「沖縄イメージ」と「沖縄アイデンティティ」 (1)

1.「沖縄イメージ」ということば

朝日新聞が発行する『Journalism(ジャー ナリズム)273号』(2013年2月)を読んだ。「沖縄報道を問い直す」という特集が気になったわけではない。同特集への寄稿記事のなかに「復帰40年の幻想と現実を映す沖縄イメージと地元雑誌の変遷」という新城和博さんの論考が入っていたからだ。このコラムでは、ヒジャイさんの自費出版の件で、新城さん(ボーダーインク)の対応に触れたことはあるが(拒絶されたヒジャイさんの自費出版)、今回のテーマはその問題とはまったく関係ない。テーマは標題通り「沖縄イメージ」と「沖縄アイデンティティ」だ。

※ 目次では、『地元雑誌の盛衰に見る復帰40年の幻想と「沖縄イメージ」』となっている。この雑誌の編集部は、原題を勝手に編集して目次に掲げるのか。どうでもいいことだが、けっこうビックリ。

ぼくは新城さんの書いたものが好きだ。内容や主張にかかわらず、無条件に好きだ。一見軽快な文体だが、いつも重荷を抱えているところがいい。重荷が文体の軽快さに救われている。軽快さも重荷も、ともに新城さんの顔だ。どちらが勝るというのでもない。二つの顔が交錯したところに、そのときどきの新城さんの人生の軌跡が生まれる。東松照明が撮った子どもたちの 表情によく似ている。闇の向こう側に光がある。光の向こう側に闇がある。光と闇。人が生きる上でつねに直面する世界の両義性が、その人格や作品に映しだされている。

その新城さんは、この論考で、戦後の「沖縄イメージ」を時代ごとに切り取り、雑誌ジャーナリズムの沖縄における独自の変遷に対照している。新城さんがカヴァーしているのは復帰前後、つまり72年前後の時代から現在に至るまである。「ドルから円へ通貨交換」(72年)「海洋博閉幕」(76年)「交通方式変更」(730)…「沖縄サミット」(2000年) 「『ちゅらさん』沖縄ブーム」「沖縄国際大学米軍ヘリ墜落」(04年)…といった具合に、時代時代のメルクマールが整理され、『新沖縄文学』から『沖縄 JOHO』や『WANDER』を経て、『けーし風』『EDDGE』、そして『うるま』『Hands』『カラカラ』などへと至る雑誌の創廃刊が対置されている。一貫しているのは、時代ごとに生まれくる「沖縄イメージ」がいかに「消費」されてきたかという視点である(以下引用)。

沖縄イメージは、復帰後から振り返ってみると、「沖縄戦のビジュアル資料の衝撃」「亜熱帯・無国籍リゾート」「琉球王朝文化の再現(レプリカ)とオキナワポップの登場」「長寿・癒やしのウエルネスな島」「バーチャルリアリティーとしての沖縄の自然」「消費行動の郊外化」と変遷してきた。さて、現在の沖縄イメージはなんだろうかと、もやもやした気分でいたのだが、「沖縄文化のレビュー化」という言葉で、個人的には腑に落ちたのである。

(新城和博「 復帰40年の幻想と現実を映す沖縄イメージと地元雑誌の変遷」、p.43)

「イメージの消費」は、ポスト・モダンという思潮の旗手であるジャン・ボードリヤールなどが世に問うた社会分析のメソッドに由来するタームだ。現在のぼくは、このタームに違和感を感じているが、新城さんの切り口にとりたてて異議があるわけではない。20世紀後半以降の経済社会の特性を「消費社会」という理念で捉えるボードリヤールなどの方法は、消費という行為に対する否定的なニュアンスを含んでいるが、消費は否定の対象でも肯定の対象でもない。近代以降の人類の普遍的かつ不可欠の行為のひとつである。消費は最終的には、温度や湿度と同じく計量的・計数的に評価される。それ以上でもそれ以下でもない。消費という行為から時代的な個性や特性を取り出すことは可能だが、もちろんそれも量的な単位での評価を伴う。

