中山義隆 石垣市長 日本記者クラブ会見(全文書き起こし)

9月7日に沖縄県石垣市の中山義隆市長が日本記者クラブ(東京)で会見を行いました。

同市長は、尖閣諸島を市域として管理する立場から、八重山地方の「防衛」の必要性を訴え、従来より翁長知事の唱える「オール沖縄」による辺野古移設反対運動とは一線を画しています。この会見でも、中山市長は、尖閣諸島を抱える石垣市の「危機感」を強調しています。

また、この8月には、那覇市の城城間幹子市長と名護市の稲嶺進市長の二人を除いた沖縄県の9市長が集まり、「沖縄の振興を考える保守系市長の会」(会長は下地敏彦宮古島市長。略称は「オール沖縄」ならぬ「チーム沖縄」)を結成しましたが、中山市長は、同会結成の立役者と目されています。記者クラブでもこれに関する質問が出されています。中山市長によれば、同会に参加した市長たちは、翁長知事は辺野古移設問題だけに専心して沖縄振興を忘れている、という認識を共有しているようです。

また、市長は終盤で、那覇軍港の移設問題や沖縄の独立問題についても触れています。沖縄県の首長が那覇軍港移設問題や独立問題について公式に発言した例は稀で、しかも東京の記者クラブで発言したことには大いに注目したいと思います。

批評.COMでは、中山市長による会見と質疑応答に、「沖縄保守の新しい胎動」が見られると判断し、その全文を書き起こして掲載することとしました。文中の【 】内は批評.COMによる補足です。なお、聞き取り元となっている資料は日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)が公開する以下の動画です。

動画
中山義隆 石垣市長 「沖縄から考える」(6) 2015.9.7

日本記者クラブ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2015/09/r00031642/
2015年9月7日    11:00 – 12:00
石垣市長 中山義隆    10階ホール

会見メモ
尖閣諸島が属する沖縄県石垣市の中山義隆市長が会見し、記者の質問に答えた。
司会:原田正隆 日本記者クラブ企画委員(西日本新聞)

司会(原田正隆氏)
お待たせしました。日本記者クラブの今日の記者会見ですけども、沖縄から考えるシリーズ6回目ということで、沖縄県の石垣市長中山義隆さんをゲストにお迎えしております。

中山さんをお迎えした理由は、みなさんご存知のように石垣市が尖閣諸島を所轄しておりまして、相次ぐ中国の公船、民間の船、そういう領海侵犯の最前線の現場にあるということで、その実態を今日は直接お話し頂きたいという事です。
そうした背景から中山市長さんは、現在議論されてます安全保障法制、これについては、国境の離島防衛、これの抑止力の強化のために、アメリカと連携して防衛にあたるべきだということで、安保法制については今国会での成立に賛成されております。

沖縄にはいろんな考え方があるという事で、今日はそういうお話を直にお伺いできる機会となります。
中山さんの、簡単にプロフィールをご紹介いたします。

現在48才と非常にお若い市長さんです。野村証券に勤務をなさったあと1996年に石垣島に戻られまして、その後八重山の青年会議所の理事長であるとか、あるいは日本青年会議所で役員さんを務められたりしまして、石垣市議を経られまして、2010年に石垣市長に初当選なさって、現在2期目ということであります。

それでは中山市長には30分程度お話しを頂いて、その後会場の皆様方からの質問にお答え頂きたいと思います。今日は、司会は日本記者クラブの企画委員の原田が担当させて頂きます。
それでは市長、よろしくお願いします。

中山石垣市長
みなさまこんにちは。石垣市長の中山義隆でございます。
本日は日本記者クラブの席で私の意見を述べさせて頂く機会を頂きましたことを改めて感謝申し上げます。大変ありがとうございます。

私の着ています服ですが、沖縄ではかりゆしウエアがクールビズとして有名ですが、石垣島、八重山地方はミンサー織という織物がございまして、その織物の織り柄を入れているものを私たちの地域ではミンサーウエアということで夏の間クールビズということで使わせて頂きますので、今日はこの席で、着用させて頂くことをご了解頂きたいと思います。

まず、石垣市の紹介をさせて頂きます。

石垣市は日本列島及び琉球弧の南西端にありまして、沖縄県の県庁所在地の那覇市から約411km南西に離れている地域でございます。また東京から1952kmということでございますが、実は県庁所在地の那覇、沖縄本島よりもですね、台湾が200kmちょっとという所でございまして、沖縄本島よりも台湾が近いという地理的状況でございます。

