「脱原発」はなぜ支持されなかったのか〜総選挙総括

1.「民意」と「脱原発」

 総選挙が終わって10日近く経った。事前の予想をはるかに上回る自民党の大勝には少々驚いたが、もっと衝撃的だったのは、震災後初の総選挙であるにもかかわらず「脱原発」がほとんど争点にはならなかったという点だ。

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 「脱原発」が争点にならなかったのが「間違っている」といいたいわけではない。脱原発運動をめぐる大手メディアの報道があれだけ盛んだったのだから、脱原発が選挙の争点になるのは当然の成り行きだろうと考えていたのだ。だが、いわゆる「民意」は脱原発に冷淡だった。

 では、「民意」はほんとうに「脱原発」を争点と見なさなかったのだろうか?

 「民意」を知るためにまずは世論調査に当たってみた い。世論調査は当てにならないという人も多いが、やはり景気短観や経済統計と同じように有力な判断基準の一つである。他に「民意」を判断する材料が乏しい からだ。世論調査が「民意」に影響を与え、「民意」が世論調査に影響を及ぼすという悪循環も指摘されるし、主たる調査の主体であるメディアの報道姿勢も世 論調査や民意を誘導する可能性も高いが、それでもなお世論調査は重要であるといえる。以下では最近の原発に関する世論調査を掲げておきたい。

【例1】NHK放送文化研究所による世論調査「原発とエネルギーに関する意識調査」(2012年3月)

 Q2 あなたは、今後、国内の原子力発電所をどうすべきだと思いますか。
1. 増やすべきだ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.7 %
2. 現状を維持すべきだ ・・・・・・・・・ 21.3 %
3. 減らすべきだ ・・・・・・・・・・・・・・・ 42.8 %
4. すべて廃止すべきだ ・・・・・・・・・ 28.4 %
5. その他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 0.7 %
6. わからない、無回答 ・・・・・・・・・・ 5.1 %

 Q3 あなたは、定期検査や地震のために運転を停止している全国の原発が運転を再開することについて、賛成ですか。反対ですか。それともどちらともいえませんか。
1. 賛成 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17.2 %
2. 反対 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37.3 %
3. どちらともいえない ・・・・・・・・・ 43.2 %
4. わからない、無回答 ・・・・・・・・・・ 2.3 %

 この調査は選挙前の3月に行われている。2011年 11月にも同様の設問事項の調査が行われているが、両時点間に目立った変化はない。Q1が「脱原発・親原発」の参考資料になるが、選択肢3「減らすべき だ」と4「すべて廃止すべきだ」の合計71.2%が「脱原発」を指向していることになる。原発縮小派は4割強、全廃派は3割弱だから、多数決でいえば縮小 派が上回っている。一方、再稼働については、選択肢1の賛成派は17%強、反対派は37%強、判断保留が最大多数の4割強。短期的に結論を出さなければな らないだけに判断を留保した人が多いということだろう。が、Q1とQ2を総合すると、中長期的には脱原発を国民の趨勢と判断してもよいことになる。

【例2】朝日新聞世論調査(2012年8月25日)公表

 問い「原子力発電を全面的にやめるとしたら、いつごろが適当か」(7択)

1.すぐにやめる  16%
2.5年以内    21%
3.10年以内   21%
以上小計     58%

4.20年以内   16%
5.40年以内    6%
6.40年より先   2%
7.将来もやめない  8%

 問い自体は原子力発電を止める時期を問うものである (選択肢の番号は篠原が付番)。1〜7を合計しても100%にはならないので(90%)、その残差10%は「わからない」に分類される回答だろうが、記事 には明示されていなかった。選択肢1〜3の合計値58%の算出は朝日新聞社によるもので、篠原が意図して集計したものではない。朝日新聞社は、10年以内 を「脱原発」と捉え、20年以上を「非・脱原発」と捉えている、という意味だろう。だが、10年以内と20年以上を合理的に峻別する理由は不明だ。そもそ も5、10、20、40という期間区分についても説明は必要だろうが、ぼくがチェックした記事には明らかにされていなかった。もしここで20年以内までを 「脱原発派」と見なせば、数字は74%にまでアップする。NHKの上記調査による原発縮小と全廃派の合計は71.2%だから、「国民の7割強が脱原発依存 の意思をもつ」ということもできる。

