市民本位の浦添市長誕生を喜ばない「オール沖縄」

※本稿は当初のタイトル『翁長那覇市長の陰謀〜浦添市長選の「本質」を暴く』を改題したものです(2013年2月21日改訂)

2月10日に行われた浦添市長選挙で、NPO代表などを務めた無党派の松本哲治さんが当選した。現職の儀間光男さん、元教育長の西原廣美さんを破っての当選である。儀間さんは4選を目指した立候補で、西原さんは自民、民主、社民、沖縄社会大衆党(地域政党)による推薦を取りつけての立候補だった。事前の予想では、「現職の強み」を発揮する儀間さんと「オール沖縄相乗り候補」の西原さんの対決だと騒がれていたのだが、蓋を開けてみればまさに仰天の結末だった。党派的な色彩も行政の経験もない松本さんが選ばれると予想する人はほとんどいなかった。

今回の選挙の背景は、ちょっと調べてみれば簡単にわかる。浦添市自体に行政上の大きな懸案事項はなかった。もちろん、具体的な施策を見れば問題は山積である。だが、それは浦添に限られた問題ではない。沖縄や全国の市町村に共通の問題ばかりだ。ただし、政治的な懸案事項はあった。それは現職の儀間さんの4選を許すか否か、という問題だった。当初は「儀間4選」をめぐる攻防がこの選挙の最大の焦点だったのだ。

ところが、である。この浦添市長選を利用して、(中央政界風にいえば)政局を動かそうとした人物がいた。その人物が介入したことで、浦添市長選は大きく混乱したのである。

今回の浦添市長選の選挙結果について、本土のメディアの多くは、「移設反対派の松本氏が勝利」と報じている。いかにも基地反対派市民の代表が、現職や既存政党がこぞって応援する候補を破って当選したことに「意義」があるかのような報道だった。日本経済新聞でさえ、共同通信社からの配信を疑うことなくそのまま使って次のように報じている。

沖縄・浦添市長に松本氏が初当選 軍港反対「市民の意思」

任期満了に伴う沖縄県浦添市長選は10日、投開票され、元NPO法人代表理事、松本哲治氏(45)=無新=が、自民、民主、社民、沖縄社大推薦の前市教育長、西原広美氏(65)=無新、儀間光男氏(69)=無現=を破り、初当選を果たした。投票率は63.30%。
那覇市にある米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添市移設の是非が争点だった。松本氏は「受け入れの必要はない」と移設反対を掲げており「地元の同意」が失われた格好だ。
当選を決めた松本氏は「軍港を受け入れないというのが市民の意思だ」と明言。仲井真弘多県知事や翁長雄志那覇市長とも協議する意向を表明した。
松本氏は、浦添選出の県議らでつくる選考会の公募で選ばれた。政党の枠組みにとらわれず、市民主役の政治をすると主張していた。
西原氏は、仲井真知事らの支援も受け、移設見直しを訴えたが及ばなかった。2001年に市長として移設受け入れを決断した儀間氏は「あらためて賛成や反対を言う必要がない」と移設容認の考えを示していた。
日米両政府は1974年、移設条件付きで那覇軍港の全面返還に合意。95年の日米合同委員会で浦添移設が決まった。01年の浦添市の受け入れ表明を経て、06年に日米が合意した在日米軍再編ロードマップな どでは、浦添に建設される新施設に移設するとされている。〔共同〕

日本経済新聞(電子版 2013年2月11日)

松本さんが、「那覇軍港の浦添移設に反対」と明言していたことは事実だから、この日経新聞の記事(共同配信記事)が「間違っている」わけではない。だが、松本さんが移設反対を唱えるようになった経緯にはまったく触れていない。『軍港反対「市民の意思」』などという見出しを付ければ、那覇軍港移設が選挙の最大の争点だったかのような印象を与えるが、 先にも触れたように、移設問題は当初争点ではなかったのだ。松本さんは投票日のひと月前、1月12日の段階まで「移設容認」という立場だった。選挙直前になって、松本さんは移設問題への姿勢を180度変えたのである。否、後で述べるような事情で変えざるをえなくなったのである。