亜熱帯海洋性気候で石垣と周辺の離島、および尖閣諸島で構成されます八重山の海が、我が国の最大の石西礁湖というサンゴ礁を抱えた海域でございます。

平成25年3月に新石垣空港が開港いたしまして、それを契機として観光も非常に伸びて来ている地域でございます。全国の離島でもあまり例のないような、人口の増えている地域でございます。

さて、石垣市の管轄する尖閣諸島についてご説明をさせて頂きます。

東シナ海に点在する無人の島嶼部でありますが、魚釣島、南小島、北小島、久場島、大正島、更には沖の北岩、沖の南岩、飛瀬(とびせ)、とみっつの岩礁等からなっております。

石垣市の行政区域の中ですが、もっとも大きな魚釣島は石垣市から北西約170kmという位置でございます。周辺海域は非常に良好な漁場として知られておりまして、明治時代から昭和の初期にかけましては、羽毛の採取や鰹節の製造などで多くの人が魚釣島等で生活をしておりました。

尖閣諸島の位置の中におきましては、東シナ海の海底に石油の埋蔵の可能性があるというようなかたちで、1968年(昭和43年)に国連アジア極東経済委員会から報告がありまして、それ以降、中国及び台湾が領有権を主張するような場所になっている所でございます。

今日、9月7日でございますけれども、何の因果かわかりませんが、ちょうど5年前の平成22年9月7日に中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突するという事件が起こりました。このことは記憶に新しく、私たちにとっても大変大きな衝撃でありました。尖閣諸島の付近で違法操業中の中国漁船が、取り締まりを実施した海上保安庁の巡視船2隻に体当たりをして来た事件であります。その際、ビデオの流出等、いろいろありまして、そこで、これまでなかなか議論されてこなかった国境離島である尖閣諸島が国民全体が知るというところに至ったわけであります。

中国漁船の衝突事件を契機としまして、本市の尖閣諸島を取り巻く環境は激変してまいりました。
ご存知のように平成24年に当時の東京都石原都知事が、尖閣諸島を買い取るというようなお話をして、全国各地から多額な寄付が寄せられたのも記憶に新しいところでございます。

その年の9月11日に日本政府が所有者から3島を購入し、所有権を国有化ということになりまして、それ以降、石垣市の尖閣諸島周辺では、中国公船によります領海侵入が連日のように繰り返されているというような状況であります。
特に公船によります領海侵入は、国による国有化前の5回という数字から、国有化後の3年間で既に129回というところまで及んでおります。

また、中国海洋局所属の固定翼機によります尖閣の領空侵犯も起こっているのも事実であります。
このような現状に関しまして、私どもとしては大変大きな不安を感じるとともに、不測の事態が起こり得ないかということを不安視しているところでございます。

先にもお話ししましたけれども、尖閣諸島の周辺の海域はマチ類、カツオ類等、多くの魚が獲れる良好な漁場であります。漁業者においては、この不測の事態を恐れて、現状、漁を控えるという事態になっております。

尖閣諸島につきましては、我が国固有の領土であり歴史的にも国際法上もということでお話をさせて頂いておりますが、歴史を紐解いてみますと1885年(明治28年)1月14日に尖閣諸島が日本の領土に編入されまして沖縄県の所管とするとともに、そのことを閣議決定されました。

翌明治29年に沖縄県から尖閣諸島の開拓許可を得た古賀辰四郎氏が尖閣諸島の開拓に着手しました。アホウドリの羽毛の採取をはじめとする事業を展開しておりました。1902年(明治35年)には、尖閣諸島が現在の石垣市である石垣島大浜間切登野城村に編入されまして地番が確定しております。

現在は無人でありますけれども、当時開拓者の古賀辰四郎氏にちなみ古賀村と呼ばれる様な村があり、最盛期には99戸248人が生活し、漁業やカツオブシ工場が行われたという記録や写真等が残っております。