【例3】日本経済新聞世論調査(2012年12月6〜8日実施 12月9日公表)

1.脱原発を目指すべきだが当面は必要 61%
2.即座に脱原発に取り組むべきだ 21%
3.電力供給のために今後も必要 13%
4.いえない・わからない 4%

 日本経済新聞が都知事選に関して行った世論調査なの で、明記されていないが、都民を対象としたものと推測できる(選択肢の番号は篠原が付番)。上記2調査とは設問のニュアンスも異なるので、取り扱いには注 意を要する。というのは、「1」については積極的な脱原発とは見なしがたいからである。だが、「当面」をどの程度の期間と見なすかによって、上記朝日新聞 の調査と関係づけることはできる。日経調査における「1+2」を脱原発指向と捉えると82%、朝日調査における選択肢7「将来もやめない」を除いた数字を 脱原発指向と捉えると82%。実施時期は若干離れているが、両調査はほぼ同様の結果を示すことになる。

 以上の三つの世論調査を総合すると、少なくとも国民の7割強ないし8割強が脱原発指向をもつことになる。趨勢としての脱原発指向は、国民のあいだでほぼ共有されているといっていいだろう。

2.盛り上がった「脱原発」

 こうした「世論」が示されるなか、2012年3月に 大飯原発再稼働のための手続きが本格化し、これに反対を表明する「市民グループ」が主導する脱原発運動が支持を集め始めた。市民グループは「大飯原発再稼 働中止」という目標を掲げて、デモに動員をかけた。大飯の「再稼働」に関するこの時期の新聞各紙の世論調査では以下のような結果が得られている。

朝日  反対 54%   賛成 29%
讀賣  反対 47%   賛成 43%
毎日  反対 71%   賛成 23%
日経  反対 44.8%  賛成 56.2%
産経  反対 43.9%  賛成 51.5%

 原発に対する各紙の姿勢の違いが垣間見える調査結果 になっているようで興味深いが、総体として見れば大飯原発再稼働に対する賛否はほぼ拮抗していたと考えてもよいだろう。国民の7〜8割は脱原発指向だった が、大飯の再稼働についての世論は二分された状態だったのである。脱原発指向を持つ者でも、大飯再稼働に明確に反対の意思を持つ者と大飯再稼働をやむをえ ないと考える者がいたことになる。この時期、市民グループは、ツイッターなどのSNSによるデモ情報の拡散を通じて動員をかけたが、ツイッターには「脱原 発という志を持つ者なら誰でも歓迎」「とにかく脱原発の意思表明を」という書き込みが多々見られた。実際には「大飯再稼働反対」の意思表明が最大の目標 だったが、動員に際してはその点はやや曖昧だった。

 大飯原発再稼働の予定日7月5日を直前に控えた6月 29日に行われた毎週金曜恒例の国会デモ(首都圏反原発連合主催)で参加者数はピークに達した(主催者側発表15〜18万人・警察側発表は1万7千人)。 大飯再稼働後も「脱原発運動の勢いは止まらない」といったスタンスでの報道がつづき、国会デモへの参加者数も依然として大規模だった。7月6日は主催者側 発表15万人(警察側発表2万1千人)、7月13日は主催者側発表15万人(警察側発表約1万人)。つづく7月16日に原水爆禁止日本国民会議(原水禁) などが主催した「さようなら原発10万人集会」は主催者側発表17万人(警察側発表7万5千人)。大江健三郎さんが「私たちは侮辱のなかで生き、その思い を抱いてここに集っている」と述べ、坂本龍さん一が「福島の後に沈黙していることは野蛮だ」「たかが電気のために、なんで生命を危険にさらさなければなら ないのですか」と語ったあの集会である。

