沖縄ナショナリズムと闘う男が帰ってくる! ー高良倉吉副知事の誕生ー

沖縄県の副知事が変わる。次期副知事の候補とされる高良倉吉さんは、昨年で30回を重ねた「ピースフル・ラヴ・ロックフェスティバル」の仕掛け人でもあった歴史家だから、ぼくにとって馴染みは深い。版画家の名嘉睦稔さんとともに伊是名島の生んだ偉人である。
(「副知事に高良、川上氏2月議会議案提出」琉球新報2013年1月29日付)

高良さんは、真栄城守定さん、大城常夫さんと共著で、2000年に『「沖縄イニシアティヴ」のために 一アジア太平洋地域のなかで沖縄が果たすべき可能性について一 』という論文(略して「沖縄イニシアティブ」)を公表している。ボクなりに解釈すれば「被害者意識を捨てて世界(アジア)に出よう!」という前向きの沖縄観を提示する優れたテキストだった。沖縄も「日本国の一員」である以上、日米安保を前提としながら基地を粛々と削減しましょうよ、と訴えかける性格の文書でもあった。

ぼくは日米安保に批判的な立場だが、民主主義や国際社会のあり方に対する根源的で粘り強い議論を抜きにした「日米軍事同盟粉砕」などまるでお伽噺である。被害者感情のみを土台に構築された「平和論」は、ときとして古典的で原理主義的なナショナリズムにも転化するという道理をわきまえないと、平和運動や反戦運動はたちまち破綻する。ナショナリズムはけっして 「反戦」になりえない。同様に「明日のメシが食えるか」という切実な問いかけを抜きにした反体制運動も、たんなる知識人の遊戯だとボクは思っている。メシが食えない状態を放置する政治運動など、存在する価値はない。

高良さんたちの「沖縄イニシアティブ」は、沖縄の過去を「未来につながる今を生きる」という視点から捉え直したという意味で、被害者感情のみを原点とする過去の沖縄観とは根本的に異なる。もちろん、「日米軍事同盟粉砕」「米軍基地即時全面撤去」という短絡的な議論に対するアンチテーゼでもある。彼らはより自由な沖縄に向かう出発点に立つために、被害者感情からの脱却を訴え、日米安保の存在をあえて認めようというのである。ぼくにとってそれは未来への出発点に見える。高良さんたちは、真っ当なことを真っ当に論じながら、前に進む道を選択したのである。

ところが、である。真っ当なことを真っ当に語っただけなのに、沖縄のメディアや知識人はこぞって彼を叩いた。新川明、新崎盛暉、仲里効、石原昌家、川満信、比屋根照夫などの批判が「高良叩き」の代表だ。 皆、沖縄の歴史と沖縄の人たちの平和感情・反基地感情を侮辱するものだ、と口を揃えた。ほとんどの批判が「学」という姿を装いながら、最後は「沖縄のここ ろ」というブラックボックスに我々を引きずりこもうとする。はっきりいえば、そんなもの、偏狭なナショナリズムの一バリエーションにすぎない。これは連中 の常套手段だ。彼らは「多勢に無勢」という状況をつくりだし、メディアはそれに呼応して「沖縄イニシアティブ」を支持する議論をほとんど載せなかった。 「沖縄イニシアティブ」は事実上葬られた。ちょっとした言論封殺だった。

その後、高良さんの声は公的なレベルでは聞こえにくくなった。高良さんは仲井眞知事のブレーンだったが、仲井眞さんとの関係も見えにくくなった。だが、2人の関係はおそらく切れていなかったのだろう。

仲井眞さんは新しい副知事に高良さんを選んだ。というより、長らく副知事を請われては断っていた高良さんのほうがようやく引き受けたというべきなのかもしれない。もともと(普天間基地の)県内移設派だった仲井眞さんは「沖縄の政治家」としての計算から、県外移設派に鞍替えしたが、予想以上に事態が膠着して落としどころに困っているところだ。高良さんにはこの膠着した状況を打開してもらいたい。「県内移設への回帰」を声高に主張できる状況にはないが、高良さんなら事態の膠着を打開する想像力と実行力は備えて いる。2人は何らかの約束は取り交わし、沖縄の主要政治家やメディアへの根回しも終えたうえで「副知事就任」という情報が流したはずだ。

高良さんが仲井眞さん一流のマキャベリズムとどう関 わり、どう進んでいけるのか多くはまだ不透明だ。だが、今現在、沖縄の偏狭なナショナリズムや暴論ともいえる構造的沖縄差別論と闘えるのは高良さんをおいてほかにない。高良さんがこうした潮流と本気で闘うつもりなら、ボクも心から応援したい。

琉球新報(2013年1月29日)

琉球新報(2013年1月29日)

批評.COM  篠原章
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