1945年(昭和20年)、太平洋戦争の末期でございますが、石垣町民を乗せ台湾に向かっていた疎開船が米軍の攻撃を受け、魚釣島に漂着した「尖閣諸島戦時遭難事件」が発生しました。多くの人が食料のない悲惨な状況で亡くなったと言われております。この遭難事件で亡くなられた方々の慰霊のために、石垣市は1969年(昭和44年)に「台湾疎開石垣町民遭難慰霊碑」を魚釣島に建立しまして、慰霊祭を実施したという経緯があります。

現在でも残された遺骨があるというふうに言われておりまして、人道的立場からも遺骨収集や慰霊祭の実施を求める声があります。また議会の方でもそれを政府に対して要請しております。

しかしながら、尖閣では今、連日厳しい状況でありまして、政府も慎重な姿勢、そしてまた厳戒態勢で臨んでいるということもあり、それは実現できてない状況でございます。

石垣市におきましては、1月14日を「尖閣諸島開拓の日」といたしまして、平成22年に条例を制定いたしました。日本国政府が明治28年の1月14日に尖閣諸島を我が国の領土と閣議決定した日であります。

石垣市の行政区域である尖閣諸島を今後ともしっかりと守っていく、中国政府が主張しているような領土問題はそもそも存在しないということを明確に訴えて参りたいと思ってます。

ただ、現状は中国海警局【日本の海上保安庁に相当】等の【中国】公船による領海侵犯や尖閣諸島周辺海域での中国海軍の活動などが急速に拡大活発化しているのが現状であります。

市長として現状に対し、大変危機感を感じているところでございます。市民住民の生命財産を守ることは、私のもっとも大事な仕事のひとつであると考えております。平成25年には、尖閣諸島の通過を伴う中国海軍艦艇の活動が計8回、沖縄南方海域での活動が計4回されたと、確認をされております。このような状況を鑑みて、日々の環境が悪化し、現実的な脅威が高まって来ているというふうに感じているところでございます。

更に安全保障環境の現実的な脅威といたしましては、北朝鮮のミサイルの発射というのがございました。2012年(平成24年)に、2度にわたりまして北朝鮮が人工衛星打ち上げと称し、ミサイルの発射実験を行いました。北朝鮮のミサイル発射につきましては、その軌道が石垣島上空ということで設定され、市民が大変驚いたところでありまして、防衛省において万が一に備え、石垣島にPAC3の配備を一時展開したところでございます。

平成24年の12月には、北朝鮮が世界の意表を突きミサイルを発射させ、ミサイルが本市の上空を通過いたしました。本市の直接的な被害はありませんでしたが、市民はこの事態に大変な驚きと不安になりました。自分たちの住んでいる地域がミサイルの射程距離に十分入っているということであります。北朝鮮はミサイルの発射を含みます挑発的な行動を繰り返しておりますが、ミサイル、または核開発の進展というものは日本の安全保障についても大変な脅威であると認識をしているところであります。

石垣市の尖閣諸島で、中国が領海侵犯を行っていること、近隣諸国でさまざまな不安定要素が出て来ているということを考えまして、これ以上の状況の悪化を止める手立てとしては、政府にしっかりとした外交の中での、もちろん平和的に話し合いで解決されるのがもっとも(ふさわしい策)でございますが、政府が、力による【中国の】現状維持【現状変更?】を容認しないという立場をしっかりと示すと同時に、それに対する備えも作って頂くことが必要かと考えております。

現在国会において審議されておりますが、安全保障関連法案につきましては、我が国の自衛権に基づいて自衛隊が米軍とも必要に応じ連携しつつ、いかなる状況においても対応できる体制を作り、日本の平和と安全をより確かにするもの、また沖縄を含む全体の安全保障が強化されるものであると考えております。

石垣市は日本最南端の自然文化都市を目標としております。昭和59年には非核都市宣言、平成11年には平和港湾宣言、平成23年には核廃絶平和都市宣言を行い、世界に冠たる平和都市を目指していきたいと考えております。

また、観光で伸びていく地域だと認識しておりまして、1967年の国際観光年のスローガンになります「観光は平和へのパスポート」という理念がございますが、それを取り上げまして、人種や国籍、また宗教の垣根を越えて、多くの人々が私たちの島に訪れて頂いて、その中で相互理解や協調、相手の国々に対する思いやり等が芽生えることによって世界平和、国際平和に寄与することが出来る地域であると確信しております。今後とも国際色豊かな観光地、また文化交流の出来る地域を目指してまいりたいと考えております。