 正直にいうと7月の脱原発運動のこうした展開は、ぼ くを大いに混乱させた。脱原発感情はよくわかる。ぼくだって脱原発だ。だが、何かが違う。こうした運動に積極的な意義を見いだせなかったのだ。記憶の一 アーカイヴにすぎなかったはずの「70年安保闘争の傷口」が生々しく開いてきた。脳髄に痛みが走った。比喩ではない。7〜8月のあいだ、ぼくはろくに外出 もせず、ウェブもほとんど更新せず、ただただ悶々としていた。「たかが電気」発言の坂本さんを責めたくはないが、脱原発というスローガンを皆が叫べば叫ぶ ほど、「問題はそんなにシンプルじゃない」という思いが強くなっていった。

 「大飯原発再稼働反対」まではまだよかった。政治的 目標がはっきりしていたからだ。その目標を自覚していなかった参加者もいたかもしれないが、それはそれでやむをえない。が、政治的にいえば、再稼働してし まったのだから、運動は敗北である。世論は二分されていたが、野田民主党政権は再稼働を決断した。橋下徹さんも嘉田由紀子さんも再稼働を認めた。市民グ ループは、敗北後も「稼働停止」を求めて野田政権を批判しつづけたが、敗北は敗北である。

 大飯再稼働直後から、「脱原発の意思を明確にするこ と」が運動の最大の目標になった。世論調査での賛否が拮抗していたのに、なぜ敗北したのかを当事者の側は誰も総括しているようにみえない。聞こえてくるの は「野田が悪い」「民主党は許せない」「橋下や嘉田が裏切った」といった声だけだった。

 脱原発に対する国民の意思はほぼ明確だ。世論調査に よれば大飯再稼働後も7〜8割の国民が脱原発を指向している。にもかかわらず運動は、「脱原発の意思を明確にせよ」と迫ってくる。参ったな。いったい誰を 対象とした意思表明なのだろう。政府なのか国民なのか世界なのか、はたまた自分や仲間たちなのか。「即時原発ゼロ」が目標なら理解できる。だが、自分自身 でデモの現場に行って参加者の話を聞いても、新聞やテレビの報道を見ても、「即時原発ゼロ」という主張を持つ人ばかりではない。段階的な廃止を支持する人 もいれば、廃止の時期についてはよくわからないがとにかく脱原発だ、という人もいる。参加者の共通項は、「脱原発の意思」または「反原発感情」だけであ る。それだったら大部分の国民が多かれ少なかれ共有する心情だ。デモに参加することによって「共有」を確認すればいいのか? 参加者が良心に基づいて脱原 発デモに参加していることはよくわかる。その姿勢は大切だ。だが、誰に向けられているのかわからない運動であるなら、政治的にあまりにも未熟ではないの か?

3.戦後民主主義の脆弱さを露呈させた「脱原発」

 野田政権は新しいエネルギー政策を決定するため、7 月14日から8月4日まで全国11箇所で意見聴取会を開催した。意見表明を希望した1,447名の68%が2030年までに原発稼働をゼロにする政策を支 持した(下記画像参照〜朝日新聞より)。8月22日には国会デモを主催する首都圏反原発連合のリーダーたちが首相官邸で野田首相に面会し、「1.大飯原発 の再稼動を中止すること」「2.現在検査で停止中の全ての原発の再稼動をさせないこと」「3.国策としての原子力政策を全原発廃炉の政策へと転換するこ と」「4.原子力規制委員会の人事案の白紙撤回」という4項目を要求した。

