沖縄の真実(3) 反基地運動が基地縮小を妨げる

マスコミではけっして報道されないほんとうの沖縄

「マスコミではけっして報道されないほんとうの沖縄」(ロフトプラスワン2012年1月16日)

1月16日の「マスコミではけっして報道されな いほんとうの沖縄」(於:ロフトプラスワン/上記写真)は好評のうちに終わりました。このトークライブは今後も継続する予定です(ロフトプラスワンでの開 催は5月を予定)。継続にあたり、基地問題に関するぼくの基本的な考え方をまとめました。以下、長くなりますがご一読ください。

1.戦争の主因は経済にあり

 ぼくは旧社会党の「非武装中立」というスローガンを 今でもけっこう気に入っている。軍隊のない世界が生まれたらそれこそファンタスティックだ。それはイコール戦争のない世界である。が、人類の想像力と叡知 が戦争という非日常的な現実を凌駕しないかぎり、平和な世界がけっして訪れないことも、ぼくたちはよく知っている。

 反戦を唱えれば世界じゅうの軍隊がただちに消滅する というなら、ぼくたちは明日にでもワシントンやモスクワに飛んで、デモし抗議文をつきつけたい。だが、残念ながら明日はまだ軍隊も基地も存在する。地球上 のどこかで戦闘も続いている。心情的にはホワイトハウスに爆弾を投げ込みたくなるときもあるが、その愚行がまた新しい戦争を生みだすことも明らかだ。

 21世紀になっても、戦争の大半は経済的な事情を バックグラウンドとしている。池上彰さんは「歴史と宗教が重要だ」というけれども、それらは構成要素にすぎない。マルクスいうところの上部構造である。真 に問題となっているのは経済である。これをマルクス流にいえば下部構造である(ちなみにぼくはマルクス主義者でも社会主義者ではなく市場経済を重視するリ ベラリストだが、19世紀最高の経済学者はマルクスだと思っている)。もっといえば、利権(既得権益)と貧困が戦争の最大の理由なのだ。

 アメリカが国益という名の利権・既得権益のために、 イラクに侵攻したことは今や誰でも知っている。それは、ひょっとしたらブッシュ陣営のプライベートな権益であったかもしれない、などともいわれている。中 東が不安定なのは、なによりも石油など天然資源の配分が不均等であり、所得分配も不公正だからである。おまけに身分制の旧習や支配階層の既得権益が重視さ れる国や地域ほど、その政情は不安定で、宗教に救いを求める人びとの数も多い。パレスチナにいたっては最貧国である。彼の土地にはたいした資源もなく、人 びとは貧しさを甘受しつづけている。貧しいからこそ、指導者層の甘言にのせられて自爆攻撃に身を投ずる(ぼくは「自爆テロ」とは呼ばない。テロではなくて 戦術のひとつだから「自爆攻撃」である)。若者が自爆攻撃に身を投ずるような情勢が続くかぎり、人びとの日々の暮らしはますます貧しくなる。貧しくなれば 自爆攻撃もいとわない。悪循環は際限なくつづく。が、自爆攻撃によって指導者層の既得権益は守られる。自爆攻撃は指導力の証しだからだ。普通の暮らしを望 むごく普通のパレスチナ人は、もう何十年もアメリカやイスラエルに命と暮らしを脅かされてきたのだが、彼らの悲劇はそれだけではなかった。身内の指導者層 にも骨までしゃぶられてきたのである(詳しくは映画『パラダイス・ナウ』を参照)。

 世界の所得分配がより公正になって、貧しい地域や国 ぐにの1人当たり所得が数千ドルアップすれば、今よりもはるかに安定した政治的社会的環境が生まれることになる。そうなれば軍備も基地も縮小されることは まちがいない。富める国も貧しい国もみんなが一斉に今より豊かになれるとすれば最善だが、それができないというのなら、豊かな国が1人当たりの所得を数百 ドル削って貧しい国に回すようなシステムをつくるほかない。これによって地球上から貧困はなくなっていく。もちろん実現は容易ではないが、そのためにぼく たちが何をすべきか、何ができるかを考えるのがほんとうの意味での平和への道である。

