引き裂かれる沖縄〜安倍首相に向けられた慰霊の日の怒号

Okinawa Is Going To Split ; Booing and Roar At Prime Minister Abe On The Okinawa Memorial Day June 23 2015

沖縄戦終結を記念する6月23日の「慰霊の日」の式典におけるスピーチ(平和宣言)で、翁長雄志沖縄県知事が辺野古移設に反対する姿勢を明確に示したことが話題になっている。「追悼の場を政治利用した」との批判もあるが、「県外移設が県民の悲願なのだから当然」という支持論も根強い。いずれにせよ翁長知事にとって意義のある政治的パフォーマンスだったのだろうが、もっと注目する必要があるのは、同じく式典でスピーチした安倍首相に向けられた怒号(帰れコール)である。

驚いたことに怒号は来賓席からも聞こえた。一国の首相が国民から怒号を浴びせられるのは珍しくないが、慎ましく祈りを捧げなければならない公式の追悼式典で怒号が飛び交う事態は異例だ。聞くところによれば、那覇空港から糸満にある平和の礎に向かう沿道でも、要所要所に辺野古反対派グループが陣取り、通り過ぎる安倍首相の車列に対して怒号を浴びせたらしい。安倍首相は、恒例の式典後の昼食会には出席せず、さっさと帰京したという。今年はケネディ大使も出席していたのだから、首相・大使・知事の三者による会食も可能で、それを期待する向きもあったようだが、結局実現はしなかった。

当日式典を中継したNHKのマイクにも入りこんできた怒号の主たちがどんな属性なのか、はっきりとはわからないが、ネット上の書き込みやYouTubeなどにアップされている動画で確認するかぎり、辺野古や普天間で活動する移設反対派のメンバーが主力だったようだ。自治労・教員組合退職組のお馴染みのメンバーだけでなく、本土の労組からの派遣組や中核派や革マル派が動員をかけたと思しき集団も見かけた。いずれにせよ、プロフェッショナルな活動家が大半を占めていたと見て差し支えないだろう。

ネット上には「厳粛な式典に怒号はふさわしくない」「首相にも犠牲者にも失礼だ」という否定的な反応が多かったが、「沖縄の声に耳を貸さない首相だから、罵声や怒号ぐらい許容範囲」「追悼の場だからこそ日本を戦争に巻きこもうとする首相への激しい抗議は必要だ」といった好意的な反応も相当数あった。

が、懸念されるのは、式典での怒号の良し悪しではない。昨年までの式典ではほとんど聞かれなかった怒号が、これほど目立つ事態を迎えてしまったことである。怒号は、沖縄と日本が分断される、あるいは沖縄内部が分断される予兆なのではないかと私は考えている。

沖縄独立論が勃興しつつあること自体を指して「分断」だといっているのではない。県民の大多数が独立する気概を持って辺野古移設に反対しているというのなら、それはそれでいい。「日本の植民地支配を受けていた沖縄は、歴史的な観点から見て日本から独立する権利を有する」という主張を今に生きる沖縄県民が支持するなら、それは分断とは呼ばない。独立である。が、大多数の県民は「日本人として暮らすことにはもう耐えきれない。こんな日本におさらばして私たちは独立する」という宣言にはけっして同調しない。沖縄に「自己決定権」があるとしても、現在の政治的基盤・経済的基盤は、誰が考えても「自己決定権」を裏づけるほど整ってはいない。一般の県民はそのことをよく承知している。

したがって、独立が沖縄の政治日程に上がってくることはけっしてないが、独立論を掲げることで、辺野古移設反対運動を強化しようというのが、運動のリーダーたちの目論見であることは明らかだ。安倍首相に向けられた怒号も、独立まで口にして日本政府を威嚇するようになった反対運動の「覚悟」を表すものだろうが、独立を口にする人たちの大半は独立など本気で考えていない。日本政府との駆け引きの一環として独立を口にしているに過ぎない。だが、怒号を許し、無責任な独立論を掲げるような反対運動が県民や国民に与えるネガティブなインパクトを、運動のリーダーたちは考えたことがあるのだろうか?このままの方針で運動を続ければ、沖縄と日本が分断されるだけでなく、県民も分断されてしまう。

「独立」といえば聞こえはいいが、根拠のない「独立幻想」を振りまくことによって、県民の一部は「反日」的な意識をいたずらに刺激される。「反日」という言葉が不適切なら、「偏狭な沖縄ナショナリズム」と言い換えてもいい。偏狭な沖縄ナショナリズムにのみ裏づけられた独立論は、やがて辺野古移設だけでなく、経済的・社会的貧困も皆一緒くたにして、日本から独立すれば問題がことごとく解決するかのような巨大な幻想に成長するかもしれない。

