戦後70年沖縄全戦没者追悼式次第とスピーチ(全文書き起こし)

本土でも「慰霊の日」の追悼式はよく知られていますが、この式典がどんな次第の下に進行され、どなたがいかなるスピーチをしているのかは(首相、沖縄県知事を除いて)伝えられていません。
批評.COMでは、首相、知事の追悼スピーチだけではなく、2015年の式次第並びに当日の全スピーチを書き起こし掲載しました。慰霊の日に対する理解を深めるために、あるいは沖縄問題への理解を深めるために、ぜひ参考としてください。
戦後70年沖縄全戦没者追悼式は、2015年6月23日(慰霊の日)午前11時50分から午後0時40分にかけて、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園にて、沖縄県及び沖縄県議会の主催で行われました。
なお、聞き取り元データは沖縄タイムス公式動画チャンネルの「戦後70年沖縄全戦没者追悼式 ライブ配信 (録画)」です。

1. 開会の辞 沖縄県副知事浦崎唯昭

司会:定刻になりました。ただ今から式典を始めます。
開式の辞、沖縄県副知事浦崎唯昭(うらさき・いしょう)。

浦崎副知事:開式の辞。ただ今から戦没された御霊のご冥福を祈り、あわせて世界の恒久平和を祈念するため、戦後70年沖縄全戦没者追悼式を挙行いたします。

2. 式辞 沖縄県議会議長 喜納昌春

司会:式辞、沖縄県議会議長 喜納昌春(きな・まさはる)

喜名県議会議長:式辞。ご参列の皆様、我が沖縄に今年も反戦非戦を誓う祈りの日がやってまいりました。今、6月は燦々と照り輝く太陽のもと、アカバナーが咲きほこり、サンニンが香り、蝶が舞う沖縄の若夏の季節です。

誰しもこの地に立って70年前に想像を絶した沖縄戦と語り継がれ、半年間に渡って守られるべき沖縄県民を巻き込んでの地上戦が展開されたことが本当にあったのかと思われても不思議ではありません。
しかし、それは歴史に深く刻まれた紛れもない事実であります。
今日の70年の節目を迎えた沖縄全戦没者追悼式がその証です。
ここに安倍内閣総理大臣はじめ、各大臣、衆参両院議長、各国大使館関係者各位のご臨席を賜り、また今なお止むことのない悲しみと悔やみ、言い知れぬ怒りを抱きつつ痛恨の思いで参列されているご遺族、県民多数のご参列のもと、戦後70年沖縄全戦没者追悼式を執り行うにあたりまして、全ての戦没者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げますとともに、ご遺族の皆様に心から哀惜の意を示します。

沖縄県民は、日米両軍沖縄県民あわせて、20万人余の尊い犠牲となられた方々の御霊の鎮魂とともに、命どぅ宝、反戦非戦の教訓を永遠に語り継ぎ、平和憲法が国の内外に示してきた諸国民の公正と信義に信頼して、平和国家としての戦後日本の歩みをこの地沖縄から発信していく決意を新たにするために、毎年、この全戦没者の慰霊祭を挙行してまいりました。
ご参列頂きました皆様の真心に心から敬意と感謝を申し上げます。

沖縄では、沖縄戦での尊い犠牲を慰霊するために、46都道府県の慰霊の塔が建立されており、毎年慰霊祭が執り行われております。
平和記念財団、県遺族連合会、県や関係市町村、そして県議会も46都道府県の慰霊祭に毎回列席し、戦没された方々の鎮魂と、平和の祈願、反戦非戦の努力の誓いを新たにしております。
また沖縄戦は、沖縄本島、宮古、八重山を含めて、公立私立の師範、高等、中学、21校の学徒が、学徒動員として戦場に駆り出され学徒隊と呼ばれ、男子は戦車への肉迫攻撃や遊撃切り込み等への戦闘参加や通信、伝令、陣地構築、弾運びなど兵士と同じ任務を、女子は看護を命じられ従軍するという極限の事態にさらされました。
その動員の実態は、判明している数で2千数百人以上に及び、そのうち約半数の千人以上の若い命が犠牲となり、ひめゆり学徒隊をはじめとして各学校ごとの関係者のご努力で今日まで慰霊祭が執り行われ、まさに沖縄全域で6月は線香の香りと鎮魂の祈りが木魂する命どぅ宝、反戦の誓いの祈り一色に包まれます。