 だが、それにはまだ多くの時間がかかる。その間にも 戦争は繰り返し起こる。軍隊は消滅しない。戦争は国家権力やそれに準じた権力が引き起こす殺人と破壊だが、必ずしも独裁者が“首謀者”ではない。今や戦争 の多くは民主的な手続きによって正統性を与えられている。民主主義は人びとの権利や暮らしを守るはずの装置だが、一方で人びとの権利や暮らしを踏みにじる 装置にもなっている、ということだ。

2.反基地運動に欠けるもの

 「国家」や「民族」のために平気で人が死ぬのだとす れば、ぼくはそういうものを基本的に信じない。人権と平和な暮らしを守らない国家などありえない。だが、「信じない」「ありえない」といいつづけても、シ ステムが急変することはない。条約や法に拘束された政府が、一夜にして政策をあらためることはない。これに対抗していくためには、市場経済の行き過ぎを是 正しつつ、民力で共同体の基盤である「経済」を再編成していくほかない、とぼくは思っている。震災後の人びとの対応はその萌芽である。政府機関はそうした 民の活動の「事務室」に過ぎない、と認識するべきだ。自治体は人びとが活動しやすい環境をつくるのが最大の任務だ。国家はセーフティネットを構築するのが 最大の任務だ。同時に、特定の集団や階層の既得権益を制限することが、この世の不幸を減らすことでもあり、それが政府機関の仕事だ。主役はあくまで民であ り、企業も含めた民の組織である。そういう認識を深め、その認識に沿った行動を繰り返して「経済」を再編成することで、国家は止揚(解体再編)され、民主 主義はバージョンアップする。この流れがグローバルになれば、本格的な軍縮の時代も到来する。

 悲しいかな、反基地運動・平和運動にはこうした視点がほとんど欠けている。ぼくたちが震災から学んだことは多いはずだが、そうした経験が反基地運動・平和運動にはまったく生かされていない。

 目の前の基地や兵器を消滅させること目指して、基地 や移設先を取り囲み、シュプレヒコールを唱えてもほとんど何も起こらない。デモンストレーション、阻止活動としての効果があることは認めるが、軍事的な戦 略や戦術を変更させるまでには至らない。「祈る」行為とあまり変わり映えしない。多くの場合、せいぜいが問題の先送りをもらたすに過ぎない。問題が先送り されれば、民が負担する経費はいたずらに増えていく。自分で自分の首を絞めてしまうのだ。

 活動家やその支援者の心情が問われているのではない。ほとんどの場合、心情が純粋であることは疑う余地はない。問われているのはその思想であり、想像力だ。

3.基地縮小を阻む反基地運動

 日米両国は、2005年10月29日に開催された日米安保協議委員会(両国外相と防衛担当相の4名で構成)で、今後の自衛隊と在日米軍の再編計画について合意した。この合意は、1996年のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)最終報告を受けたものだ。

 合意事項のひとつは「基地負担の軽減」である。 1995年に日米両首脳間で合意されていた普天間基地(沖縄本島中部・宜野湾市)の撤去も、この計画のなかにあらためて位置づけられた。撤去は決まったが その機能はどこかに移す必要がある。その移設先の有力候補となったのが沖縄本島北部・名護市にある辺野古地区だった。ここには米海兵隊の基地、キャンプ・ シュワーブがある。このキャンプシュワーブを太平洋側に拡張して普天間基地の機能を移設する方針が決まっている(形式的には拡張なのだが、反対派の人たち は新基地建設という)。

 辺野古では基地移設容認派の住民の数が反対派の数に勝っている。辺野古区長も容認派だ。数が勝っているからいいというものではないが、基地を受け入れざるをえないような経済状態にあることはまちがいない。