いや、すでにスコットランドに範を取った沖縄独立が、いかにも実現可能であるかのように語る人さえ現れている。スコットランドが、大英帝国に優秀な頭脳を供給する世界の先進地域であったという歴史的経緯や北海油田という豊かな経済的基盤を持つという事実にすら目配りできない沖縄独立論などに見るべきものはない。イングランドと地続きであるという地理的・地政学的環境が、スコットランドのナショナリズムに安全保障上のリアリティを与えているという事実や、EUというより上位の政治的枠組がスコットランド独立を保障する背景となっているという事実も、彼らはすっかり見逃している。つまり、スコットランドを模範にした沖縄独立論など議論する価値もないということだ。

にもかかわらず、沖縄独立幻想が熱病のように蔓延する可能性はある。夢物語は人々を容易にミスリードするからだ。現実的な裏づけのない沖縄独立論が、辺野古闘争の戦術としての境界線を踏み越えれば(すでに慰霊の日の怒号によって踏み越えているかもしれない)、沖縄以外の多数の日本国民は、沖縄への同情と共感を意外なほどの速さで葬り去るだろう。怖れるべきは、沖縄独立論の隆盛に呼応するように本土の側に蔓延ってくる「沖縄切り捨て論」の横行だ。「怒号」の一件を受けて、早くも2チャンネルなどには、「沖縄?独立すれば」「沖縄なんてもういらない」という書き込みが殺到している。

この状態が続けば、多数の一般県民はたちまち孤立化する。「孤独化」といってもいい。彼らの意識の下では沖縄は47都道府県の一つなのに、県内に独立を唱えるグループがいて、大きな声を発している。その声が大きくなるに連れて、本土の沖縄切り捨て論も活発化する。本土の政治指導者のなかには、こうした切り捨て論に同調する者も出てくる。一般県民の最大の関心事は、独立したら生活がどう変わるかだが、独立後の暮らしはまったく不透明だ。安保や外交はもちろんだが、経済の行く末もわからない。現状より悪くなることはあっても良くはならないことは確かだが、悪くなる程度も見通せない。独立に対する不安を訴えたくとも、独立論と辺野古移設反対論とがワンセットになっているから、不安を持つ県民の心情は、ローカルメディアも本土のメディアも大きく取り上げたりしない。一般県民の思いは行き場を失い、彼らの孤立感・孤独感は深まっていく。

要するに、辺野古反対に絡めて主張されるような沖縄独立論は、日本と沖縄を分断し、県民を分断する方向にしか作用しないということだ。翁長知事も那覇市長時代に「独立」を口にしている。知事就任後、その点にはさすがに慎重な姿勢を示しているが、「イデオロギーよりアイデンティティ」といった主張を展開し、独立論を活気づける結果となっていることには注目せざるをえない。

厄介なのは、慰霊の日に怒号を発した活動家の多くが本土から派遣された、あるいは本土から沖縄に移住したヤマトーンチュであることだ。沖縄独立論を後押しする識者の中にもヤマトーンチュや本土在住者は多い(その中には自分はウチナーンチュであるといいながら東京に居住する佐藤優氏も含まれる)。沖縄独立や沖縄の自己決定権の主唱者が、本土在住であるというねじれた事実の中にこそ、「辺野古移設反対運動の闇」があるといってもいい。「左翼右翼」の二元論に本質的なものがあるとは思わないが、60年代末から70年代初めにかけて「沖縄奪還」を叫ぶ側に属し、今もその時代のイデオロギーを引き摺って生きながらえているような人びとが唱える独立論や自立論に沖縄が未来を委ねるとすれば、それほどの不幸はない。

「米軍や日本政府が沖縄に基地を押しつけた」ことも事実だろうが、「日本の左翼が沖縄にイデオロギーを押しつけた」こともまた事実である(詳しくは『沖縄の不都合な真実』第7章を参照)。翁長知事は「イデオロギーよりアイデンティティ」というが、本土で身動きがとれなくなり、沖縄に活路を見いだしたイデオロギーが、まるで米軍基地のように、沖縄の四肢の隅々にまで染みこんでいることも忘れてはならない。慰霊の日に「怒号」を発した側に沖縄の未来を委ねるのが正しい選択であるか否かは明らかだ。

批評.COM  篠原章
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