山下町のインド水塔と阪東橋のアルペンジロー — 横浜逍遙

立派な髭をたくわえたシク教徒のおじさんが、横浜中華街の裏路地を赤いラッタッタで颯爽と走り抜けていく。もちろん頭にはターバン。ヘルメットなどという世俗の無粋を彼は好まない。

これは80年代、ぼくが大学院に通う学生だった頃の日常の一齣(ひとこま)である。

その昔、横浜中華街の隣にはインド人街が栄えていた。 横浜開港(1859年)からほどなく、1870年代にはもうインドのイザホイ商会が日本産の絹織物を輸出し、インドからはインディゴや米などを輸入していたという記録がある。 今もインドは世界有数のコメ輸出大国である。なかでも高級品種バスマティ米は繊細な香りが特徴的で世界中で評価が高い。

明治時代にインド米が輸入されていたのは意外だが、明治維新前後の内乱と凶作のため、1870年の米輸入額は総輸入額の約43%を占めていた。 近年、近代化遺産として世界遺産に登録された富岡製糸場の絹織物が横浜を経由してインドへ輸出されたのもこの時代のことで、上州で織られた絹は、海を渡り、高級服地としてインドの洒落者たちにもてはやされた。

日本郵船とタタ商会によるボンベイ(ムンバイ)航路が開設された1893年以降、有力商人がインドから続々と横浜に入り、関東大震災前の1923年のインド商館の数は60軒にのぼったという。

1923(大正12)年9月1日、関東大震災で横浜は壊滅的な被害を受けた。西洋式建物が並ぶバンド(海岸通り)の石造り、レンガ造りも倒壊し、インド人はやむなく神戸や母国へ避難した。 しかし震災からの復興の過程で、横浜はインド人商人を呼び戻した。日本絹業協会がすぐにでも元の商売が始められるよう、住居、店舗、倉庫が一体となったインド商人専用の建物を中華街の隣地に造り、彼らに提供したのである。

関東大震災で命を落とした28人のインド人の追悼と、横浜市民からのこうした厚意に対する感謝のしるしとして、横浜のインド商人から送られたのが、山下公園に今もひっそりと建つ「インド水塔」だ。

山下公園に建つインド水塔

山下公園に建つインド水塔。1939年12月建立。(写真出典Wikipedia)

 

水塔の内側天井部分。モザイクがとても美しい。

水塔の内側、天井部分。モザイク模様がとても美しい。(写真出典Wikipedia)

Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/インド水塔

ご存知の方も多いと思うが、横浜の観光スポット山下公園は、関東大震災で出たガレキで埋め立てた公園である。埋め立てというのが適切かどうかわからない。海岸通りで倒壊した大量の石やレンガのガレキの処分に困って、目の前の海に放り込み、公園にしてしまったというのが実際のところだろう。海岸通りから出た震災ガレキで、波止場わきを埋め立てて公園にしてしまったのだから恐れ入る。そのガレキ公園は、今や港横浜のシンボルの一つである。

昭和20年5月29日の大空襲で横浜は、死者8千人〜1万人、市街地の大半が焼失するという大きな被害を出し、終戦時には港湾施設の90%を接収されるが、接収解除が始まる1952年には祖国に帰っていたインド人商人を呼び戻そうという動きが始まった。この時もインド商館が提供されたが、うちいくつかは中華街付近に現存している。細野晴臣の中華街ライヴでも有名な中華料理店「同發」の事務所兼倉庫(山下町95番地)もその一つである。散策がてら見物してみるのも一興だ。インド人街はもう面影ばかりだが、冒頭に書いた、赤いラッタッタのシク教徒にも、ひょっととしたら出会えるかも(笑)。

ところで、インドといえば、この日本ではまず「カレーライス」である。「日本におけるカレーライスの発祥にも横浜が関係しているのではないか」と調べてみたが、はっきりしたことはわからなかった。

かつてのインド人街の一部を吸収した横浜中華街にもカレーはある。たとえば保昌、龍鳳酒家、鳳林などの中華風カレーが有名だが、これらはすべて「牛肉カレーご飯」(牛肉咖喱飯)をアレンジしたものであって、カレーライスとはちょっと違う。

ぼくがもっとも好きな横浜のカレーライス店といえば、市営地下鉄・伊勢佐木長者町駅からほど近い、阪東橋の「アルペンジロー」(正確には弥生町)である。横浜駅にあるB級カレー店「カレーハウスリオ」が、グルメサイトなどでしばしば「ハマっ子カレー」と呼ばれるのに対して、こちらは本格派のカレーライス、いわば「横浜カレー」といってもいい風格で、横浜市民以外にあまり知られていないところも得点は高い。

横浜豚のカレー。やまゆりポーク。

横浜豚のカレー。やまゆりポーク。

 

若鶏のカレー

若鶏のカレー。鶏皮が気持ち良くパリッパリ。

この店にはもう20数年通っている。知る人ぞ知る名店で、横浜の名士がお忍びで訪れる繁盛店である。「カジュアルな外出着」がよく似合うお店だ。いつも賑わっているが、不思議に長蛇の行列はできない。この写真を撮った日は大雨の荒天で、今日なら空いているだろうと11時の開店直後に訪れたのだが、お昼前には満席になっていた。

辛くはない。食べ終わる頃にじんわりと体が温まって来る。スパイスをこれだけ優しく丁寧に扱ったカレーをぼくは他に知らない。遠くインドや東南アジアからやってきた「スパイス」はまさに港町の味であり、ブリティッシュ・コロニアルの近現代史にも重なっている。カレーライスを基本的に「肉料理ライス」と捉えているところは、横浜でポピュラーな中華風カレーにも通じている。

なんだかボーダレスでコスモポリット。アルペンジローのカレーは実に横浜らしいカレーである。

ジローズカスタード

オリジナルスイーツのジローズカスタードは200円也。スポンジの中にはバニラが香る濃厚なカスタード。てっぺんはカラメリゼ。パリパリ、フワフワ、トローリの三重奏。ぼく好みのコーヒーもいつも通り。

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批評.COM  篠原章
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