私たちは蛙のオツムに勝ることができるのかー不毛な証人喚問と木下順二「蛙昇天」

国会での証人喚問を、我が人生のなかで何度見せつけられてきたでしょうか。
 
自分自身の体験でいえば、ロッキード事件から始まり、ダグラス・グラマン事件、リクルート事件、東京佐川急便事件、鈴木宗男事件、構造計算書偽造事件(姉歯事件)、山田洋行事件などなど、こんなにもあったのかと思うほどの「証人喚問」が記憶のなかに残されています。
 
そのほとんどは、事件の解明にはほど遠い経緯をたどる一方、「自殺者」という名の犠牲者を出し、会議費(国会経費)のいらずらな浪費に終わっています。
 
これらの事件を解明し、決着を付けてきたのは、ほとんどの場合、検察であり裁判所でした。司法機関の出した結論が真相とは限りませんが、私たちの民主主義は、司法機関に事件の解決を委ねることで機能しています。私たちの「日常」のなかでは、司法こそ唯一合理的な判断を許された機関だといえるでしょう。
 
戦後史を振り返ると、最初に注目された証人喚問は「徳田要請問題」でした。
 
ソ連によるシベリア抑留から帰還した引揚者が、ソ連共産党の思想に共鳴した者が優先的に帰国する恩恵に浴したと主張し、このように不公平な措置が取られたのは、日本共産党幹部の徳田球一がソ連共産党にその旨を要請したからだ、としました。
 
1950年3月から4月にかけて証人喚問が行われましたが、シベリアでの通訳者だった菅季治は国会で「誤訳」を追及され、喚問の翌日に自殺して大きなニュースとなりました。菅は、疑惑を追及する側(保守政党)にも、追及される側(共産党)にも与しない、中立的な立場でしたが、学者だっただけに喚問がよほど応えたのでしょう。
 
この事件は、木下順二によって取り上げられ、「蛙の国の国会」という設定で戯画化され、1951年に「蛙昇天」と題した戯曲として発表されています(百田尚樹『カエルの楽園』が木下の「蛙昇天」にヒントを得ていることは間違いないと思います)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いま、その「蛙昇天」を読むと、私たちの「証人喚問」がいかに不毛で、バカバカしいものかがよくわかります。証人喚問は政治家と政党のパフォーマンスの場に過ぎません。
 
政治家のみなさんには、「蛙の国会」と同じレベルでの議論に終始している実態に気づき、犠牲者を出すだけの証人喚問を直ちに止めてほしいものです。もっとも政治家のみなさんが「蛙のオツム」であるとすれば、どだい無理な相談かもしれませんが。
 
批評.COM  篠原章
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