尖閣問題〜日本の領有権を検証する

※以下のテキストは、今月下旬、ある大学で行った尖閣問題に関する特別講義の学生向けフォローアップとして作成しました。文中、参考URLは▼で示しています。文末にも参考URLを掲げています。

1.尖閣諸島の領有権

 19世紀以降の歴史の流れのなかで、尖閣諸島に関する日本の領有権はほぼ確認できると思っています。

 ただ、16世紀にまで遡って史料を検討すると、不明 確な部分も少なからずありました。16〜18世紀まで、日本または琉球(沖縄)は尖閣について航海上の目印以上の認識はなかったと思います。また、中国側 には「国境の境界を赤嶼(尖閣諸島の大正島)におく」という記述もある一方で、「尖閣は台湾に属する。台湾は日本に属する」という記述もあり、やはり不明 確だったと判断できます。中国側が領有権の有力な根拠とする、琉球への使節が著した『使琉球録』(1534年/上掲画像)にも、支配権や版図の根拠となる ような記述はありません。同書では島の地理的な関係に触れられているだけです。しかもその地理的関係も琉球人から教えられた可能性がきわめて高いのです。 なぜなら当時は琉球人に操船を依頼しなければ、中国船は琉球にたどりつけなかったからです。一方の日本にも支配権に関する明確な記述は見つかりません。 「尖閣は中国領」としている文献や地図もあるほどです。

(実態としては、この時期、尖閣や尖閣周辺の海域にもっとも精通していたのは琉球人であって、中国人でも日本人でもなかったといえるでしょう)

 率直に言うと、尖閣諸島に対しては19世紀まで中国も日本も「航海上の目印」程度の認識だったことはまちがいありません。両国とも尖閣諸島にそれほどの価値を見いだしていなかったということでしょう。

 1885年に日本による尖閣諸島の調査が開始され、 1890年代初めには漁業基地や工場が設置されました。漁船や工場で働いた住民も最大で240人を数えたといわれています。この間、清国からは抗議などは きていません。この点は重要なポイントです。日本の領有権を主張する際の最大の根拠となるはずです。当時の清国は、台湾経営にも消極的だったという説もあ りますので、おそらく尖閣にはほとんど関心がなかったのでしょう。

 1894〜95年の日清戦争(下関条約)に際して台湾が日本の領土となると、尖閣もまた日本の領土として確定されました。以後、第2次世界大戦終了時まで、尖閣は日本の支配権が確立した領土でした。

 1943年12月1日、アメリカ合衆国大統領フラン クリン・ルーズベルト、イギリス首相ウィンストン・チャーチル、中華民国国民政府主席の蒋介石の連名で「カイロ宣言」が発表されました。日本敗戦後の三国 による戦後措置(利害)を予め協定したものです。これは公式文書のかたちでは残っていませんが、報道資料などによれば以下のような宣言であることが確認さ れています。

(和訳)右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第 一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取 シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ 日本国ハ又暴力及貪欲ニ依リ日本国ガ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルベシ

(英文)It is their purpose that Japan shall be stripped of all the islands in the Pacific which she has seized or occupied since the beginning of the first World War in 1914, and that all the territories Japan has stolen from the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and The Pescadores, shall be restored to the Republic of China. Japan will also be expelled from all other territories which she has taken by violence and greed.

 この宣言によれば、「台湾および澎湖島のごとき」と いう表現に尖閣が含まれるかどうかが問題になりますが、これだけでは尖閣が含まれているともいえるし、含まれていないともいえます。引用した最後の一文に ある「日本国ハ又暴力及貪欲ニ依リ日本国ガ略取シタル他ノ一切ノ地域」という表現に尖閣が含まれるという解釈も成り立つと思われますが、そうだとすれば時 期も相手国も限定していない以上、沖縄や小笠原も含まれることになってしまい、現実的ではなくなってしまいます。つまり、具体性を欠いた宣言ということに なります。一般的には「台湾および澎湖島のごとき」は、「台湾および澎湖島とその属島(周辺)」と考えるべきでしょうし、最後の一文の「他の一切の地域」 は東南アジア地域を想定していると考えるべきでしょう。

 1945年、米、英、中(中華民国)の三国によるポ ツダム宣言を受諾することによって日本は降伏します。ポツダム宣言では、「カイロ宣言を履行する」という文言も注目されますが、(当面の)日本の領土は、 本州、北海道、九州、四国、そして三国の決定する小島に限定され、奄美、沖縄、小笠原は含まれていませんでした(以下参照)。

(和訳)八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ

(英文)(8) The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoku and such minor islands as we determine.