選挙過程での松本さんの変化に詳しく触れる前に、浦添市の抱える基地問題について若干おさらいしておきたい。

浦添市には、兵站機能・後方支援機能が集積するキャンプ・キンザー(海兵隊)がある。が、これについては日米間で事実上返還が合意されている。スケジュールは具体化していないが、沖縄の基地問題は「普天間移設問題」をクリアしない限り、ほとんど前進しない構造になっているので、キャンプ・キンザー返還の行程表が出てくる段階にはない。浦添市は、もう一つの基地問題を抱えている。返還の決まっている那覇軍港の移設先が浦添市沖(西洲海岸)となっているのだ。正確にいえば、那覇軍港返還は「移設条件付き返還」であり、浦添移設が不可能ということになれば、別の移設先を見つけない限り那覇軍港の返還もなくなる。要するに現段階では、那覇軍港返還と浦添移設はワンセットなのである。

儀間市長は、そもそも2001年の初当選時に「軍港移設容認」を掲げて当選した人物である。今になって「苦渋の選択」と言い直しているものの、2001年当時は、「国の誠意にこたえるとともに、振興策を最大限に引き出し優位に立つために」(琉球新報の報道による表現)当選後早い段階で「移設受け入れ」を正式に表明していた。 移設元の翁長雄志那覇市長も、儀間さんと歩調を揃えながら移設問題に対処してきたという経緯がある。

儀間さんの受入表明から10年以上経っても、那覇軍港が返還されていないのは、返還スケジュールの頂点にある普天間基地移設問題が決着していないからである。「嘉手納以南の基地返還を速やかに進める」という話にはなっているが、90年代以降の基地縮小プログラムの象徴である普天間が動かない以上、他のプログラムがそれにひきずられるように遅々として進まないのは当然といえば当然である。それは国の責任とも、米軍の責任ともいえるが、沖縄の責任でもある。三者三様に責任がある。

遅々として進まない那覇軍港移設問題ではあったが、 この問題について、「容認派」と「反対派」が激しく対立してきたことはほとんどない。今回の選挙についても、儀間さんはもちろん、反儀間陣営も、当初はこれを争点にするはずではなかった。那覇市(翁長市長)との合意も形成されていたから、浦添の側から「移設反対」を言いだせば那覇市との信義の問題にもなりかねない。松本さんも、昨年10月1日に公開選考会の席で市長候補に選ばれた時点では、「移設容認」の立場だった。超党派で募集・選考に当たった反儀間派の県議や市議も、「容認」という立場を承知の上で松本さんを選んだのである。

しかしながら、11月になって、公開選考会で敗れた西原さんが、立候補することになった。雲行きが怪しくなったのはこの頃からである。

そもそも公開選考会(公募による首長候補選び)は、 自民党・公明党関係者が他党派に呼びかけて実現したものだといわれている。昨年行われた県議選で、自民党県連幹事長の現職候補が、儀間さんの子息である新人候補に敗れたことが反儀間候補擁立のきっかけだともいわれる。自民党県連を基盤としてきた儀間さんが自民党県連と対立するという構図だが、 これだけなら地方政界にはよくある話である。

だが、その後の展開は、地方のボスたちが暗躍する既存の地方政治の「定石」とはちょっと違った。候補者選びが公開選考(公募)となったのである。自民県連の幹部が、儀間さんに選挙で勝つためには、並みの候補ではダメだと考えたのかどうか経緯には不透明なところもあるが、結果的にいえば自民・公明が、無所属県議の集まりである「県民ネット」と「反儀間」で一 致し、候補者選びを公募で行うと決めた。これは沖縄にしてはずいぶん斬新な手法だった。全国レベルでの先例は少なくないが、沖縄では公募による首長候補選びは初だったのである。

10月1日の選考会に登場したのは、松本さん、西原 さん、池間淳さん(全県議)の3人。各20分間のプレゼンテーションの後、県議・市議などが出席した選考会が開かれ、最終的に選ばれたのが松本さんだった。この間のようすは、YouTubeやUstreamにアップされた動画で確認できる。松本さんのプレゼンテーションは他の2人に優っており、動画を見るかぎり、順当な選考だったといえるだろう。

翌10月2日には和気藹々とした記者会見が開かれ、 松本さんを選んだことが公式に発表された。候補にはなれなかった西原さんも「松本さんを支える」と明言している。松本さんのブログによれば、この時点で 「松本市長・西原副市長」という体制で臨むことも事実上決まっていたという。