私たちの住んでいる石垣市、石垣島と尖閣諸島、これは日本の最南西端に位置する国境の島であります。連日による領海侵犯等が起こっておりますが、政府につきましては海上保安庁の警備の増強、巡視船の増強等で対応して頂いております。そういった職員の皆さま方のご苦労に対しても、大変頭が下がる思いであります。

今後とも海上保安庁、またそれ以上の安全保障の中で我が国の領土がしっかりと守られていくことを期待しているところでございます。

中山石垣市長
石垣市につきましての考え方、現状は今ご報告させて頂いた通りでございますが、私が沖縄県の中の一市長という事で、是非皆さま方にお話ししておきたいことがございますので、この場を借りてお話しさせて頂きたいと思います。

現状、今、安保法制が国民の間で話題になっているところでありますが、沖縄の県内においても一緒でございます。
そしてもうひとつ、沖縄の中では普天間の辺野古への移設がどうなるのかというところが話題の中心になっていますが、私は辺野古周辺住民のみなさんの理解、また容認、認める前提があった上で、辺野古移設は容認する立場で活動させて頂いております
と申しますのも、普天間の基地周辺の危険性除去というのが、一番最初のとっかかりでございますので、その危険性の除去を最優先に考えた場合に、理想は県外移設、国外移設というような話があるでしょうが、一歩でも二歩でも話を前に進めるためには県内移設も止む無しというふうに考えております。
ただ、その考え方自体が、もうひとつ反対の考え方の皆さんがいらっしゃいまして、普天間基地の県内移設反対、新基地建設反対という事で意見を述べられる方がいらっしゃいますが、それだけが沖縄の全部の意見だというような形で報道されているような感触を、実際に島に住んでいる人間として、そのように感じます。
沖縄の中にはさまざまな意見もありまして、私のような考え方を持っている方もたくさんいらっしゃるということもご理解頂いてですね、是非、中央のメディアの皆さま方も、沖縄の現状を沖縄の方に足を運んで頂いて見て頂ければ、と考えております。

私の今の考え方を述べた後で、是非皆さま方のご質問に対してお答えをさせて頂きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

司会
はい、ありがとうございました。

国境の島ならではの地政学的な意味、そこから出てくる沖縄本島、あるいは沖縄県との意識差というか置かれた立場がちょっと違う、考え方もちょっと違うというようなご指摘もありました。会場の皆さんからご質問を受けたいと思いますが、その前に私の方からひとつ。

今日は日本政府と沖縄県との集中協議、普天間の移設に関する集中協議の最終回が夕方官邸で行われるという事で、安倍首相も改めて辺野古しかないんだと、移設先は辺野古しかないと仰ってます。それで翁長知事の方は、今は工事中断してますが、これが再開される見通しになると思いますけれども、その場合は承認を取り消す、それで対抗すると仰ってまして、そういう運びになればまた暗礁に乗り上げる。打開策も含めて、政府と沖縄の対話、それと沖縄県の知事が取っている姿勢については、市長としてはどのようにお考えでしょうか。

中山石垣市長
はい、翁長現知事は当時那覇市長であったわけなんですけれども、辺野古を埋め立て承認をした仲井眞前知事の対抗馬として、知事選に出馬をしてきました。その際の公約として「辺野古NO」ということで当選したわけですから、当然ご自身の公約を実現するためにいろいろと手立てをとられているという事に関しては、これはもう、その立場に関してはそういう考え方でしょう、と思っております。

ただ、現実問題として日本とアメリカとの取り決め、また当時の辺野古に関しての合意をした上での、名護市長と政府との取り決めの中で、辺野古移設が一旦動き出して、ただ鳩山、当時は党首だったんですけれども、民主党が政権を取る前に、沖縄県の候補者のパーティの激励会の中で「最低でも県外」という言葉を発した中で、政権が変わったと。

そうすると沖縄県民としては、「あ、県外できるんだ」というような認識の中で期待をしたわけですが、それが実際のところ辺野古しかないという事で、また話が戻ってきました。それを翁長さんが県知事に立候補して、「辺野古NO」だということで動いておりますけれども、現実問題として私たちとしては日米の中での合意、そしてまた実際に動き出している辺野古しか今現状として対応策はないのかなと思っています。

