「沖縄イメージ」と「沖縄アイデンティティ」 補説

「沖縄イメージ」と「沖縄アイデンティティ」(3) からつづき

 

※2月25日掲載の拙論<「沖縄イメージ」と「沖縄アイデンティティ」(1)(2)(3)>について、「わかりにくい」という批判が寄せられた。そこで若干補足しておきたい。

拙論で問題にしているのは、新城和博さんの論考そのものの不完全さではなく、「沖縄イメージ」という切り口から沖縄問題を考察する姿勢なんです。

これについては、多田治さんの『沖縄イメージの誕生 ―青い海のカルチュラル・スタディーズ』(2004年・東洋経済新報社)と『沖縄イメージを旅する』(2008年・中公新書ラクレ)が真っ先に思い浮かびます。多田さんの著書は無害です。無害という意味は、ぼくたちにとって深刻な論点は含まれていないということです。カルチュラル・スタディの入門書といえば確かにそうですが、ツーリズムのためのビジネス・モデルに近い。ビジネス・モデルの遷り変わりを扱っているというべきかもしれません。

多田さんの著書の文脈に即していえば、本来、沖縄についてはどのようなイメージが形成されてもいいわけです。すでに指摘したようにたんなるビジネス・モデルですからね。商売です。何でもありです。ただ、そのモデルが売れたか売れないかという話はありうると思います。売れるものが残る。売れないものは残らない。そして、売れたものが(時代ごとに)支配的なイメージを形成する、のかもしれない。でも、それもただそれだけの話です。「売れてよかったじゃん」って声をかけてあげることぐらいしか思い浮かばない程度の話です。

多田さんの著書を離れると、支配的な沖縄イメージと沖縄の真の姿との「乖離」が問題だ、という議論の立て方もできます。現にそういう議論を展開する人もいると思います。が、正直にいうと、これもどうでもいい話です。「勝手にやってください」としか言い様がありません。ビジネス的には「沖縄の真の姿」なんてほとんど関心を持たれることはありません。「東京の真の姿」や「北海道の真の姿」が関心を持たれないのと同じことです。日本本土の住人も沖縄の住民も、大半はそんなことに関心はありません。円安がどうなるとか、金利がどうなるとか、アベノミクスは期待していいのかとか、そういう問題のほうが今やリアリティがあります。話は少しずれますが、日本の政治家の経済政策が、これほど注目された例は過去あまりありません。アベノミクスの行く末のほうが、日本本土の住人にとっても沖縄の住民にとっても、いわゆる「沖縄問題」よりはるかに重要ですからね。

<「沖縄イメージ」と「沖縄アイデンティティ」>と いうぼくの論考は、沖縄には「ナショナリズム」の亡霊が跋扈しているんじゃないか、という危惧の表明なんです。ここでぼくが想定しているのは、 『EDGE』という雑誌を編集していた仲里効さんやその同志の方々です。ヤマト(本土)による「沖縄の構造的差別」を主張する論者の方々ですね。仲里さんにはそのものズバリ『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』(未来社・2007年)という本もあります。これは映画論・映像論ですけど、要するに本土(ヤマト)のつくったオキナワのイメージ、あるいはヤマトに 引っ張られるかたちで沖縄から発信されたオキナワのイメージを、ポスト・コロニアリズムの立場から論難する書物です。仲里さんの映画論・映像論そのものには教えられるところもあるのですが、ポスト・コロニアリズムという立場からのヤマト批判は的外れです。でも、そのヤマト批判が、普天間、オスプレイ、米兵の犯罪などをきっかけに亡霊のように浮上しつつある。そこに「ナショナリズム」の臭いがするとぼくは考えているのです。

仲里さんなどは、「植民者のヤマトが勝手に“沖縄イ メージを捏造した”というような言い方、あるいはそうしたニュアンスを臭わせるモノの言い方をします。さらに彼らは、「本当の沖縄イメージは沖縄アイデンティティの問題だ」というロジックを展開します。「(ヤマトやその同行者に捏造された)沖縄イメージから(琉球人本来の)琉球アイデンティティへ」という話に進むわけです。

ここでいう「沖縄アイデンティティ」とは共同幻想= 国家という観念です。「沖縄独自のアイデンティティを確立せよ。琉球アイデンティティを確立せよ」という主張ですね。沖縄全体にその共有を求めています。 この流派を代表するのは、仲里効さんだけではありません。川満信一さん、新川明さん、岡本恵徳さんといった「反復帰論」や「独立」を唱えてきた錚々たるメンバーから構成されています。最近では、彼らの論調に近いことを(あくまでライヴ会場などでのMCの域を出ないスピーチですが)、モンゴル800の清作さんなんかもしゃべっています。