 復帰以降、政府は沖縄振興資金10兆円を注ぎ込んで きた。2000年には、名護市や東村を含む沖縄本島北部地域を対象とした北部振興資金も設置され、10年間で1000億円が費やされた。だが、名護市の1 人当たり市民所得の低下は止まるところを知らない。端的にいえば、振興資金で様ざまな施設をつくったものの、経済的基盤はあまり整備されていないというこ とだ。IT特区にも指定されてはいるが、成功しているとはとてもいえない。とくに、もともと久志村という過疎地地域にあった辺野古を再生させるのは至難の 業だ。キャンプシュワーブという海兵隊基地に長く依存してきた辺野古地区の多数派住民は、基地移設を容認することによってさらなる財政資金の投入を期待し ている。過疎地域に投入される財政資金(主として公共事業費)なんて、一過性の、麻薬以外何ものでもないことはわかっているはずだが(つまり対症療法に過 ぎない)、背に腹は代えられないのである。

 そうした住民感情を「反基地運動」の立場から切って 捨てることは簡単だが、彼らの生活基盤はどうやって整えるのか?さらに基地が返還された後の地域経済をどうやって成り立たせるのか?震災以降培った経験も 活用しながら、この地域の経済基盤を整えるための智恵を振り絞ることのほうが先決ではないのか?そこまで考えない基地反対運動は“反住民的”“反民主的” であるとしかいいようがない。しかも、移設を受け入れるところから始めなければ、基地返還プロセス全体が滞ってしまうのである。

 たしかに海兵隊のグアムやオーストラリアへの移設・ 移駐はありうるが、国内の他地域への移設など今や妄想にすぎない現状から判断すれば、辺野古移設か嘉手納統合以外に選択肢はなくなっている。「県内移設断 固反対」を唱えるなら、普天間基地は移設できないまま固定化する。基地問題は動かなくなる。移設反対運動は、はからずも「基地を返還せよ」という県民感情 に真っ向から対立することになってしまう。

 平和運動の立場から、日米の安全保障政策にも米軍基 地にも自衛隊基地にも反対するという主張はわかる。たしかに日本政府は米国政府の傀儡だ。米国の利害が沖縄を含めた日本を左右する。だが、その運動が、住 民の生活基盤を切り崩し、彼らが路頭に迷うような状態を生みだすようなら放置しておけない。途上国の経済基盤を強化することが世界全体の軍縮につながるの と同様、国内(沖縄)においても「基地に依存しない経済」をつくることが基地縮小への近道ではないのか。「基地全面撤去」を唱えつづけて、他の選択肢を拒 否するかぎり、基地問題は一向に解決しないのである。基地返還プロセスが滞ったら、今度は、「政府が悪い」「アメリカが悪い」「沖縄差別だ」という主張が 出てくるのだろうが、そんな無責任な運動なら止めてしまったほうがいい。

【追記】 最近は高江ヘリパッド問題がいっそう重視さ れるようになっているようだ。米軍再編計画に沿った本島北部・東村などにある北部訓練場の一部返還に伴い、海兵隊のヘリが訓練の際に着陸するヘリパッド (ヘリポートの一種)を非返還地域に移設するため、東村高江地区ですでに工事が始まっている。これが、いわゆる「高江ヘリパッド問題」である。高江地区で の反対運動には住民が積極的に加わっているが、ヘリパッド移設が決まってから移住してきた内地からの転入者が活動の中心になっている、といわれている。高 江区としてヘリパッド反対を決議しているが、区長は容認の意向を示すというねじれた状態だ。辺野古以上に過疎が進んでいる地域だから、生活基盤はより脆弱 だ。この地区の生活再建はさらなる困難が伴うだろう。これについては、いずれまた報告する機会を持ちたい。

批評.COM  篠原章
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