憲法前文に掲げる諸国民の公正は、まず国内政治の公正が要請されるはずですが、想像を絶する沖縄戦を経て、70年を経た今日の沖縄は、国土面積0.6%の県土に米軍専用施設の約74%を背負わされております。
沖縄県議会での米軍基地問題での今日までの意見書決議は396件に及び、戦没者の遺骨収集もあと数十年はかかると言われ、引き渡しの促進、DNA鑑定の課題、沖縄戦戦闘の巻沿いによる犠牲者の新たな方法による補償の問題、オスプレイの強行配備、辺野古新基地建設問題等、差別的荷重の実態や、さまざまな戦後処理が山積された現実にあって、いまだに終わらない戦後処理の真っ只中にあると言っても過言ではありません。

沖縄戦の時、沖縄県会も県民も蚊帳の外におかれ、現実を知らされず、あまりにも無力でした。
その教訓と反省に立ち、沖縄県議会は今年も全ての参列者のみなさまと共に、二度と戦争を起こさないために、悲惨な沖縄戦の実相を子々孫々に語り継ぐと共に、平和で明るい沖縄の未来に向け、「沖縄のことは沖縄県民が決める」この民主主義の根幹に立ち、県民に寄り添い、全力を尽くしていくことをここに誓います。

結びに、ここ沖縄が先の大戦から学んだ命どぅ宝の教訓を世界に発信し、また近隣諸国と繋がって行く平和と交流の島となることを祈願するとともに、全ての御霊のご冥福とご遺族並びにご参列の皆様のご健勝を心から祈念申し上げまして、式辞といたします。

平成27年6月23日
沖縄県議会議長 喜納昌春

3. 黙祷

司会:戦没者のご冥福と世界の恒久平和を祈念いたしまして、1分間の黙とうを捧げます。
正午の時報に合わせますので、しばらくお待ちください。
恐れ入りますが、皆さまご起立を願います。

黙祷。

黙祷を終わります。ご着席ください。

4. 追悼の言葉 沖縄県遺族連合会会長 照屋苗子

司会: 追悼の言葉。沖縄県遺族連合会会長照屋苗子(てるや・なえこ)殿

照屋苗子遺族連合会会長:追悼の言葉。本日ここに内閣総理大臣はじめ、駐日米国大使、並びに各界代表の方々及びご遺族多数ご参列のもと、沖縄県主催による沖縄全戦没者追悼式が挙行されるにあたり、戦没者遺族を代表して、謹んで哀悼の言葉を申し上げます。

今年はあの凄惨な沖縄戦から70年、忌まわしい地獄のような戦争体験が昨日のように脳裏に浮かび、胸が張り裂けるのを覚えます。
御英霊の皆様は祖国の繁栄と平和を願い、家族の幸せを念じながら戦場へと赴き帰らぬ人となり、また一般の住民が戦火に巻き込まれ倒れたことは、さぞ無念だったことでしょう。
歳月を経た今日でも深い悲しみと、追慕の情は募るばかりです。
御英霊の皆様と過ごした在りし日の状況が瞼に浮かびます。
楽しかった時の皆様の笑顔、悲しかった時は共に涙し、反抗したときの目を吊り上げた顔が瞼に浮かび、目頭が熱くなるのを禁じえません。
皆様を失った私たち遺族の悲しみは海よりも深く、筆舌に尽くしがたく、時には心が折れそうな時もありましたが、その心の痛みに耐え、お互い助け合い励まし合いながら、御英霊の面影を胸に懸命に生き抜いてまいりました。

1945年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸。日米両軍による地上戦は凄惨を極め、一般住民をも巻き込む悲惨な戦闘が行われ、当時の人口の約3分の1に相当する20万人余の尊い命が犠牲になり、甚大な損害を被りました。
終戦から70年、いまだに地下に埋没したご遺骨が発見され、公共工事や宅地造成工事現場では米国製艦砲弾の不発弾も発見され、沖縄の戦後はいまだに終わっていないのだと実感しております。

私たち戦没者遺族は、英霊顕彰と平和運動を推進するため県内各地全国都道府県から遺族の代表が参集し、南部の激戦地を御霊のご冥福と世界恒久平和を祈願し、第54回慰霊大行進を実施、ただ今この追悼式に参列いたしております。