独立論自体がいけないといっているわけではありません。「ヤマトがつくった沖縄イメージはもううんざりだ。俺たちには俺たちの国家がある」という論理が問題なんです。観念論なら観念論で徹底すればいい。だが、そうだとすれば、普遍的な共同幻想を論じなければならないと思うのです。「われわれはヤマトの植民化を歴史的に見直し、沖縄の内なる歴史も自己批判・ 総括した上で、反復帰論・独立論を展開しているのだ」と彼ら(とくに新川明さん)はいうでしょう。が、その歴史認識にも大きな疑問がある。

歴史を振り返ると、広義の「沖縄イメージ」(それぞれの時代を特徴づける本土などの沖縄観)は本土と沖縄の共同作業で生まれたものです。それは徳川時代から今日まで一貫しています。当初は幕府が「押しつけた」わけですが、その後はむしろ積極的に「日本でも中国でもない」状態を受け容れてきた。そこにある種のアイデンティティさえ見いだしてきたのが沖縄の歴史です。

明治維新のもつ「封建制解体」の意義に最後まで抵抗して、士族社会(封建社会)を温存してきた経緯も無視できません。わかりやすくいえば「“近代化”なんて押しつけやがって。俺たち王族士族が喰えなくなるじゃないか」というのが当時の沖縄の支配層の言い分です。明治政府は、「あんたたちだけじゃない。日本中の藩という藩が自治権を奪われるんだよ。大名とか士族とかいったような封建時代は終わったんだよ。中央集権体制の下で殖産興業・富国強兵をやっていく。それが新しい時代なんだ。さもなければ、英米仏露にいいようにやられちゃうぜ」と説得するが、琉球側は納得しない。それが琉球処分にいたる背景です。このプロセスを小説化したのが大城立裕の『小説 琉球処分』で、そこでは旧体制を守ろうとする王府幹部・士族と明治維新の原動力になり、使命感に燃える志士たちのやり取りが活き活きと語られている。大城さんは、後になって「琉球処分は沖縄差別の根源だ」と言いだすが、この小説にそんなニュアンスはほとんど読み取れません。老獪な王朝幹部と新時代をどう迎えようとするのか苦悩する琉球士族・大和士族の闘いが描かれている。処分問題なんていうのはその外皮にすぎないのです。

「強大で横暴な植民者(ヤマト)によってコントロー ルされた沖縄(琉球)」といいたいのでしょうけど、(それがすべて的外れだとはいいませんが)沖縄の自主性を発揮する機会はあったのに、沖縄のほうでそれを拒んできたという流れは否定できません。それを今になって「総括」して、ヤマトへの訣別を訴えるというのは21世紀における歴史認識としてどうかと思います。

いちいち批判するのもバカらしいけれど、たとえば彼らが問題にする「方言札」。小学校などの標準語教育の一貫で、方言を話すと罰として首からぶら下げられたかまぼこ板大の札ですが、これは東北などでも一般的だった。戦前はもちろん戦後もです。したがってこれは沖縄差別の象徴ではありません。皇民化教育だという批判もあるけれど、そうであるならこれは日本全体の問題です。

慶良間、座間味などにおける日本兵による「島民虐 殺」「自決命令」もしばしば大きく問題化され、差別の象徴として扱われる。が、これもきわめて一面的な批判です。ぼくはなにも「虐殺はなかった」「軍命はなかった」といっているのではありません。当時の「軍国主義的な思潮」からいえば、沖縄でなくとも、つまり日本中どこでも起こりうる問題だった。米軍が沖縄に上陸したことによって、沖縄にそのような「事件」が集中しましたが、九州や四国に上陸したらそこでも同様の「事件」は十分発生したと思います。「いや、実際に被害に遭ったのは沖縄人だけだ」と彼らは反駁するでしょうが、諸悪の根源を求めるとすれば最終的に「軍国主義の台頭」以外ありません。「軍国主 義の台頭を許したのはヤマトだ」という批判も聞こえてきそうですが、「ウチナーンチュは無関係なんですか?」と逆に問い返したい。沖縄も含む日本中が「一丸」となって米英や中国と戦争していたのです。その事実から逃れられる人は一人もいません。