これについてしちめんどくさい議論をするつもりはないし、また大した意義もない。高度な資本主義社会では、あらゆるものが消費の対象である。「絆」や「心」も含めて消費の対象である。沖縄イメージだけが消費されているのではない。あらゆる社会イメージが消費の対象である。消費は良いことでも悪いことでもない。経済現象であり、経済行為である。正邪の判定は不可能だ。

「沖縄イメージの消費」という語法を使うことによって、沖縄が使い捨ての対象であるかのような印象を増幅する危惧がある。その点は少々気になる。現実の経済社会においては、沖縄だけではなく、あらゆるイメージが消費される。その繰り返しが、経済社会の営みの一部を表している。日本イメージ、東京イメージ、京都イメージ、北海道イメージ。それぞれの地域に沖縄イメージと対照可能なイメージがある。そこにはそれぞれ時代特性もある。ただ、京都の人が「京都イメージ」を気にしたり、東京の人が「東京イメージ」を検証したり、ということはまずありえない(研究者レベルならないとはいえない)。沖縄には「沖縄イメージ」を気にする人がいるということなのだろうか。

2.『ハイサイ沖縄読本』(1993年)の罪状

さて、新城さん取り出した「沖縄イメージ」のうち、ぼくととくに関係の深いのは「オキナワポップの登場」から「長寿・癒やしのウエルネスの島」に至る時代である。「ポップな沖縄」というイメージを“生産”する側にぼくも立っていたからだ。そしてその一部は新城さんとの共同作業だった。

沖縄に関する最初の拙著『ハイサイ沖縄読本』(1993年)や、それこそ『ちゅらさん』がつくった沖縄イメージの下でちょっとしたベストセラーになった『沖縄ナンクル読本』(2002年)で新城さんに重要な原稿を依頼した。新城さんは2回とも「沖縄ブームには違和感を持ってるんだけど…」と戸惑いながらも、最終的には依頼を引き受け、素晴らしい原稿を書いてくれた。だから、新城さんの戸惑いについて、つまりヤマト(日本)における沖縄ブームに対する新城さんの違和感について、ぼくはちゃんと考える機会を失ってしまった。

当時のぼくは、「沖縄戦の過酷な経験と米軍基地の存在に苦しむ沖縄」というイメージをなんとしてもひっくり返したかった。沖縄の活気あるポップカルチャーを前面に出すことで、既存の沖縄イメージを一新したかった。新城さんもぼくと同様の「志」を持っていると信じていたし、実際に新城さんの仕事はそういうものだった。

さらにいえば、ぼくにはもう一つ別のモチーフもあった、音楽評論を書く者として、根っ子(ルーツ)のある沖縄の音楽が羨ましかった。沖縄に倣う日本のポップがあってもいいはずだ、という強い思いが弾けて、ぼくをポップ・カルチャー指向の沖縄本づくりに駆り立てた。(以下引用)

沖縄の文化をポップカルチャー化することによって沖縄を再発見する若い世代の動きは、一見、復帰20周年に騒ぐ中央メディアの動きと連動しているのであるが、メディアの視線は「ヤマト化の完成形としての沖縄ブーム」の枠に留まるものが多く、その違和感は少しずつ蓄積していた。結局「日本にとって(沖縄)とはなにか」という問題を、中央メディアが提示しきれない限界を表しているのである。

(新城和博「 復帰40年の幻想と現実を映す沖縄イメージと地元雑誌の変遷」、p.40)