沖縄にはいまだ広大な米軍基地があります。
米軍普天間飛行場の早急なる県外移設を熱望すると同時に、戦争に繋がる基地建設には遺族として断固反対いたします。

二度と悲惨な歴史を繰り返さぬよう、戦争から学んだ教訓と平和の尊さを次世代に継承し、恒久平和に向けて、なお一層精進することをお誓い申し上げます。
本日の追悼式に、安倍晋三内閣総理大臣がご参列下さり、戦没者の御英霊にご冥福をお祈りされますことに遺族を代表いたしまして心よりお礼申し上げます。

結びに御霊のご冥福と、ご臨席の皆様方、ご遺族の皆様方の御多幸と御健勝をお祈り申し上げますと共に、日本の平和と発展を心から祈念し、追悼の言葉といたします。

平成27年6月23日
一般財団法人沖縄県遺族連合会会長 照屋苗子

5. 献花

司会:献花に合わせて糸満市立西崎小学校、南城市立大里南小学校の児童の皆さんに合唱して頂きます。また献花補助は、県立沖縄水産高等学校の生徒の皆さんです。ただ今から献花を行います。

(合唱曲:『月桃の花』作詞・作曲/海勢頭豊)

沖縄県知事
沖縄県議会議長
沖縄県遺族連合会会長
沖縄県平和記念財団会長

内閣総理大臣殿
衆議院議長殿
参議院議長殿

続いてご案内する皆様は、ご一緒に献花をお願いいたします。

沖縄及び北方対策担当大臣殿
厚生労働大臣殿
厚生労働副大臣殿
外務大臣殿
防衛大臣殿
衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長殿

続いて

日本遺族会会長殿
沖縄協会会長殿

続いて、衆議院議員

照屋寛徳殿
赤嶺政賢殿
下地幹郎殿
西銘恒三郎殿
玉城デニー殿

続いて、衆議院議員

宮崎政久殿
比嘉奈津美殿
国場幸之助殿
仲里利信殿

続いて、参議院議員

糸数慶子殿
島尻安伊子殿
儀間光男殿

続いて、

内閣府沖縄総合事務局長殿
那覇地方裁判所所長殿
航空自衛隊南西航空混成団司令殿

続いて、

沖縄市長会会長殿
沖縄県市議会議長会会長殿
沖縄県町村会会長殿
沖縄県町村議会議長会会長殿
糸満市長殿
沖縄県傷痍軍人家族の会会長代理殿

続いて、

高校生代表、沖縄県立糸満高等学校3年生
てるや・ともやくん
うらさき・のりえさん

中学生代表、糸満私立西崎中学校2年生
ただ・いつきくん
きんじょう・ももさん

小学生代表、糸満市立高嶺小学校6年生
やましろ・きょうへいくん
たましろ・ひよりさん

平和の詩朗読者、沖縄県立与勝高等学校3年生
知念捷(ちねん・まさる)くん

続いて、

駐日米国大使殿
在沖総領事館総領事殿
在日米軍沖縄地域調整官殿

これをもちまして献花を終わります。

6. 平和宣言 沖縄県知事翁長雄志

司会:平和宣言、沖縄県知事翁長雄志

翁長知事:70年目の6月23日を迎えました。私たちの郷土沖縄では、かつて、史上稀に見る熾烈な地上戦が行われました。20万人余りの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。それは、私たち沖縄県民がその目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望しているからです。

戦後、私たちは、この思いを忘れることなく、復興と発展の道を力強く歩んでまいりました。
しかしながら、国土面積の0.6%にすぎない本県に、日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73.8%が集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発に様々な影響を与え続けています。米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合はわずか0.7%しか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります。

沖縄の米軍基地問題は我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。特に、普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは困難であります。

そもそも、私たち県民の思いとは全く別に、強制接収された世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、「その危険性除去のため辺野古に移設する」、「嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは、到底県民には許容できるものではありません。国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎を築くことはできないのです。

政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。

一方、私たちを取り巻く世界情勢は、地域紛争やテロ、差別や貧困がもととなり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳が蹂躙されるなど悲劇が今なお繰り返されています。
このような現実にしっかりと向き合い、平和を脅かす様々な問題を解決するには、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。

