこれからも機会がある毎に訴えて行きたいなと思っております。

司会:
アメリカの国会議員とは会えそうな感触はありますか?政党は問わず。

翁長沖縄県知事
えっと、今まで行った方でもなかなか会えない部分がございます。

元国会議員、前国会議員という方では間違いなく会えますけれども、現職のということよりは、連邦議会のシンクタンクですか、ここがじっくり話を聞いて、そのようなものを全国会議員に配るというような話も聞いておりますので、こういった形も通じながらアメリカとは交渉して行きたいと思いますけれども、今の日米関係から考えますと、大変大きな壁だと思います。

しかし、ぼくはいつもこういう質問を受けるものですから、何か本土の方はそういうことを言いながら、「お前、出来ないのにやるのか?」とかね、こんなような目線で見てるんじゃないかと、一体全体日本国民はどう考えているんだと、自国民がこのようになっているのに、国が動かないで、「おい沖縄どうするんだよ、お前たち何も出来ないんじゃないか」と、心の奥底にそれが見えてきて、だから菅官房長官とあまり違わないんじゃないかと、とそんな感じがするんですね。

司会:
一番最後のご発言が大変端的に、ご自身のお気持ちを表しているように感じました。

今日は始まる前に揮毫して頂いたのは、こういう言葉です。「誇りある豊かさを!」翁長さん、これにひとこと言葉を添えてください。

翁長沖縄県知事
沖縄は今日まで時代背景で、今まで二重人格を強いられて来たんですね。保守と革新と別れて、保守は生活、革新は平和と。

ところが今は、アジアのダイナミズムの中で、それから世の中の状況、世界情勢も変わって来ました。アジアがこんなに発展するとは思いませんでしたが、そう言ったダイナミズムの中で私たちは、自分たちの心の中に別々に持っていたものを、平和とそして経済というものを持てるようになりましたから、「誇り」というものが、自由と尊厳、誇り。こういうものを表しております。そして「豊かさ」というのは、もともと保守が持っていた経済であります。

このふたつが今回重なり合うようにですね、これからの21世紀ビジョン、沖縄はこれから自分の尊厳を守りながら、尚且つアジアの中でしっかりと経済活動もやって行きますよと。そして、平和のための緩衝地帯となって頑張りますよということをこの言葉に込めております。

司会:
今日はありがとうございました。記念の品です、どうぞ。
これは、日本記者クラブからの、今日の御礼の品です。先程選んでいただいたネクタイ。

翁長沖縄県知事
中身は出さんでいいのですか?

司会:
出しましょう。

(記念品のネクタイを持ち、会場からは拍手)

(了)

この日の午後に行われた外国特派員協会での翁長知事スピーチも是非あわせてお読みください。
外国特派員協会での翁長知事スピーチと質疑応答(全文)Vol.1
外国特派員協会での翁長知事スピーチと質疑応答(全文)Vol.2

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