「辺野古移設反対・オスプレイ反対」では断ち切れない不幸の連鎖

アルジェリア政府の発表によると、同国イナメナスで起きた人質拘束事件で、少なくとも外国人37人(48人説もあり)、アルジェリア人1人が死亡し、5人の安否が依然確認されていない。死亡した外国人人質 の国籍は判明しているだけで9カ国にまたがり、日本人7人、フィリピン人6人、英国人4人、ルーマニア人2人、米国人とフランス人が各1人が確認されてい る。他の死亡者の国籍はまだ不明だ。武装グループの国籍も、アルジェリア人、エジプト人、ニジェール人、マリ人、モーリタニア人、カナダ人、チュニジア人など6〜9カ国に渡っているという。経済にもテロリズムにも、もはや国境や人種はない。

問題となっているボーイング787は、国際共同事業で造られている航空機である。事業への参加企業は世界で900社。アメリカ、日本、イタリア、イギリス、フランス、カナダ、オーストラリア、韓国、中華人民共和国といった国々が参加している。日本からは三菱重工業、東レなど数十社。出火したとされるバッテリー部分の本体は、日本のGSユアサが製造している が、イギリスのメギット社傘下セキュラプレーン・テクノロジーズの充電装置とフランスのタレス社の電源管理システムとのセットでボーイング社に納入されている。787の製造・運航で世界じゅうの何十万人という人たちが生計の糧を得ている。

そのボーイング社はオスプレイの製造元でもあり、世界有数の軍事企業でもある。ボーイング社は世界の数十万人の人びとに仕事を与え、その航空機は世界を飛び回り、日々数十万人の人びとを運んでいるが、彼ら がつくった軍用機は世界各地で何十万人という人びとの命を奪ってきた。

「世界とつながりたくない」と思っても、それを許してくれる環境は地球上どこにもない。ぼくたちは、ネガティブな意味でもポジティブな意味でも世界とつなげられている。悲しみも喜びも苦しみも楽しみも、いとも簡単に国境や文化や人種を越える。

沖縄の「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」に参加する41市町村長が、28日に上京して安倍首相に直訴するという。27日には日比谷野音で「NO OSPREY東京集会」を開き、鍛治橋交差点まで約2キロを「パレード」する。「デモ」ではなく「パレード」というところが理解を超えているが、市町村長とその随行団の計141人が一斉に上京して直訴し、「パレード」するという図は、「深刻」というより「お笑い」に見えてしまう。ポケットマネーで東京に来るなら「がんばれよ〜」と声をかけてもいいが、おそらくその経費は公費に違いない。モトをただせばもちろん税金である。

彼らの直訴の内容は、(1)米軍普天間飛行場のオスプレイ12機と嘉手納基地への配備計画をいずれも直ちに撤回すること(2)米軍普天間飛行場を閉鎖・撤去し県内移設を断念すること、の二点だ。

要求するのはいい。だが、「世界とつながる」矛盾の中に人間の本当の苦しみがあるという事実を、彼らは本気で考えたことがあるだろうか。

目まぐるしい経済成長の果実を分けてもらえない中国の貧困層は、わずかばかりの日当を目当てにデモに参加する。「尖閣は中国領だ」と叫んで日本車に火もつけたが、その生活は一向に改善されず、「悪いのは日本だ、尖閣も沖縄も中国だ」と心から信じている。

米国の貧困層は、貧困から抜け出すために海兵隊に入って普天間にやってくる。日本を中国や北朝鮮から守るのが仕事だと教えられているが、沖縄のデモ隊から「ヤンキーゴーホーム」と非難され、夜間外出や飲酒まで禁じられている。

普天間基地に隣接する普天間第二小学校の生徒は、「そんなに危険ならまず基地ではなく学校が移転べきだ」という意見があることも知らされずに「日本一危険な」学校に毎日通わされ、保護者たちは「基地が移転しないから危ない目にあっている」と内外メディアに訴えている。

経済成長の恩恵に浴さず、過疎に苦しみつづけてきた 辺野古の住民は、「基地受け入れ」こそ生き残る術だと受け入れの覚悟を決めた。にもかかわらず、沖縄の政治家やジャーナリストは誰ひとり彼らを応援しない。それどころか、他地域に住む県民から「裏切り者」呼ばわりまでされる不幸に沈黙している。

絡みあう世界の幸不幸は、いつになったら解き放たれるのだろうか。41市町村長が結束して陳情すれば、沖縄は不幸の連鎖を断ち切ることができるのだろうか。考えを進めれば進めるほど、「陳情」の持つ意味が わからなくなる。今回の陳情団が、翁長那覇市長を県知事にするための「決起集会」「資金集めパーティ」にしか見えないぼくが間違っているのだろうか。

沖縄タイムス(2013年1月22日付)

沖縄タイムス(2013年1月22日付)

批評.COM  篠原章
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