ところが、主体だったはずの自民党や公明党の幹部たちは、自分たちが選んだ松本さんを蹴落とす動きに出る。「選考に不正があった」という理由をくっつけて「松本さんを候補として認めない」と主張し、西原さ んを口説いて立候補させることにしたのである。おまけに民主党、社民党、社会大衆党も誘い込んで「保革相乗り」まで演出して見せた。要するに西原さんを 「オール沖縄」が支援する態勢を構築したのである。先の選考会や記者発表の動画を見た者には俄に信じられない豹変ぶりだ。「大人の政治」は汚いモノだが、 ここまで汚いモノを見せつけられると、吐き気まで覚える。ちなみに昨今の沖縄で「オール沖縄」といえば、翁長那覇市長の専売特許みたいなジャーゴンだ。

そこまで酷いことをやられても、ぼくはとても我慢強いので、吐き気を堪えて「それも田舎政治にはよくあること」と諦めてもいい。地方政治の政治党派や政治理念なんてその程度のシロモノだ、と自分に言い聞かせ、誠実そうな松本さんにわずかな希望をつなげばいいのだ。

が、それだけでは済まなかった。事態は予想もしない方向に走り出してしまうのである。以下、松本さんのブログからの引用である。

10月1日に行われた公開討論会にてフロアーからの上記の質問(那覇軍港の浦添移設に賛成か反対か〜篠原註)に対して、私は「基本的に容認」とお答えしました。理由は、現行計画は国、県、那覇市と共に長い時間をかけて協議してきた結果、あるいは、2000年那覇市長選挙、2001年浦添市長選挙の結果を受けて、現在に至る計画です。そのために、私は私が市長になったからと言って、いきなり白紙にもどしたり、現行計画を一方的に破棄したりするつもりはない、とお答えいたしました。公開討論会に挑んだ三氏とも同様の見解でした。しかし、情勢は一気に変化を見せています。

12月30日、自民党県連が西原氏推薦を決定します。
1月4日、社民党県連の旗開きで西原予定候補者が「反対」へ方向転回します。
1月12日、翁長那覇市長が「浦添市への軍港移設とは分離」を明言します。

このように、仲井眞県知事、翁長那覇市長、自民党県連 というこれまでは「浦添への軍港移設を前提とした西海岸開発計画」を推進してきた関係者が、あきらかな方針転換を決断していただいたお陰で、私たち浦添市 でもこれまで県全体の発展を考えて受け入れてきた「苦渋の選択」でもある那覇軍港受け入れをする必要がなくなりました。

よって、この時点で私自身も「那覇軍港の浦添移設」に反対いたします。

松本哲治ブログ「百花繚乱日記」(2013年1月21日付け)

まず、松本さんの素直で正常な反応に心から敬意を表 しておきたい。軍港移設反対が松本さん本来の考え方であるなら、一貫してそう主張すべきだ。だが、ここで問題となるのは松本さんの考え方そのものではな い。儀間さんと二人三脚で那覇軍港の浦添移設を進める立場にいた翁長さんの「変節」である。しかも、松本さんが示したわずか数行の「経過説明」だけで、恐るべき変節の理由も見えてきてしまう(この間、仲井眞沖縄県知事は、1月10日より10日間胆嚢炎で入院している。この入院が翁長さんの行動に影響を与え た可能性もある)。

松本さんのブログによれば、1月12日なって翁長さ んは「那覇軍港返還問題」と「浦添移設問題」を分離すると突然いいだしたことになる。「オール沖縄」で西原さんを応援すると決めた後だ。翁長さんは、「那覇軍港返還・浦添移設」というセットで進められてきたものを、もはやセットではないといいだしたのである。しかも、いいだしたのは「セット」を売る側にい た当事者の翁長さんである。翁長さんはなぜ「分離論」をこの時点で持ち出したのだろうか?その理由は明白である。浦添市長選挙での「争点」をつくるためだ。争点をつくって、自分の推す候補の闘いを有利に進めるためだ。