たしかにぼくにも「ヤマト化の完成形としての沖縄ブーム」という視線があったかもしれない。「ニッポン人としてのアイデンティティ」探しの旅の末に、フラフラとたどりついた先が沖縄だったという側面はある。それは柳田國夫の内的な沖縄イメージにも似ている。いわゆる「沖縄病患者」が必ず通る道でもある。だから、知念ウシさんに「ヤマトーンチュよ。いつまでも沖縄に甘えるんじゃない!」と凄まれれば、思い当たる節があるから2〜3歩後ずさりしてしまう。ただし、ぼくは自分のその姿勢を1994年に自己批判している。それこそ新城さんが編集していたリトル・マガジン『WANDER』に「ぼくが沖縄に住まないわけ」と題して、<生涯一観光客>を宣言する文章を書いた。ついでにTHE BOOMの「島唄」批判もして、宮沢和史さんをずいぶん悩ませた(らしい)。

が、今にして思えば、それは大した罪ではない。自分でいうのもなんだが、可愛いものだ。多くの人が自分のアイデンティティを探している。音楽がアイデンティティの人もいれば、土いじりがアイデンティティの人もいる。子どもや子育てがアイデンティティだという人も少なくないだろう。むろん、もっと哲学的にアイデンティティを追求している人だっている。だから、沖縄にアイデンティティの手がかりを見つけたからといって、厳しく批判されることではない。沖縄にとってそれは迷惑かもしれないが、許容範囲だと思う。 沖縄に生まれながら、東南アジアや欧米にアイデンティティを求める旅に出て、どこかの国にすっかりはまってしまった人だっている。沖縄本島中部・南部あたりから、宮古八重山あるいは山原に旅して、「やっと自分のアイデンティティを見つけた」という人も知っている。京都こそ自己実現の場で、自分のホントの故郷だと息巻いていた沖縄人クリエータもいた。アイデンティティの旅は、ヤマトの人間の専売特許ではない。ウチナーンチュにもドイツ人にも台湾人にもフィンランド人にも、アイデンティティを求めて、ある土地やその土地の文化に引きこまれる例は珍しくない。

※ 厄介なのはアイデンティティ探しが偏愛に転じたときだ。ぼくは2年ほど前に大学を追われた傷のある身だが、ぼくの本の読者だった沖縄好きのヤマトーンチュのブログに「篠原さん、あなたみたいな人はしばらく沖縄に来ないでください」と書きこまれた。この人は沖縄を自分の領地かなにかと勘違いしている。やわらかい形をした植民主義者だ。こういう偏愛者が生まれるのはある程度やむをえないが、 それも度を超してくると、沖縄の敵というより理性の敵となる。善人を装いながら、ブログを通じて自分の感情の滓をばらまいているうちはまだいいが、やがてリベラリズムの敵となり、偏狭なナショナリズムの戦士となる。

『ハイサイ沖縄読本』はぼくの沖縄に対する驚きと共感を一書にまとめたものだ。その意味で素直なつくりの本なのだが、同書の方法論は山口文憲さんの名著『香港 旅の雑学ノート』(1979年・ダイヤモンド社)から借用している。文憲さんが香港を素材に書き記したような、清濁を併せのむ無条件のヒューマニズムが『ハイサイ沖縄読本』で描きたかったことだ。「沖縄はおもしろい」は「香港はおもしろい」と同じであり、「大阪はおもしろい」や「スコットランドはおもしろい」とも同じである。「独自の文化」という衣装をまとった地域(都市)とそこに住む人びとのおもしろさが題材だ。

が、ぼくにも大いに反省しなければならない点がある。沖縄イメージを一新しようなどというお節介にまで手を染めてしまったことだ。沖縄のおもしろさは、シンプルなヒューマニズムの濃淡だ。東北だろうが、九州だろうが、日本全国どこにでもある人間社会の営みのおもしろさだ。沖縄だけを特別視すること、それを書き続けることの意味を心から自省したのはここ数年のことだ。沖縄のダークサイドを知りつつ、それを書かなかったこと、日本や世界のどこにでもある人びとの物語を、沖縄特有のものとして扱いつづけたこと。これについては、書き手としての責任を免れない。今、ぼくが沖縄ついて辛口な発言をつづけているのは、ある種の償いだと思っている。

『Journalism』2013年2月(No.273)

『Journalism』2013年2月(No.273)

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批評.COM  篠原章
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