司会
はい、ありがとうございます。それと、もうひとつ。

沖縄の中の市長さんたちが、一部の那覇市等を除いて、市長会【冒頭で触れた「沖縄の振興を考える保守系市長の会」】を作られて今後アクションを起こすという事でございますけれども。これは、翁長知事に対抗…考え方を異にした方々の集まりと捉えて良いでしょうか。

中山石垣市長
いえ、それはちょっと…(笑)

沖縄県には11市の市があります。そのうちの那覇市と名護市を除いた9つの市の市長が集まりまして、有志の会ですけれども、名称は「チーム沖縄」という形になっておりますが、それを作っております。

なぜ作ったかと言いますと、翁長知事が誕生して以来、【当初】政府と一切面談が出来ない状況で数か月、半年以上の日付が過ぎてたところでありまして【翁長氏の知事就任は昨年12月10日、安倍首相との最初の会談は4月17日。以後、政府首脳と翁長知事の会談のテーマのほとんどは辺野古移設問題】、沖縄県は基地問題だけではなくて、それ以外にも経済振興であったりとか、例えば国民健康保険の財政の問題であったりとか、さまざまな市民生活、県民生活に及ぼすような課題がたくさんあるんですけれども、そういうものが一切政府との協議の場がなくて、県知事が会えてない、副知事も会えてないという状況でありましたので、私どもとしましては、それは当然県政と国政の間のいろんな対立はあるかもしれないけれども、市とか市町村を抱えている首長としてはやはり自分たちの現状を、国と何とかパイプを作りたいという思いで、その9つの市の市長が集まりまして、政府と話し合いが出来る場を持ってもらいたいということで要望させて頂きました。

6月に全国市長会が東京でありましたが、その際にその9市の市長さんと官邸の方で官房長官と連絡を取って、お会いさせて頂きまして、また先だって官房長官が沖縄に来られた時に沖縄の方でも会合をさせて頂きました。

政府と県政は今基地問題でいろいろやってますが、それ以外の課題については私たちがしっかりと情報提供をしながら、地元の実情を訴えていこうということでございます。

必ずしも反翁長の団体を作ったという事ではなくてですね、基地問題以外の沖縄の課題を政府と直接話し合い出来るグループを作ったということでございます。

司会
はい、ありがとうございます。

それでは会場の皆さまから、一問一答形式で進行させて頂きたいと思います。質問のある方は挙手をされた上で、所属のある方は所属、それからお名前を名乗ってください。質問、よろしくお願いします。

質問者
共同通信のカワカミと申します。今日はありがとうございます。
ひとつあの、尖閣での不測の事態への対処の時にですね、日米安保条約の規定をそのまま読むとアメリカが本当に米軍が出て来るのかという疑念はあるかと思います、手続き上。そうすると、日本自体が対処の能力を向上させておく必要があるんではないかという議論もあるかと思いますが、今、石垣の方で自衛隊の部隊の強化、そういうことはどういうふうに考えて取り組まれているのか、ということを教えて頂けますか。

中山石垣市長
はい、今石垣の方でも自衛隊の配備の話が出て来ております。候補地を選定するというようなところまで話が来ておりますが、私としては立場上、市長という立場でありますけれども、自衛隊の誘致については意見を述べておりません。

と申しますのも、国の安全保障とか国防に関しましては、国が考えて策定するものであって、石垣島に自衛隊が必要かどうかというのは私の方からいう事ではないと思っているのですが、ただ自衛隊の配備についてお話があれば、しっかりとテーブルについて意見を聞かせて頂いて、対応させて頂こうと思っております。

尖閣諸島に関しては、現状、海上保安庁が巡視船の増強等を行っておりまして、もともと石垣の方でも1000トンクラスの巡視船が2隻しかなかったところが3隻、4隻となってですね、最終的には10隻まで増やして頂くということになっておりますので、周辺海域の警備については海保の皆さんで十分対応できると思うんですが、ただ今後、もし軍事的な交戦ではなくて、軍の船ともしくは大量に漁船のような形で尖閣諸島の方に上陸を試みるようなことになってきた場合は、当然自衛隊の方で対応すべきことになるんじゃないかなというふうに思っております。

その意味においては、日米安全保障ももちろん大事ですけれども、自衛隊の、的確に対応できるだけの配備等も必要になってくるかな、と思っております。

司会
はい、ありがとうございました。他に質問はございますか。

質問者
基本会員のアカダと申しますが、先程9市の市長の集まりの話がありましたけれども、国とのパイプ役を担うというのは結構でございますし、財政問題等もあるんでしょうけれども、こと基地問題に関して、他の2市との調整役の役割というか、その辺の機微に触れた話まで及ぶことは控えておられるのか、その辺のところのニュアンスを教えてください。