自民党県連重鎮の翁長さんは、西原さんの支援者である。西原さんが勝つためには、儀間さんとは異なる付加価値が必要だ。儀間さんが「移設容認」なら西原さんは「移設反対」でいけばいい。おまけに、オスプレイ反対や辺野古移設反対の先頭に立ち、東京まで出張って「オール沖縄デモンストレーション」という一大イベントをプロデュースした翁長さんは、今や「革新 陣営」にも食い込んで、社民党や社大党にまで「傘下に収める」勢いだ。「保革相乗り」での西原推薦をとりつけたのも間違いなく翁長さんの「功績」である。 社民党・社大党や自治労・沖教組などの労組を懐柔するためにも、ここは西原さんに「那覇軍港移設反対」を唱えさせたほうが得策だ。西原さんによる「移設反対」をスムースに進めるためには、「那覇軍港返還+浦添移転」というセット商品を分離する必要がある。那覇市側が「移設容認」である限り、西原さんは「移設反対」を唱えにくい。だったら、翁長さんが「分離」を明言するほかない。

翁長さんは「基地反対」という理念に沿って行動して いるのではない。あくまでも政治的計算に基づく基地反対であり、移設反対なのだ。 「オール沖縄」VS「日本政府」という構図を強調し、沖縄独立論にまで火を付けることで、翁長さんは「伝統的」な補助金集金システムも強化しつつある。反基地運動のリーダーとして振る舞いながら、「那覇空港の拡張」という利権の塊のような仕事も進めている。なぜ翁長さんが、こうした政治的行動に走っているのかといえば、それもこれもポスト仲井眞を盤石にするためなのだ。翁長 さんは次期県知事を狙っているのである。

つまり、翁長さんは自らの政治的野心を満たすため に、「オール沖縄」といいだし、「差別的な態度を取る日本」と「対決」しているのであり、果ては「沖縄は独立する」とまで言い放って自分の政治的な立場を 揺らぎなきものにしようとしているのである。浦添市長選への介入も「オール沖縄」の威力を見せつけ、次期知事候補としての圧倒的なパワーを誇示するための 政治的手段にほかならなかったのだ。

翁長さんの政治的野心を満たすための歯車にされた西原さんが「移設反対」を本格的に唱え始めて困ったのは松本さんである。ただでさえ、松本陣営に不利といわれる選挙情勢だ。このまま「移設容認」の立場を維持すれば、儀間陣営と西原陣営の両方から票を奪われかねない。浦添市民にとって移設問題はそれほど切実な問題ではないが、翁長さんが移設問題を争点にしてしまった以上、反儀間の立場を明確にするためにも「移設反対」を唱えたほうが有利な選挙戦を進められる。松本さんとそのブレーンはそう考えたのではない か。松本さんはさんざん悩んだあげく「移設反対」という立場を選んだ。あるいは本気で移設反対だったのかもしれないが、翁長さんに追いこまれることがなければ、松本さんは「容認」で通したはずだ。

現段階では確認のしようもないが、おそらくは松本陣営から怪文書などでまき散らされた翁長さんにとってよからぬ情報もある。「1月31日の松本陣営総決起大会の日、翁長さんから松本さんに対して立候補の辞退を求める圧力があった」というものだ。怪文書によれば、「ポストないしお金(選挙経費+α)と引き換えに立候補を取りやめ、西原さんを支援するように」 といった取引を持ちかけられたという。もちろん、松本陣営は拒絶したという話だが、具体的な日時や介在した人物の氏名も特定されているから、その信憑性は低くない。これがほんとうだとすれば、まさに何でもありだ。

これまでの経緯を総合的に判断すれば、今回の浦添市長選挙は、「終幕」を除いて翁長那覇市長の描いたシナリオに沿って進められたことは確実だろう。西原擁立、松本下ろし、オール沖縄支援、那覇軍港移設反 対…。すべての「事件」は翁長さんによって仕組まれたものだ。何より松本下ろしで剥きだしにされた翁長さんの「本質」は恐ろしいほどだ。「市民の方を向いている」松本さんではコントロールできないと判断した翁長さんは、「公募の選考に不正があった」とウソをついてまで、松本下ろしに奔走したのである。これはどう考えても暴挙だが、こんな暴挙を平気で放置する沖縄県政界の感覚は、明らかに民主主義に敵対する。肝心なときに入院した仲井眞さんがどの程度関わっているのかはわからないが、「無実」ではないだろう。ま、終幕が番狂わせだから、「翁長シナリオ」は結局破綻してしまったわけだが…。