戦後70年を迎え、アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人達の『万国津梁』の精神を胸に刻み、これからも私たちはアジア太平洋地域の発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、いつまでも子ども達の笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。

慰霊の日に当たり、戦没者のみ霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。

平成27年6月23日
沖縄県知事翁長雄志

7. 平和の詩の朗読 県立与勝高等学校3年生知念捷

司会:平和の詩の朗読。第25回児童・生徒の平和メッセージ詩部門において約2300件の応募の中から最優秀賞を受賞しました県立与勝高等学校3年生知念捷(まさる)くんによる朗読。題名、「みるく世(ゆ)がやゆら」です。

知念捷さん

みるく世がやゆら
平和を願った 古(いにしえ)の琉球人が詠んだ琉歌が 私へ訴える
「戦世(いくさゆ)や済(し)まち みるく世ややがて 嘆(なじ)くなよ臣下 命(ぬち)ど宝」
七〇年前のあの日と同じように
今年もまたせみの鳴き声が梅雨の終りを告げる
七〇年目の慰霊の日
大地の恵みを受け 大きく育ったクワディーサーの木々の間を
夏至南風(かーちーべー)の 湿った潮風が吹き抜ける
せみの声は微かに 風の中へと消えてゆく
クワディーサーの木々に触れ せみの声に耳を澄ます
みるく世がやゆら
「今は平和でしょうか」と 私は風に問う
花を愛し 踊りを愛し 私を孫のように愛してくれた 祖父の姉
戦後七〇年 再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた 祖父の姉
九十才を超え 彼女の体は折れ曲がり ベッドへと横臥する
一九四五年 沖縄戦 彼女は愛する夫を失った
一人 妻と乳飲み子を残し 二十二才の若い死
南部の戦跡へと 礎へと
夫の足跡を 夫のぬくもりを 求め探しまわった
彼女のもとには 戦死を報せる紙一枚
亀甲墓に納められた骨壺には 彼女が拾った小さな石
戦後七〇年を前にして 彼女は認知症を患った
愛する夫のことを 若い夫婦の幸せを奪った あの戦争を
すべての記憶が 漆黒の闇へと消えゆくのを前にして 彼女は歌う
愛する夫と戦争の記憶を呼び止めるかのように
あなたが笑ってお戻りになられることをお待ちしていますと
軍人節の歌に込め 何十回 何百回と
次第に途切れ途切れになる 彼女の歌声
無慈悲にも自然の摂理は 彼女の記憶を風の中へと消してゆく
七〇年の時を経て 彼女の哀しみが 刻まれた頬を涙がつたう
蒼天に飛び立つ鳩を 平和の象徴というのなら
彼女が戦争の惨めさと 戦争の風化の現状を 私へ物語る
みるく世がやゆら
彼女の夫の名が 二十四万もの犠牲者の名が
刻まれた礎に 私は問う
みるく世がやゆら
頭上を飛び交う戦闘機 クワディーサーの葉のたゆたい
六月二十三日の世界に 私は問う
みるく世がやゆら
戦争の恐ろしさを知らぬ私に 私は問う
気が重い 一層 戦争のことは風に流してしまいたい
しかし忘れてはならぬ 彼女の記憶を 戦争の惨めさを
伝えねばならぬ 彼女の哀しさを 平和の尊さを
みるく世がやゆら
せみよ 大きく鳴け 思うがままに
クワディーサーよ 大きく育て 燦燦と注ぐ光を浴びて
古のあの琉歌(うた)よ 時を超え今 世界中を駆け巡れ
今が平和で これからも平和であり続けるために
みるく世がやゆら
潮風に吹かれ 私は彼女の記憶を心に留める
みるく世の素晴らしさを 未来へと繋ぐ

8. 来賓挨拶 内閣総理大臣安倍晋三

司会:来賓挨拶。内閣総理大臣安倍晋三殿

安倍内閣総理大臣:戦後70年沖縄全戦没者追悼式に臨み、沖縄戦において、戦場に斃(たお)れた御霊、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に向かい、謹んで哀悼の誠を捧げます。