 デモのたびに拡散されるツイッターでの書き込みを通 じてデモの目的が「脱原発の意思を表明すること」だと認識していたぼくは驚いた。こんなに具体的な要求を突きつけられるほど運動は成熟していたのか。数万 人の参加者がこうした要求を掲げて毎週デモをしていたのか。だが、それはすぐに疑念に変わった。「脱原発の意思を表明する場としてのデモ」というツイッ ターの書き込みを信じて参加していた多数の人びとを知っているからだ。後日、12月の総選挙の際に首都圏反原発連合からリリースされた政党評価フライヤー を見てまたまた驚いた(下記画像参照)。「卒原発・10年で原発廃止」の日本未来の党が「即時原発ゼロ」の日本共産党などとともに最上位に並べられ、ホン モノの脱原発政党として扱われていたからだ。ぼくの住む東京一区に出馬した未来の党の公認候補者は原発推進を主張していたが、その候補を例外扱いするとし ても、未来の党の「10年間卒原発」シナリオは野田首相に突きつけた4項目の要求と矛盾するからだ。4項目要求を受け入れられる政党は日本共産党と社民党 だけだ(社民党はもともと原発推進派だったのでちょっと怪しいか…)。

 彼らが「反体制運動」だと自らを位置づけるなら、そ れはそれで認めよう。だが、あるときは反体制運動的な色彩を帯び、あるときは国民の脱原発感情を利用しながら「数の圧力」として組織化するという手法には 疑問を感じざるをえない。民主党政権も国民を愚弄したかもしれないが、彼らも国民感情を舐めている。ただし、総選挙後の彼らのスタンスは、明確に「全原発 即時廃止」を謳っており、政治運動体としては一皮むけた印象がある。それはそれでいい。だが、国民の脱原発感情を操り続けた「罪」は消えない。多くの人び とが反対できない「脱原発」というテーマを掲げて、「市民の結集により政治は変わる」という幻想を与えた責任は重い。結局、日本共産党や社民党への支持を 誘導しただけではないか、と勘ぐりたくもなる。

 小熊英二さんは、首都圏反原発運動のリーダーの一人である野間易通さんの近刊『金曜官邸前抗議 —デモの声が政治を変える』(河出書房新社・2012年)の推薦文で次のように述べている。

当事者による貴重な記録。日本では60年安保以来の民衆運動であり、世界的には「アラブの春」や「ウォール街選挙」運動と同時代の現象だったものを、内側から描いた本として、現代史に残るだろう。

 本気かよ、と思う。そこまで切実で歴史的な運動だっ たとはとても思えない。少なくとも総選挙直前までのこの運動は、国民の7〜8割が共有する脱原発感情を利用した(少々姑息な)政治運動だった。日本の民主 主義の欠陥を示した運動であったと位置づけることはできても、日本の民主主義をあらたなフェーズに動かした運動だったとはとても思えない。

 小熊さんは「60年安保以来の大衆運動」と評価する が、60年代は政治・経済・社会とも現代とはかなり異なる。たとえば世論一つとっても、1960年1月に行われた『朝日新聞』世論調査で安保改定の問題点 を理解する者はわずかに17%だった。60年4月に行われた『読売新聞』の世論調査では、「国会が安保条約を承認することを望む」と答えた人が21%、 「反対」が28%、「わからない」が51%だった。安保自体の問題点があまり認識されていないなかで、学生運動と労働運動が「安保反対」で大きく盛り上 がったことは事実だが、戦後民主主義と対立する戦前・戦中のイメージすら醸しだしていた岸内閣に対する「アンチ」が、戦後民主主義の生みの親である「アメ リカ」の資金援助も受けながら大きな声に膨らんだという側面もある。敢えていえば「戦前」VS「戦後」の闘いが60年安保闘争の本質だったのではないか。 現在と共有するポイントがないとはいわないが、「60年安保以来の大衆運動」などと評価するのは拙速だ。

 70年安保ともまた安易な比較はできない。70年の 安保自動更新を控えた朝日新聞の世論調査では,日米安保条約を「日本のためになる」とした人が37%、「ためにならない」とした人は 14%だった。さらに、日米協力による安全保障を 48%が支持し、37%がアメリカとの協力関係を拒絶している(朝日新聞世論調査室編『日本の政治意識 朝日新聞世論調査の 30年』朝日新聞社・1976年)。1970年の対立軸は「日米安保」だった。それは明確な対立だった。国民の7〜8割が支持する脱原発の趨勢とはまった く状況が異なる。