中山石垣市長
はい。2市、那覇市と名護市の市長は、私たち9市の市長とは、選挙戦の流れから行きますと翁長知事を支持した立場と、仲井眞知事を支持した立場という形で別れてはおりますけれども、その調整役という形で私たちが対応できる状況では、今はない状況ですので、私たちはあえて基地問題には県内での調整役には踏み込まずに、翁長知事が政府と話し合いの出来ていない市民生活、県民生活の福祉の向上とかですね、財政的なものとか、経済発展の問題とかいうものについてだけ、対応しようという事になっております。

司会
はい、ありがとうございます。他にございますでしょうか。

質問者
こんにちは、琉球新報のシマです。今日はどうもありがとうございます。
先程の自衛隊配備の件なんですけれども、陸自の配備の以外にも今候補地を選定されている段階という市長は仰ってましたけれども、陸自の配備以外にもミサイル部隊とか、かなり強化された自衛隊の配備という話がチラホラ国政では出てきますけれども、それについて地元の市長としてのお考え、そしてどの程度の防衛体制が島には必要なのかということも含めて、お考えを聞かせて頂けますか。

中山石垣市長
はい、今防衛省の方から来ているのは、石垣島に自衛隊の配備をしたい、ということで、候補地の選定に入りたいので、その許可というか了解を頂きたいということで、それに対しては、石垣市としては了解をさせて頂きました。

部隊の中身、配備の場所、そして先程仰って頂きましたミサイル等がどうなるかということにつきましては、報道等では出ていますけれども、直接的には私の方には話は来ておりませんので、実際に今後配備場所、配備の部隊の内容等が今後話し合いで来ると思いますので、それが来た時点で判断をさせて頂きたいと思ってます。

現時点では、その中身については何も来ていません。

質問者(琉球新報シマ氏)
その程度の防衛力というか、自衛隊の配備が必要なのかということにつきましても…

中山石垣市長
その件につきましても先ほど言いました通り、安全保障の中で、もし石垣に配備するとすればどれくらい必要なということについては私が判断するものでもないですし、全体的な兼ね合いがあると思いますので、現時点で私がどれだけ必要かというふうには思っておりません。

司会
はい、他にございますでしょうか。

質問者
個人会員のオオバヤシと申します。
あの、こういう質問をさせて頂いても意味がないような感じがするんですけれども、今の普天間を巡るこの大変もつれた状況というのは、どういうきっかけで解消に向かうか、あるいは全くダメなのか、市長のお立場から難しいでしょうけれども個人的なお考えでもいいんですけれども、ご感想を聞かせてください。

中山石垣市長
この件につきましては、先ほど述べたものと重複する部分もありますけれども、まずは日米合意の中で、普天間は辺野古へということが決定されて、それを併せまして、嘉手納以南の米軍施設を返還するという合意がなされた上で進んでいた中で、当時の鳩山さんが「最低でも県外」だということを発言して、県民が「それで行けるんだ」と思ってしまった。

で、思ってしまった中で、実際には「行けませんよ」ということでまた話が戻ってきましたんで、その戻ってきた中で沖縄県民の中には、「なんだ、話が違うんじゃないか」というような憤りというかですね、感じたという部分があったと思います。

ただ、その中でも、その後また自民党政権になりまして、実際にはもう辺野古で推進するしかないということで、いろいろな協議を重ねてきた中で、当時の仲井眞知事が承認をした。

そのことに関しては県民の中からも不満も出まして、「おかしいだろう」という話が出てきた中で、また「県外だ」という翁長さんが立候補して来て、その対立軸の中で翁長さんが当選したというところで、今政府と捻じれている状況だというふうに思ってます。

先程も申し上げました通り、辺野古周辺の住民の皆さんが理解を示して頂いている中であればですね、私は解決策の、一番最善の策ではないですけれども、一歩でも二歩でも前に勧めるためには辺野古かなというふうに思っております。これは普天間周辺の住民の生命財産の一番の危険性を除去するのが最優先だと考えております。