先の大戦において、ここ沖縄の地は、国内最大の地上戦の場となりました。県民の平穏な暮らしは、にわかに修羅のちまたと変じ、豊かな海と緑は破壊され、20万人もの尊い命が失われました。戦火のただ中で、多くの夢や希望を抱きながら倒れた若者たち、子どもの無事を願いつつ命を落とした父や母たち。平和の礎に刻まれた多くの戦没者の方々が、家族の行く末を案じつつ、無念にも犠牲となられたことを思うとき、胸塞がる気持ちを禁じ得ません。

私たちは、この不幸な歴史を深く心に刻み、常に思いを致す。そうあり続けなければなりません。筆舌に尽くしがたい苦難の歴史を経て、今を生きる私たちが、平和と、安全と、自由と、繁栄を、享受していることを、改めて、かみしめたいと思います。

私はいま、沖縄戦から70年を迎えた本日、全国民とともに、まぶたを閉じて、沖縄が忍んだ、あまりにもおびただしい犠牲、この地に斃れた人々の流した血や、涙に思いを致し、胸に迫り来る悲痛の念とともに、静かに頭を垂れたいと思います。
その上で、この70年間、戦争を憎み、ひたすらに平和の道を歩んできた私たちの道のりに誇りを持ち、これからも、世界平和の確立に向け、不断の努力を行っていかなくてはならないのだと思います。

美しい自然に恵まれ、豊かな文化を有し、アジアと日本をつなぐゲートウェーとしての沖縄。イノベーションをはじめとする新たな拠点としての沖縄。沖縄は、その大いなる優位性と、限りない潜在力を存分に活かし、飛躍的な発展を遂げつつあります。沖縄の発展は、日本の発展を牽引するものであり、私が、先頭に立って、沖縄の振興を、さらに前に進めてまいります。

沖縄の人々には、米軍基地の集中など、永きにわたり、安全保障上の大きな負担を担っていただいています。この3月末に西普天間住宅地区の返還が実現しましたが、今後も引き続き、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしてまいります。

結びに、この地に眠る御霊の安らかならんこと、御遺族の方々の御平安を、心からお祈りし、私のあいさつといたします。

平成27年6月23日
内閣総理大臣安倍晋三殿

9. 来賓挨拶 衆議院議長大島理森

司会:来賓挨拶。衆議院議長大島理森 (おおしまただもり)殿

大島衆議院議長:戦後70年という節目を迎え、本日ここに沖縄全戦没者追悼式が挙行されるにあたり、衆議院を代表して謹んで哀悼の意を申し上げます。

先の大戦では多くの国民の皆様が空襲などで命を落とし、家族を失われました。
とりわけ沖縄では鉄の暴風と称されるほどの熾烈な地上戦が繰り広げられ、一般市民を含む多くの尊い命が奪われました。ここ平和公園にある平和の礎には、24万を超える国内外の戦没者のお名前が刻まれています。この膨大なお名前を前にするとき、沖縄戦の犠牲がいかに甚大なものであったか、その現実を目の当たりにし胸が詰まる思いであります。
戦没者の御霊に対し、心よりご冥福をお祈りいたしますとともに、大切な方を失われたご遺族の皆様に謹んでお見舞いを申し上げます。

我が国は敗戦により、国土は荒廃し、甚大な被害を被りましたが、先人たちの不断の努力により見事に立ち直り、今日の平和と豊かさを築きあげて来ました。
私も戦後生まれのひとりとして、身を持って体験してまいったことであります。

しかし美しい沖縄の大地に刻まれた筆舌に尽くせぬ苦難の歴史を経て、この繁栄があることを決して忘れてはいけません。
戦後70年が経ち、私を含め戦争を知らない世代が多数を占めるようになった現代においてこそ、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継いでいくことの重要性を強く感じます。
戦争を体験した世代が高齢化する中で、戦禍の記憶を風化させないよう同じ悲劇は二度と繰り返さないという思いを実感として伝えることは、大きな意義のあることであります。

沖縄戦の象徴であるひめゆり学徒隊の凄惨な現実を伝えるため、1989年より修学旅行生など団体向けに行われていた元ひめゆり学徒による講話が語り部の皆様方の高齢化により本年3月をもって終了いたしたと伺っております。
しかしこの活動は元ひめゆり学徒から直接学び、一緒に調査研究を続けてきた戦争を知らない世代が引き継ぎ、次世代による平和講話として、今後も続けられると伺っております。