 その後、奄美も小笠原も米国から日本に返還され、1972年には沖縄が日本に返還されますが、その間、尖閣は米軍統治下・琉球民政府統治下にありました。米軍(琉球民政府)統治下では、1945 年から1970年までの25年間、尖閣諸島の領有権をめぐる、中国とのあいだのトラブルは発生したことがありません。中国は尖閣の領有権を主張しなかった のです。同国は尖閣を日本領(または沖縄帰属)であると事実上認めていたことになります。また、日清戦争後の1895年を起点とすれば、実に75年間にわ たって中国は尖閣の領有権を主張しなかったことになります。台湾(中華民国)についても、1945年から1968年までの23年間、領有権をめぐる深刻なトラブルはありませんでしたし、領有権の主張も行われませんでした。ただし、台湾の漁民による小規模な領海・領土侵犯は発生していました。

 ところが、1968年10月に尖閣海域の海底資源の可能性が指摘されると、翌1969年になって突然台湾が領有権を主張し始めました。

 1972年には周恩来首相と田中角栄首相が会談しま したが、このとき尖閣諸島の領有権問題は、事実上、棚上げされることになりました。その後、「お互いに尖閣諸島の領有権には積極的に触れない」という立場 が基本となりましたが、両国ともナショナリストが尖閣諸島をめぐる摩擦をたびたび引き起こしてきました。その一部は、中国政府が日米関係を睨みながら、国 家主導で企画した行動だと思われます。今回「魚釣島等国有化」が日中関係を悪化させたという主張もありますが、2000年代に入って、中国・台湾のナショ ナリストや漁船による挑発的な行動が急増し、日本のナショナリストの危機感も煽られていますから、国有化の発端となった石原元都知事の行動だけを責めるの は公平さを欠く議論でしょう。

 結論的にいえば、尖閣について「領土問題は存在せず」とする日本政府の考え方に問題はあるものの、19世紀後半以降の経緯を見れば、「尖閣は日本の領土だ」という主張には有力な根拠があるとぼくは考えています。

2.尖閣諸島領有権問題の解決策

 近年の中国では「琉球処分は日本による中国の一部で ある沖縄の植民地化」あるいは「琉球は中国に属する」という議論が高まっており、そうした論拠から「尖閣は中国領」を正当化する傾向が見受けられます。沖 縄県民の総意が「われわれは中国に属する」ということであれば話はまた別ですが、これはきわめて非現実的かつ危険な考え方だと思っています。以前のこのブ ログでは「琉球処分」の解釈も含めて、「沖縄は中国領である」という考え方の問題性を指摘したつもりです。

 ただ、尖閣問題について、篠原自身が「武力による解決」を望んでいるわけではありません。中国による国際司法裁判所への提訴がもっとも適切な方法ですが、同裁判所の判例研究からいえば、 中国が提訴する可能性はきわめて薄いと見てよいでしょう。というのは、判例は中国にとって不利な要素が多いからです。「近代」における「支配」の実績が、 国際司法裁判所で重視されるポイントですが、「近代」において中国側にとって僅かながら可能性がある要素は、「琉球処分は日本による琉球の植民地化であ る」という主張だけだといってよいと考えられます。だからこそ中国は「琉球処分」を持ち出すようになっているのだと思われます(ただし、中国が「琉球処 分」を持ち出すことについては、篠原も何度か指摘しているとおり 、「近代化」そのものを問う議論になってしまい、ここにも出口はありません)。かといって、尖閣の領有権問題を放置するのも難しいと思えます。そこで、尖閣問題の解決に向けて、篠原は以下のように提案したいと思っています。

(1)武力や脅しによる解決は否定し、問題解決のためには、外交交渉などの平和的な手段をとる。

(2)尖閣諸島領有権問題と沖縄の帰属問題は切り離して議論する。

(3)尖閣諸島領有権については、さまざまな歴史的経緯がある以上、日本政府も問題の存在は認め、この問題について台湾も含めて協議する機関を設ける

 「日本政府は領土問題が存在することを認め協議す る」という提案は今や珍しくもありませんが、ここでのポイントは、「台湾も含めて協議する」という点と、「尖閣諸島領有権問題を沖縄の帰属問題とは切り離 す」という点にあります。台湾を含めるという考え方は中国側にも台湾側にも受け入れがたい提案である可能性はありますが、中国が「尖閣は台湾に属する」と いう主張も根拠の一つとして領有権を主張している以上、当事者である台湾を含めることは必ずしも非現実的とはいえません。また、領有権の範囲を沖縄まで広 げる主張が公的な人物や機関によってなされている現状は、沖縄や日本のみならず国際関係に大きな混乱をもたらします。中国・台湾の両国に、沖縄が日本に属 するという現状をあらためて確認・是認してもらわなければ、尖閣に関する協議は困難でしょう。

 以上の解決策は出発点にすぎませんが、ある程度の時 間をかけなければ、この問題は解決しないと思います。日中両国の経済的な依存関係がこれだけ深まると、国境紛争や武力衝突にはお互いなんの利益もないこと は明らかであり、日中両国の交流と理解をより深化する必要性は年々高まっています。

 しかしながら、領土問題についてはナショナリズムを完全に封じることはできません。お互いに疑心暗鬼になってしまうからです。たんなる棚上げではなく、粘り強く協議をつづけることで、解決策を探るしか方法はないと考えています。

参考URL
Wikipedia 尖閣諸島問題
田中邦貴WEB「尖閣問題」
Wikipedia    台湾の歴史
国際法から見た竹島問題
沖縄(琉球)は中国領1(金一南国防大額教授の論説)
沖縄(琉球)は中国領2(台湾の家系図から〜人民日報)

senkaku

批評.COM  篠原章
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