「東京は夜の7時」or「東京は夜の七時」— 椎名林檎がカヴァーしたのはどちら?

昨日(10月28日)のNHKは、「東京五輪まであと1000日」一大キャンペーンを展開していました。五輪には多くを期待していないので、NHKの五輪特集を見ることはありませんでしたが、「つつがなく終わってほしい」との思いは持っています。ただ、3年後の開会式や閉会式がどのようなプログラムになるのかには関心があります。自分の「生涯」を考えた場合、ナショナル・イベントとしては「これで見納め」になる可能性が高いと思いますし、良くも悪くも、日本という国の「文化水準」や「民度」を測るバロメータになるからです。

昨年のリオ五輪の閉会式における東京プレゼンテーションについては、まだご記憶の向きも多いと思います。椎名林檎の演出については賛否両論あったようですが、日本のカルチャーの多様性(流行りの言葉でいえば「ダイバーシティ」)を巧みに織りこんだプレゼンテーションとして、ぼくは高く評価できるものだったと考えています。これについては、すでに2016年12月5日付けの本欄「『リテラ』の椎名林檎批判に見るメディアの劣化」で書いていますが、以下に主要部分を貼りつけておきます。

リオ五輪閉会式の椎名林檎の演出力には脱帽しました。とくに不協和音で構成した「君が代」には心を奪われました。「君が代」に「文化的価値の多様性」に対する畏敬の念を込めていると感じたからです。並みのアーティストではけっしてできない「偉業」です。戦前・戦中・戦後の豊饒さと貧しさのすべてを認めた上で未来を指向する演出だと思いました。「伝統的な日本の文化的価値」に対するネガティブな思想も含んでいました。別の面から見れば、「万世一系の天皇制の下に統一された日本イメージ」を否定したともいえます。

ぼくは、それこそ右翼、正統的なクラシック音楽家、邦楽界などから猛烈な批判が来ると思いました。そしていわゆる「リベラル」や「左翼」から大絶賛されると思いました。

ふたを開けてみれば、右寄りといわれる人たちは大人しく「よかったね」といい、左寄りの人たちは、安倍政権下で「君が代」を取り上げる仕事をしたというだけで「右翼化」というレッテルを貼り、椎名林檎を激しくなじりました。

「君が代」にはこれ以上深く立ち入りませんが、今回は、同じく椎名林檎が演出したリオ・パラリンピック閉会式での東京プレゼンテーションのコアとなった楽曲「東京は夜の七時 -リオは朝の七時-」(歌唱は東京事変のギタリスト・浮雲=長岡亮介/オリジナル・ラヴの田島君とかより断然いい)について、簡単に触れておきたいと思います。

「東京は夜の七時」は、1993年12月1日にリリースされたピチカート・ファイヴ5作目のシングル曲で、作詞・作曲・プロデュースは小西康陽、歌唱は野宮真貴。正式タイトルは「東京は夜の七時〜the night is still young〜」。バブル期に始原を持つ「渋谷系」を象徴するような、「メランコリック&ゴージャス」の名曲です。東京からトウキョウへ、さらにトウキョウからTokyoへと変化(へんげ)した時代の記憶を留めています。いうなれば、REALだった東京がTokyoという「幻想都市」に転じた瞬間を見事に捉えた楽曲というべきかもしれません。

ぼくたちは、今もなおその幻想都市のなかでなんとか息を継ぎながら、幻想からあらたな現実をつくりだそうともがいています。多様性という名のジャングルを手探りで進みながら、世界が「日本」や「東京」、「日本人」に求める「現実」を受け入れなければならない悦楽と苦痛。椎名林檎が23年前にリリースされたこの曲をカヴァーしたことに、ある種の「諦念(刹那)」と「覚悟」を感じました。「私たちは何もない」と「私たちには何でもある」の間での揺らぎのなかで出口を見つけることの困難を、「夜7時の東京」へのシンプルな信頼で「乗り越えちゃおうよ」というプロポーザルだということです。

その含意はともかく、ここではピチカートの「東京は夜の七時」は、矢野顕子の1979年の楽曲「東京は夜の7時」(ライヴ録音)にインスパイアされて生まれた楽曲だという「事実」は、しっかり確認しておきたいと思います。タイトルには「七時」と「7時」という、表記上の微細な違いがあるだけですが、楽曲はまるで別物。しかし、「東京は夜の七時(7時)」という歌い出し部分の歌詞は同じ。テキスト上はカヴァー曲と間違えられるリスクを犯しても、この「東京は夜の7時」というフレーズを借りだしたいと願うほど、作者の小西康陽はこの曲にぞっこんだったのでしょう。

矢野版は、さびを除いてツーコードだけで表現される少々ヘヴィなサウンドで、デビューして間もないYMOの3人(細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一)、松原正樹(ギター)、浜口茂外也(パーカッション)、吉田美奈子(コーラス)、山下達郎(コーラス)がサポートするという豪華版ですが、ピチカート版と違って、軽やかな都市ポップの要素はほとんどありません。矢野顕子の歌唱は変幻自在・自由奔放ですが、アジア風味の、龍が地を這うがごとくのフュージョン系サウンドが特徴的でした。ちなみに、現在では考えられませんが、この曲の収録が行われた会場(中野サンプラザ)の客入りは半分程度、演奏中中幕(なかまく)はずっと降りたままで、客から見えるパフォーマーは矢野顕子だけ、最後になってようやく中幕が開き、背後にいた豪華メンバーに客が「驚く」という仕掛けだったと記憶しています。

もっとも興味深いのは、矢野版で「東京は夜の7時、リオデジャネイロは朝の7時」と歌われているところでしょうか。「時刻こそ違うけど、地球上の人類はみな同じ時間を共有している」というのが彼女の内なるテーマだったのです。これに対してピチカート版に「リオ」は一言も出てきません。小西康陽は、五輪やパラリンピックとはほど遠い、とてもドメスティックな「都会の恋愛風景」を書いています。さらに興味深いのは、ピチカート版のカヴァーであるはずの椎名林檎版では、歌詞に出てこない「 リオは朝の七時」 という言葉がサブタイトルにあしらわれているところです。つまり、椎名林檎は、矢野顕子の「東京は夜の7時」の主題を踏まえつつ、サウンドとしてはピチカート・ファイヴの「東京は夜の七時」を選んでいたことになります。要するに、椎名林檎の「東京は夜の七時 -リオは朝の七時-」は、矢野+ピチカートの折衷なのです。コンセプトは矢野顕子、方法論はピチカート・ファイブといったほうが正確でしょうか。

ぼくと同世代の音楽ファンならこの事実にとっくに気づいていると思いますが、「椎名林檎がピチカートをカヴァーしたんだってね」で終わる話ではないということを、ぜひ広く知ってもらいたいと思い、今回のコラムを執筆してみました。

批評.COM  篠原章
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