こうした戦争体験を継承する取り組みが、戦争を過去のものとせず、自らの問題として捉えるという意識の涵養を促す契機となることを切に願います。
沖縄はかつて海を通じて多くの国々と交易し世界を繋ぐ架け橋として繁栄を築いた万国津梁の地であり、その長い歴史の中で平和を希求する心根が培われて参りました。私たちはその沖縄の心をより深く理解し、常に思いを致しながら、我が国の平和を維持するための現下の諸課題の解決に取り組んで行かなければいけないと存じます。

初代沖縄開発庁長官を務められました山中貞則先生は沖縄担当の閣僚となった後輩議員に対して次のように心構えをお話しされたと伺っております。
「沖縄の人の心になって、沖縄の人の眼で東京を見なさい。決して東京から沖縄を見てはいけない」
私も山中先生のこの教えを胸に刻み、努力して参らなければならないと思っております。

結びに、戦没者の御霊が安らかならんことをお祈り申し上げますとともに、ご遺族の心の平安と御健勝をお祈りして追悼の言葉といたします。

平成27年6月23日
衆議院議長大島理森

10. 来賓挨拶 参議院議長山崎正昭

司会:来賓挨拶、参議院議長山崎正昭(やまざきまさあき)殿

山崎参衆議院議長:本日ここに戦後70年沖縄全戦没者追悼式がとり行われるにあたり、すべての戦没者の御霊に対し、参議院を代表いたしまして謹んで哀悼の誠を捧げます。

この地における70年前の戦闘は、多くの民間人をも巻き込んだ熾烈な地上戦であり、20万人以上もの尊い人命を奪い、日々の暮らし、美しい自然、文化遺産の全てをも破壊いたしました。
極限状態の中で命を落とされた方々の御無念、かけがえのない肉親を失われたご遺族皆様方の深い悲しみ、そしてその後の長きにわたる御労苦に思いをいたしますと、誠に痛惜の念にたえません。

戦後、沖縄の方々は幾多の苦難を乗り越えて、今日の発展を築いて参られました。
しかしこの間、米国統治は27年間に及び、本土復帰から40年以上を経た今もなお、米軍の基地の集中を初めとした諸問題が、県民の皆様方にとって大きな負担となっておりますこともまた事実であります。
残された諸問題の解決に向けて、参議院といたしましても関係委員会の審議や調査活動を通じまして、一層の力を尽くして参る所存でこざいます。

県内のそこかしこに残る戦跡は、戦後70年を迎える今も、戦争の引き起こす悲惨な現実を私どもに突き付けて参ります。
かつて戦場となったここ沖縄の地において、平和の尊さを後々の世代にまでしっかりと伝えて参りますことを改めてお誓いする次第であります。

結びに、戦没者のご冥福を心よりお祈り申し上げますとともに、ご遺族皆様方のご平安と沖縄の今後ますますのご発展を強く祈念いたしまして、私の追悼の言葉とさせて頂きます。

平成27年6月23日
参議院議長山崎正昭

11. 閉式の辞 沖縄県副知事安慶田光男

司会:閉式の辞。沖縄県副知事安慶田光男あげだみつお)

安慶田光男副知事:閉式の辞。本日は戦後70年沖縄全戦没者追悼式を挙行しましたところ、御来賓、御遺族並びに国民県民の多数のご参列を頂き、ここに厳粛に滞りなく式を終了出来ましたことを、深く感謝申し上げます。
とりわけ、安倍内閣総理大臣をはじめ、大島衆議院議長、山崎参議院議長、他、御来賓の皆様方には、公務御多忙中の折り、厳しい日程を割いてご参列いただき、献花並びにご挨拶を賜りましたことに対し、心から篤く御礼を申し上げます。
また多くの弔電を賜りましたことに対しても、篤く御礼を申し上げます。

これをもちまして、戦後70年沖縄全戦没者追悼式を閉式といたします。
どうもありがとうございました。

司会:以上をもちまして、沖縄全戦没者追悼式典を終了いたします。
来賓の方々の御退場についてご案内いたします。安倍内閣総理大臣、大島衆議院議長、山崎参議院議長、並びに御来賓の皆様には、次の日程にお発ちになります。

(了)

批評.COM  篠原章
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