 さらに60年安保、70年安保ともその後は左翼(反 体制派)の再編と退潮が起こっている。経済システムに対する社会全体の認識もまたちがう。固定為替レートの下での閉鎖系の経済と変動為替レートの下での開 放系の経済は似て非なるものだ。大衆運動が、「民主化」という単一の政治的スローガンを実現するために血を流してきたアラブの春とも性格は異なる。日本よ りも深刻な格差に苦しむウォール街のデモとも一緒くたにできない。

 いずれにせよ60〜70年代の学生運動や労働運動の 評価も総括も十分してはいない日本の大衆運動が、脱原発運動によってあたらなるフェーズを切り拓いたとはとても思えない。電話やチラシに代わってツイッ ターやフェイスブックという利器が広報手段になったというのが、現段階では精一杯の評価だ。ただ、今回の脱原発運動が、第46回衆院選挙に絡むことによっ て戦後民主主義の脆弱さを一気に露呈させる役割は果たしたとはいえるだろう。

4.自民党を大勝させた「脱原発」

 いや、もっと率直に言おう。脱原発運動は総選挙における自民党の大勝に一役買ったとぼくは考えている。そう、ここからが本題だ。

 脱原発は確かに支配的な国民感情である。総選挙後の 自民党には、早くも「原発推進」というニュアンスも見え隠れしているが、総選挙時には「原発推進」ではなく「脱原発」に配慮した政策を強調していた。そも そも総選挙時に脱原発依存の趨勢に配慮しなかった政党は、「原発推進」を明言していた幸福実現党のみだ。他の政党はおしなべて原発依存の縮小を訴えてい た。世論への配慮、そして動員を拡大していた脱原発デモへの配慮が背景にあったことは、おそらく間違いないだろう。その意味で、脱原発デモには総選挙に対 して一定の影響力を与えたとはいえる。しかしながら、そのせいで「原発」は争点から脱落してしまった。有権者の立場からすれば、どの政党も原発を積極的に 推進するようには見えなくなってしまったのである。自民党ですら、である。その結果、有権者の関心は急速に「景気」にシフトしていった(それが、自民・公 明の戦術だったとしても、国民はまんまと誘導されたわけだ)。

 つまり、どの政党も多かれ少なかれ「脱原発」(=原 発縮小または全廃)になってしまったのだから、争点になるわけがない。おまけに原発推進の候補者まで公認する未来の党のような野合政党まで出てきて「われ われの脱原発こそホンモノ」という主張を展開し始めたのだから、「脱原発」を口にすること自体がもうアホらしく見えてしまったのである。

 「いやいや、ホンモノの脱原発とニセモノの脱原発を 区別するのが有権者の義務だ」と脱原発運動の人たちはいうだろうが、一般的な有権者にそんな判断ができるのだろうか。「段階的廃止」と「即時全廃」のあい だに横たわる様々な選択肢を選ぶためには相当な勉強が必要になる。複数の専門家の議論にも耳を傾けなければならない。原発と結びついた社会経済のあり方も 見直さなければならない。脱原発運動に関わる人たちはそうしたプロセスを経て脱原発になったのかもしれないが、フツーの有権者にそれだけの義務や負担を負 わせることはできない。そもそも日々の暮らしだけで精一杯という人が何千万人もいる。原発よりも領土問題が重要だと真剣に考える人もいる。脱原発のプロセ スに関する各政党の主張を点検して、「わかりました。ホンモノは◎×党ですから、私は◎×党に投票します」なんて判断できる有権者は何人いるだろうか?