司会
はい、それではもう一問だけお受けしたいと思いますが。

質問者
毎日新聞のOBのカネコと申します。
今日のテーマと直接関係ないかと思いますけれども、経済圏で台湾との関係が昔は非常に緊密だったと、戦前は。そういうふうにモノの本に書いてありますけれども、現在、石垣と台湾との間でですね、経済圏とか経済交流とか、何かのそういうプロジェクトあるいは計画があるでしょうか。

中山石垣市長
はい、ありがとうございます。

石垣島には戦前戦後を通じて、台湾から多くの移民の方が来られてます。例えば、石垣島のパイナップルとかマンゴーは、台湾の方が持ち込んだものでありまして、それが今では島の重要作物になっておりまして、島の中でも台湾系の方々が大変、商売農業等でも頑張って頂いて、大変良い関係が作られています。

台湾との航路があったんですけれども、一時途絶えて、ちょっと経済的に行き来が難しくなっていたんですが、最近航路も復活して物流等も進んでおります。

今、石垣の観光のインバウンド、海外からのお客様の中心はほとんど台湾からのお客様です。クルーズ船で来られる方は、年間6万人、7万人というところでありまして、チャーター便の飛行機で来られる方も1万人超える状況です。

石垣市は台湾の蘇澳鎮(すおうちん)というところと姉妹都市を結んでおりまして、今年で20周年になります。

で、与那国島は台湾の花蓮(かれん)市と姉妹都市ですし、竹富町も含めまして八重山圏域と台湾東部との交流を推進しようという事で、今「黒潮経済圏」という形で台湾東部と八重山地域をお互いに行き来をして、ひとつの経済圏として確立していこうということで今事業を進めているところです。

司会
はい、ありがとうございます。もう少々時間がありますが…、はい、どうぞ。

質問者
個人会員のイトウサブロウと申します。
ちょっと浮世離れした話かもしれませんが、英国では今スコットランドの独立の問題が非常に現実的な問題として議論され、国民投票まで行われるという状況なんですけども、沖縄について独立論ということを考えたことがございますでしょうか。

それから、沖縄の独立という事を考える場合に、経済的な条件として、それは果たして現実性が、実現性があるかということを考えたことがあるかどうかということを、感想をお伺いしたいです。

中山石垣市長
はい、沖縄独立論というのは、沖縄の方でもよく言われる言葉でありますけれども、道州制…最近議論がちょっと沈静化してますが、道州制の中においては、沖縄単独州というのが理想だろうというふうに思っております。

が、私としては、沖縄独立というのはないのかなというふうに思っております。かつて琉球王国として栄えていたという歴史の中で、県民の中には琉球王国の末裔という中で「私たちは独立しても生きていけるんだ」という発言をする方もいらっしゃいますが、ただ実際に今、日本の国の中で生きている私たちで、私自身もそうですけれども、ウチナーンチューという沖縄の人間という誇りはありますけれども、それと同時に同じだけ日本人だという意識がありますので、独立というのは現実的ではないのかなと思ってます。

司会
はい、ありがとうございます。

中山石垣市長
すみません、最初の方であまり発言できなかった部分で、述べさせて頂きたいのですが。

今、非常にセンセーショナルなイメージで、普天間基地の辺野古の移設が新基地建設だというふうに言われておりますが、現実的にはキャンプ・シュワブという米軍施設が既にある場所に、基地の中に、その前の海を埋め立てして一部滑走路を作って、普天間を辺野古に移設しようというのが今の辺野古移設案の流れです。

で、これに対して非常に反対運動等が高まっておりまして、辺野古の海を埋め立てるんじゃない、新基地を作るんじゃない、というような意見が大変出ておりまして、それはみなさんご存知の内容だと思いますが、同じような事例が沖縄県内ではもうひとつ案件がございます。

これは那覇軍港を浦添に移設するという案であります。これは、那覇軍港を浦添にありますキャンプ・キンザーという米軍施設の前面を埋め立てして、那覇軍港を浦添に移すということでありますが、これも当初反対運動がだいぶ盛り上がっておりましたが、現状は報道もほとんどされないような状況になっております。で、那覇軍港の浦添移設については、浦添市の松本市長が容認という事で動き始めておりますが、それに対しては反対運動が出て来ていない状況、また報道がされていない状況というのは非常にイビツなのかな、と。

