異色の音楽評論家・阿木譲

阿木譲さんは普通の人ではない。普通の人ではない、 というのはたんなる異常者という意味ではない。音楽に対する、ある意味で偏った情熱が彼のアイデンティティで、それは常人には理解できない、ちょっとした 神の領域だった。『ロック・マガジン』はぼくの趣味には合わなかったが、阿木譲の美学の具現化だった。その意味できわめてパーソナルな雑誌だったが、彼の 美学は少なからぬ人たちに影響を与えた。

rockmagazine

 安田謙一さんは、そんな阿木さんを徹底的にからかったが。その「からかい」もまたぼくにはとてもおもしろかった。阿木さんには失礼かと思ったが、安田さんは阿木さんの怪しげな一面を見抜いていたので、その洞察力にはずいぶん感心した。

 たしかに阿木さんは怪しげな人でもある。どうやって 食べているのか、まったくうかがい知れなかった。『ロック・マガジン』は最盛期には2万部ほど出ていたと思うが、平均すればせいぜい数千部だったのではな いかと思う。経営的に成り立つシロモノではなかったはずだ。それでも雑誌を発行できたのは、ひとえにスポンサーがいたからである。阿木さんはスポンサーを 見つける才にたけていたのだ。ぼくの知る限り、その多くは女性だった。

 「自分の美学を貫徹する上で、誰かが犠牲になるのは やむをえない」と阿木さんは考えていたにちがいない。彼の美学が社会的価値があるかどうかはいまだによくわからないが、独自のものであったことは確かだ。 音楽ジャーナリズムの世界に、阿木さんのように身勝手な唯我独尊がいるのもまたおもしろいと、ぼくは思っていた。が、そんな生き方にはリスクが伴う。阿木 さんもホントにすれすれのことをやってきたにちがいない。リスクを引き受ける覚悟もある程度あったと思う。

 今回の一件の真相はわからないが、今までの阿木さんの生き方を見れば、そうしたリスクが顕在化してしまったのだろうと推測できる。当の女性にはたいへんな迷惑をかけたのだろうが、ぼくは阿木さんを責める気にはなれない。これもまた阿木譲らしい生き方だと思う。

 阿木さんのことを取り上げた拙著『日本ロック雑誌ク ロニクル』(太田出版・2004年)を出版したとき、ご本人にはずいぶん感謝された。感謝は的外れで、ぼくはただ阿木譲というキャラクターがおもしろくて しょうがなかっただけなのだが、その危ういおもしろさは、ロックやポップのひとつの本質にもつながっていた。

 こんなことで名前が出るのは本意ではないだろうが、古希を前にしてひと騒ぎあったのは悪いことではない。安田謙一さんには叱られるかもしれないが、正直にいうと、これを踏み台にして、阿木さんにはぜひもう一花咲かせて欲しいとぼくは思っている。

批評.COM  篠原章
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