 脱原発のプロセスについては、確かに政党間にバラツ キがある。だが、どの政党が正しいのか見極めるのはきわめて難しい。そこには正解だってないかもしれない。廃炉や使用済み核燃料、代替エネルギー・自然エ ネルギーといったクリアすべき科学的・技術的な問題が複雑に絡みあっているからである。もちろん、それだけではない。過疎、産業、燃料価格、日米経済関 係、安全保障など政治的・経済的な問題も山積している。問題解決のためのアプローチもひとつやふたつではない。この点は外国誌(Economist英『エ コノミスト』誌)によっても指摘されている(Japan’s nuclear future — Rokkasho and a hard place — The government’s fudge on its nuclear future remains unconvincing Nov 10th 2012)。同誌が述べるよう に、六ヶ所村の再処理施設の問題だけをとっても、たんなる技術の問題を超えて、核保有・日米経済関係・過疎などの問題領域への広がりを見せている。脱原発 の具体的なプロセスに関わる問題はフツーの国民の手に余る課題なのだ。それでも選ばなければならないとすれば、直観に頼るほかない。

 この夏には慶應義塾大学が、複雑に絡みあうこうした 課題に挑戦しながら民意を捉えようとする壮大な実験(DP=討論型世論調査のトライアル〜後述)を行ったが、必ずしも実用レベルに達していない。実施主体 にとっても、また調査対象者にとっても、DPの本格実施のためには相当な知的訓練が必要となるからである。国民が複雑な政策課題に対して的確な回答を出す 作業は、一朝一夕にはできないことなのである。

 脱原発運動に関わる人たちは、ドイツが数か月で「原 発ゼロ」の方針を決定したことを評価して、日本にも「即時原発ゼロ」が可能であると主張するが、ドイツがその結論に至るまで約10年にわたって議論を積み 重ねてきた事実を見逃してはならない。Fukushimaは最終的なきっかけを与えたにすぎない。福島でのとんでもなく不幸な経験にもかかわらず、我々は さらに数年は、原発ゼロまたは原発依存度縮小について、国民的な議論を地道に積み重ねる必要がある。震災までの日本は、一億総原発依存といってもよい状況 にあったのだから、一から始めるほかない。

 もっといえば、日本には、議会以外に国民的議論を重 ねる場が実は存在しないのである。そうした「議論の場」をつくることから我々は始めなければならないのだ。運動の先頭に立つ脱原発派は、デモに集結する人 数に拘り、結果として言いっ放しで自足する傾向があった。その点は親原発派も似たようなものだ。二者択一の力の勝負だと考える傾向があった。両者が同じ テーブルで議論することは稀だった。何よりもまず議論することが重要だ(ぼくと似た問題意識は、仲正昌樹さんや武田徹さんの主張にも見られる)。

 これから議論の場をつくるということは、何を隠そう 「民主主義」のあり方を根本から見直すことを意味する。時間制約の大きな議会だけに頼ることのリスクにそろそろ気がつかなければならないのだ。おそらく多 くの国民が、日本の民主主義には議会以外に議論の場が存在しないことに気づき始めている。主張の一方的な表明だけでは、物事は前に進みやしない。あらたな る公論形成の場を生みだし、議論を闘わせることこそ、日本の民主主義に求められているのだ。

 1983年8月6日土曜日、ぼくはミュンヘンにい た。朝、散歩がてら市庁舎前の広場に行くと、人びと三々五々集まってくる。何事が始まるのかと注視していたら、広場のあちこちで議論が始まった。緑の党の チラシを持った人びとを取り囲むように、あちこちで議論の輪ができている。キリスト教社会同盟や社会民主党の支持者とおぼしき人びともいる。耳を傾けてみ ると、皆、口角泡を飛ばしながら、「核」(Atomkern)について議論しているのだ。その日はなんと原爆記念日だった。

 議会と選挙が機能し、デモや集会で意思表示するシス テムが整っていれば民主主義は完結すると思っていたぼくは仰天した。だが、『世界』『文藝春秋』『中央公論』などの月刊誌が「論壇」を形成する日本には、 「広場」での議論など必要ないだろうとも思った。「休日の朝から見知らぬ市民同士が議論するなんて、ドイツ人はなんて議論好きなんだろう。そうだ、ドイツ には日本みたいな論壇がないにちがいない」その感想が間違いであることに気づいたのはごく最近である。今の日本にはそもそも論壇なんて存在しない。知識人 の啓蒙活動なんてほとんど役立たない。新聞・テレビなどのメディアが公論を形成する役割を担っているとしてもそれは限定的だ。