沖縄県内で同じような事例、まずは普天間を海を埋め立てして辺野古に作ることに対しては反対運動が起こってる、と。
那覇軍港を海を埋め立てして浦添に移設するという事に対しては、大きな報道がされていない、ということです。

何故かと言いますと、ひとつは現翁長知事の政策の中で、那覇軍港の浦添移設に対しては反対の立場を取らない、辺野古に対しては反対の立場を取ってる、ということで、それが報道の中で片方しか出てないというのは、報道する権利とか報道しない自由とかあるかもしれませんが、実際に沖縄で何が起こっているかということを、是非メディアの皆さんも調べて頂いて、その部分についても出来れば報道して頂きたいなというふうに思っております。

司会
はい、ありがとうございます。

今おっしゃった報道についてのご指摘もございましたが、これについて何かもしご意見ご質問があればお受けいたしますが、いかがでしょうか、よろしいですか。
(挙手無し)

最後ひとつ尖閣諸島についてお聞きしたいのですが。

国有化後、国の対応というか、防衛面だけではなくて、以前、市長はあそこの観光資源化なり世界自然遺産への登録の話も出ていたと思いますが、自然が豊かな一方、環境問題も出て来ていますので、その辺の管理というか実効支配のあり方も含めて、現地の市長さんとしてはどういうお考えでしょうか。

中山石垣市長
尖閣諸島の魚釣島には以前ヤギのつがいが、ひとつがい放されまして、これは活動団体が放したわけですけれども、これはもし誰かが遭難した時に食料になるためにということで放したヤギが爆発的に増えてしまいましてですね、実際のところは魚釣島は自然環境が非常に豊かな場所だったんですけれども、そこが食害で。

ヤギですから植物を食べますですね、食べるとそこが裸地になりまして雨が降ると土が流れ出して岩場になると、そういうことで自然環境が非常に乱されているところでありますので、小笠原ではないですけれどもヤギの駆除を是非やってもらいたいという話もしておりますし、また環境の部分でいいますと漂着ゴミが非常にたくさん着いておりますので、生態系を乱す部分を含めて、それの除去を国としてしっかりと対応して頂きたいなというふうに思いますし、また、国がなかなか難しいのであれば、石垣市は行政区域ですので、「石垣市がやってもいいよ」ということであれば私どもも進めたいなというふうには思っております。

司会
はい、ありがとうございました。

それではこの辺で閉じさせて頂きたいと思いますが、恒例のゲストブックへのメッセージを市長から頂いていますので、ご披露させて頂きます。
市長、読みとその心をご紹介ください。

中山石垣市長
「驀直進前(ばくちょくしんぜん)」ということでございまして、先程プロフィールもご紹介頂きましたけれども、私は野村証券でサラリーマンをしておりまして、その時の創業者の野村徳七翁(のむらとくしち・おう)の言葉なんですけれども、これと決めたことに対してはしっかりと前もってぐぐぐっと進んでいく、馬のように進んでいくという意味合いの言葉だと思っています。

私も今、市長という立場ですけれども、やるべきことをしっかりと見極めて、それをしっかりと前に進めていく市長でありたいな、と思っております。

あの、「猪突猛進」とは全然意味が違いますので(笑)。しっかりと目標を定めて、しっかりと力強く前に進んでいく、そんな気持ちです。

司会
はい、わかりました。頑張ってください。

中山石垣市長
はい、ありがとうございます。

司会
それでは会見を終わらせて頂きたいと思いますが、それでは記者クラブの方から感謝を込めまして。(記念品贈呈)
それではお忙しいところ、ありがとうございました。

それではみなさん、もう一度拍手でお送りしたいと思います。
ありがとうございました。

中山石垣市長
どうもありがとうございました。

 

那覇軍港の浦添移設問題について、是非あわせてお読みください。
翁長知事に翻弄される浦添市長〜那覇軍港の移設問題(改訂版)
市民本位の浦添市長誕生を喜ばない「オール沖縄」
那覇のジュゴンは死んでもいいのか〜 もう一つの埋立承認問題

「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」主催の篠原章講演会は動画でご覧頂けます。
【沖縄の声】「著者が語る『沖縄の不都合な真実』」篠原章講演会[桜H27/8/15]
『沖縄の不都合な真実』講演会第2部・シンポジウム-真実を明かそう-[桜H27/8/15]

批評.COM  篠原章
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