オスプレイ事故で「植民地意識丸出し」と非難されたニコルソン司令官の憂鬱

沖縄駐留米軍のニコルソン司令官が、安慶田副知事に対して「オスプレイの事故を政治利用していると腹を立てた」ことが話題になっています。副知事は面会直後の会見で「植民地意識丸出しだった」と司令官を強く非難しました。大半のメディアは安慶田副知事のこの姿勢を支持していますが、副知事は正しかったのでしょうか。

ニコルソン司令官は、事故の全容が明らかされる前の段階で、米軍に対して「オスプレイの配備撤回」を要求する文書を手渡し、もっぱら「そもそもお前たちの欠陥オスプレイがいけないんだよ」という姿勢で抗議する副知事に腹を立てたのです。副知事が「原因を十分解明して情報を開示せよ。事故の再発を防止せよ」というのなら話はわかります。それだったら司令官も腹を立てることもなかったでしょう。が、副知事は最初から「オスプレイは諸悪の根源」と決めつけているのです。

「オスプレイ配備反対」は「オスプレイは欠陥機」という前提ですが、現在のオスプレイが欠陥機であることを証明する材料は乏しいのが現状です。他の軍用機との比較では事故率も高くありません。試作段階で重大事故が発生し、犠牲者が出たことは確かですが、試作段階での失敗を揶揄する「未亡人製造機」という呼称を、実用化された現在のオスプレイに向けて使うのは、「こじつけ」あるいは「悪意」以外のなにものでもありません。試作段階での犠牲があったからこそ実用化されたわけですから、犠牲者に対してもきわめて失礼な物言いですが、沖縄のメディアはもちろん、大手メディアまで、相変わらず「未亡人製造機」というこの呼称を平然と使って気にする様子もありません。

米軍の概略説明では、「うるま市沖で空中給油訓練中に発生したトラブルのせいでオスプレイに不調が生じ、住宅密集地のある普天間飛行場への帰還を避けて、キャンプ・シュワブへの着陸を試みようとしたが、それも危険と判断してキャンプ・シュワブ手前の海域に不時着した」ということになっています。普天間基地やキャンプ・シュワブへの着陸を強行して失敗したら、間違いなく大事故になっていたことでしょう。ニコルソン司令官が「若いパイロットが事故を回避して不時着したことは賞賛に値する」といったのも理由のあることだったのです。軍司令官の発言としては当然ですが、今の沖縄では、自衛隊機が同様の回避行動を取って、自衛隊司令官が「パイロットは良くやった」といっても「植民地意識丸出し」といわれるでしょう。「植民地意識丸出し」は政治臭の漂う「偏見」です。

ここ5、6年、沖縄における基地がらみの事件事故失言の類は、見事なまでに「政治利用」されるようになっています。ニコルソン司令官がイライラするのも、そうした経験があるからです。今回は最高裁判断と予算折衝を控えた時期に起こった事故で、まさに「絶妙のタイミング」でした。メディアは、県民に敵対する米軍と日本政府を一斉に責め立てます。先日は岩国所属の戦闘機ホーネットが土佐沖で墜落して死亡した米兵もいましたが、ひとたび陸上に墜落したら、オスプレイどころではない大惨事になる可能性のあるホーネットの事故に詳しく触れるメディアはほとんどありません。沖縄の事故ではないからです。オスプレイの事故ではないからです。政府も、オスプレイの運用停止は要請しましたが、岩国の事故機であるホーネットの運用停止は求めていません。

1972年以降、一般の沖縄県民を死傷させた軍用機事故は一件もありません。だからと言って、軍用機が安全だなどというつもりはありませんが、米軍機も自衛隊機も民家上空での飛行には細心の注意を払ってきたことも事実です。米軍基地さえなければ起こらなかった事故だ、というのは正論ですが、事件事故が起こるたびに「出て行け」を大合唱して得られる「効果」が何であるのかを、沖縄のメディアやそのシンパは真剣に書いたことがあるのか、と思います。最終的に沖縄振興策などで「手打ち」することが常態化していることを思うと、一昔前のプロレスのようなこの「予定調和」の元凶は、やはり振興策だとしか思えません。平和の問題でも命の問題でもないのです。沖縄県の指導者の「思惑」は、生真面目な軍人であるニコルソン司令官にまで見透かされているのです。

批評.COM  篠原章
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