 「論壇や広場がなくともネットがある。ネットで不足 ならデモすればいい」という声もあるだろう。だが、ネットにはステレオタイプの賛否両論がごまんと発信されて、冷静な議論が背後に隠れてしまう。ネットは 広報や一方的な発信に優れているが、議論そのものを高める場としては相応しくない。同様の考え方を持つ人たちが結集する集会やデモにも議論を高める作用は あまりない。

 今回の選挙結果でも示されたように、民意を国政や行 政に的確に反映させるのは意外なほど難しい。原発縮小か推進かという問題提起ならいいが、脱原発プロセスにはさまざまな知見が求められるから、民意を集約 することは容易ではない。加えて小選挙区制の問題がある。小選挙制の下では「択一」を強いられる。選択から漏れ出た政治的意思を生かす補完的システムはほ とんど見あたらない。議会だけに頼っていたら、いつまでたっても「AかBか」の選択で終わる。第三の道Cがあるとしても、その入り口すら見つけられない。 与野党の協議を通じてCの入り口を見つけられることもあるが、それはもっぱら与党の温情や戦術に依存する。与党の譲歩という僥倖を期待するほかないのだ。 要するに戦後民主主義を抜本的に「更新」しないかぎり、複雑な問題に対する民意は反映されにくいのだ。

5.結論〜選挙と民意

 今回の選挙について結論的なことをいえば、

(1)民主党に対する失望感
(2)「景気」や「雇用」に対する国民の我慢の限界
(3)争点としての原発の消滅

という三つのポイントから、自民党が消去法で選ばれたと思っている。今にも戦争が始まるかのように煽る自民党の広報ビデオを見て有権者が投票したわけではないし、憲法改正が支持されたから自民党が選ばれたわけでもない。

 もちろん、ここにもまた別の問題がある。憲法は改正 したくないが、その他の点では自民党を支持するという有権者も少なからずいるだろう。「景気」は自民党に頼みたいが、「安全保障」では共産党に共感する、 という有権者だっているはずだ。政党の多様化は、有権者のこうした多様化に呼応しているようにも見えるが、実際はそうではない。政治不信・政治家不信と相 俟って、有権者の多様化・個性化のほうがはるかに進んでいるのだ。投票に足を運ばない有権者が政治に無関心というわけでもない。選びたい政党や選ぶべき候 補が見あたらないのだ。だからこそ、選挙とはまた別に民意を吸収するシステムが求められるのである。

 ところで、今回の総選挙については、「世論調査が投 票行動に影響を与えた」という議論もある。要するに「勝ち馬に乗る」という傾向が端的に現れているというのだ。「どうせ自民党が勝つのだから恩を売ってお こう」という投票行動である。沖縄の投票結果はその典型だが、他の地域でこの分析がどの程度の信憑性を持っているかはよくわからない。

 すでに述べたように、主要政党は脱原発という「民意」を意識した政策を訴えた。

【政党間に温度差はあるが、脱原発という方向性そのも のに大きな揺らぎはないだろう。「原発ゼロ」にならないとしても少なくとも原発依存度は低まるはずだ。だからこれは争点ではない。 世論調査では自民党が勝利するとなっている。所得形成に配慮する(不景気を克服する)という政策ではやはり自民党に分があるのではないか。所得の再分配も 必要だが、「仕事がない」状況が現下の最大の問題だ。だったら自民党に投票しよう】

 このように考える有権者は少なからずいたはずだ。自 民党に投票した人たちの多くは「固定票」だというが、過去の選挙でも自民と民主とのあいだで揺らいだ有権者も少なくなかった。前回は民主党、今回は自民党 に投票した人びとを「勝ち馬にのった」と見なすことはできるかもしれない。