こうしたマキャベリズムの嵐が吹き荒れても、結果的に松本さんが当選したことは、真っ当な民主主義が打ち勝ったという意味で、沖縄の未来にとって明るい材料だ。松本さんや市民の良識は、翁長さんや同じ陣営の仲井眞さんなど老獪な政治屋や利権集団、既得権集団の権謀術数に優ったのである。素人が玄人に優る瞬間を見るのは痛快きわまりない。

ぼくは翁長さんのいう「オール沖縄」にはメディアが大騒ぎするほどの実体などないと思っている。よくいえば琉球・沖縄史に伝統的な、悪くいえば沖縄の支配層・旧体制の衣をまとった残酷で節操のないマキャベリズムが、沖縄の人たちの暮らしを左右する時代は終わりかけている。そう信じたい。

だが、彼らがここで敗北宣言するとも思えない。早速次の「シナリオ・オブ・マキャベリズム」が用意されつつある。翁長さんに誘導され「那覇軍港移設反対」を唱えた松本さんの当選を受けて、与世田兼稔副知事は、那覇軍港移設計画の見直しを早速訴え始めた▼(2月12日)。ところが、親分の仲井眞知事は、移設反対の西原陣営を支援したにもかかわらず、松本さんに対して、「浦添移設が現実的」というメッセージを送っている▼(2月15日)。 どうなってるんじゃい、といいたいところだが、これも新しいシナリオのエピソードかもしれない。ぼくの見るところでは、普天間に那覇軍港が加わると、沖縄の補助金集金装置に過大な負担がかかり、全体が狂い始める。那覇軍港の浦添移設は予定通り進めるのが一番いい。仲井眞さんはそう判断しているに違いない。 与世田さんの発言はたんなる勘違いか拙速ではないか。ひょっとしたらもっと深読みが必要な発言かもしれないが。

翁長さんが仲井眞さんをどうフォローするのか、また 新副知事となる高良倉吉さんがどんな対応策を打ち出してくるのか、今後の展開に注目したいが、要するに、翁長さんにとっても仲井眞さんにとっても、「米軍基地(施設)移設問題」は権謀術策の舞台と素材にすぎなかったことは明白である。市民本位で移設拒否を考える松本さんの那覇軍港移設反対論とは対極にある。

沖縄のメディアも本土のメディアも、ことの本質、つまり浦添市長選が翁長マキャベリズムの舞台だったことを知りながら、そのことをほとんど書かない。とくに本土のメディアは惨憺たる状況だ。浦添市長選は沖縄の民主主義の問題であって、軍港移設の問題ではない。民主主義の危機と軍港移設賛否問題とどちらが重要なのか、良識のある人なら容易に理解できるはずだ。

心情的には松本さんを応援したいが、松本さんの行く手に聳える魔の山は、恐ろしいほど巨大で、想像もつかぬ魑魅魍魎があちこちに潜んでいる。時代の流れは松本さんに好意を示すだろうが、勝利は保証されていない。既得権を守るためなら信義も何も反故にする老獪な政治家と、「平和運動」を隠れ蓑にした公務員権力極大化運動を引っ張る自治労・沖教組に囲まれて、 松本さんの苦悩は深まるだろう。赤嶺昇さん、玉城満さんなどが先導する「県民ネット」の支援も未知数だ。松本さんが安易な妥協をすれば、仲井眞・翁長一族に取り込まれて終わるだろう。期待もあるが、不安のほうが大きい。

松本さんが魔の山を突き崩したとき、沖縄の民主主義は始まる。ぼくはそう考えているが、前途はやはり楽観できない。

批評.COM開設2周年 2013年2月20日

浦添市長選挙開票速報

浦添市長選挙開票速報

那覇軍港の浦添移設問題について、是非あわせてお読みください。
浦添市長・松本哲治の逆襲ー「浦添新基地」発言に動揺する翁長知事
翁長知事に翻弄される浦添市長〜那覇軍港の移設問題(改訂版)
那覇のジュゴンは死んでもいいのか〜 もう一つの埋立承認問題
中山義隆 石垣市長 日本記者クラブ会見(全文書き起こし)

批評.COM  篠原章
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