 だが、そうした現象があったとしても、今回の選挙結 果には素直な国民感情が反映されているというのがぼくの評価である。「民意」(世論)の扱いに失敗した政党は軒並み議席を減らした。または思ったより議席 を獲得できなかった。脱原発を争点にしようとした日本未来の党がその好例である。野党に転じた3年間、自民党が学んだことも多かったはずだから、彼らの戦 術も巧みだったのかもしれない。何にしても民意が「安倍=右傾化・憲法改正=軍国化」という単純な図式で自民党を選んだと考えるのは早計だ。民意は、(ど ちらかといえば消去法だろうが)政策(公約)間の優先順位付けや他の政党との比較を意識的・無意識的にやっている。自民党の大勝や日本維新の会の台頭をた んなる「ポピュリズム」としてしか評価できない政治家や知識人は、民意に関する想像力を欠いているとぼくは思っている。

 が、民意とは何かを根本から見直すことはやはり重要だ。民意は脱原発の方向性は選べても、脱原発のプロセスまで選びきれなかったからである。民意が自民党を選んだからといって、憲法改正・軍国化を歓迎しているわけではない。素朴な景況感が自民党を大勝させただけである。

 現在の世論調査でも民意を十分に知ることは難しい。先にも触れたがDP= 討論型世論調査という方法もある。慶應義塾大学の曽根康教教授が従来から提案する新しい世論調査の手法で、一方的な質問に答えるのではなく、時間をかけて 議論することによって民意を集約していくという方法である。海外にも実施例は多く、日本でも原発に関する実験的なDPはすでに行われている。「国民から無 作為に抽出された代表が、資料をもとに議論しながら政府が意思決定するための参考意見を示す」というDPの基本的な考え方は、これまでの世論調査に代わる 民意の調査方法として有力である。というより、「国会とは別の場で国民が時間をかけて議論する」舞台がない現状が日本の民主主義を歪める結果となっている 以上、そうした公論の場を形成しるために、DPには期待したいとは思っている。

 だが、現状のDPでは関係者に対してかなりの知的レ ベルが要求される。資料読解や参考人からの意見聴取といったハードルがきわめて高いのだ。資料や参考人の選択にも恣意性が入りこみやすい。おまけに数日で は終わらない。原発のように複雑な問題であれば数か月かかる。従来の世論調査の何倍にも相当する資金も必要だ。腹案がないわけではないが、まだ公表できる ほど考え抜いてはいない。が、ぼくのような無責任な立場の人間ですら、民意の集約方法について早急に考えるべきだと思っているのだから、責任ある立場の人 たちなら考えているに違いない。むろん、選挙制度改革も併せて行われなければならないだろう(ぼくは中選挙制の復活が軸になると思っている)。

 問題は2013年に行われる参院選である。そこでもまた「自民党大勝」ということになれば、「原発推進」や「憲法改正」という政策が前面に出てくるだろう。それはほぼ間違いない。

 ぼくの問題意識に沿っていえば、「所得格差・経済的 格差」という分配・再分配の問題に自民党がどのように対処するかが最大の関心だが、「原発推進」という逆コースが顕在化すれば、福島は何の教訓も残さな かったことになりかねない。憲法改正を懸念する人も多い。ぼく自身は9条以外の部分を見直すべきだと考えているから、憲法改正の議論そのものは歓迎だが、 自民党が本気になっても憲法改正は技術的に難しい。公明党との連立もネックだ。

 ぼくがいちばん心配しているのは、次期参院選での自 民党の勝利はこれからの日本の民主主義にとってけっしてプラスにはならないという点だ。「日本の民主主義はこれからだ」とぼくは思っている。これから磨く ものだと思っている。選挙制度改革や民主主義のシステムについて、自民党はおそらく保守的な立場を貫くだろう。今いちばん求められているのは民意を的確に 吸収し、反映する新しいシステムである。参院選がその芽を摘み取らないことを切に願っている。

2012年12月26日

※このテキストは12月27日に一部補筆しています。補筆部分は青字で表示しました。

批評.COM  篠原章
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