天皇メッセージ(1947年)により「沖縄は日本から切り捨てられた」という人もいる。天皇メッセージの真意はこの際どうでもいい。問題は天皇メッセージが、米軍による沖縄の(長期)支配を決定づけたのかどうかです。制度的に見れば、天皇に沖縄の米軍駐留を決定づける権限はありません。どうしても「1947年」にこだわりたいのなら、当時の片山内閣の姿勢を問題にすべきでしょう。社会(大衆)党中心の政権であるにもかかわらず、片山内閣ほどGHQに従順な内閣はなかったといわれています。しかも、当時は沖縄だけではなく日本本土もまだ占領下にありました。

1951年のサンフランシスコ講和条約についても、沖縄切り捨て・沖縄差別の出発点だと批判する人もいます。新崎盛暉さんなどは「安倍首相の提案する記念式典は沖縄のこころを踏みにじる」と発言しています。ですが、この条約の最大のポイントは「日本と連合国のあいだの戦争状態が正式に終了した」ということ、「日本の領土があらたに定められたということ(海外領土の放棄)」というところにあります。沖縄はたしかにこのとき日本復帰を果たせませんでしたが、「米国への信託統治」が米国の強い意向であり、敗戦国・日本にそれを覆すだけの力量がなかったということです。が、戦前の日本の体制(軍国体制)が完全に放棄されたという意味でやはり重要な条約であることに変わりはありません。日本国憲法(1946年)と並んで、この条約は戦後日本の民主化の土台になっています。この条約を問題化する論者は、サンフランシスコ講和条約は沖縄の切り捨て・差別にあたるから無効だというのでしょうか。歴史からこの条約を抹消せよというのでしょうか。

百歩譲って、上記のようなヤマト批判をあえて受け容れるとしても、なおつきまとう大きな不安があります。「沖縄ナショナリズム」が極端なかたちで噴出する可能性が残されているのです。

川満信一さん、新川明さん、仲里効さんらは、ぼくからみれば真性のナショナリストです。彼らの主張は左翼的というより、明らかに共産主義的なので奇異に思われる方も多いでしょうが、沖縄のナショナリストは 「左」にカテゴライズすることができるのです。そこが日本本土のナショナリストと決定的に違うところです。

もちろん、「ナショナリスト」という呼称に彼らは反発するでしょうが、彼らは世界平和主義を掲げながら、つねに沖縄(琉球)から出発してつねに沖縄に還るような議論を展開します。よくいえば、「沖縄から世界を変える」「沖縄から国家を止揚する」ということなんでしょうね。しかし、彼らは歴史の認識に失敗しているので、そのような論は成り立ちません。

「沖縄は悲惨な体験をしている。それを理解しない日本にはもうこりごりだ。日本に訣別して沖縄的平和主義で世界を変えるんだ」

沖縄のこうした論者たちは、いつまで「自分たちの特異な地位を認めよ」という要求をつづけるのでしょうか?たしかに沖縄の歴史は唯一無二です。それは各人の「歴史」が唯一無二であるのと同じことです。しかし、沖縄の歴史が世界史の展開と密接にむすびついていることも紛れもない事実です。大切なのはその特殊から普遍を導きだすことです。それは、沖縄だけが 純白で潔白で無実で無罪だと思わせるような議論を展開することではありません。沖縄発の「平和主義」がいけないとはいいませんが、大切なのは平和を喧伝することではありません。国家や社会という体制のなかに「戦争をしないメカニズム」をいかに組み込むかです。彼らの主張は「世界平和主義」という名の特異で 偏屈なナショナリズムにすぎません。

彼らは揃って「琉球(沖縄)独立」への指向性を隠そうとはしませんが、独立後の「国家」のあり方について、いちばん明確なビジョンを提示しているのは川満信一さんです。

川満さんは1981年6月に発行された『新沖縄文学 第48号』に「琉球共和社会憲法C私(試)案」 を発表しています(リンクは仲里効さんのWEBサイト)。「琉球独立」についてここまで具体的な構想は他にありません。また、川満さんの沖縄の知識人・メディアに対する影響力はまだ衰えていないと思います。89年にはベルリンの壁が崩壊しているので、川満さんのお考えも多少変わっている可能性はありますが、やはり批判的検討が必要な内容だと考えています。この私案については次回以降、詳しくふれる予定です。

批評.COM開設2周年 2013年3月11日

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あわせてどうぞ
「沖縄イメージ」と「沖縄アイデンティティ」 (1)
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「沖縄イメージ」と「沖縄アイデンティティ」 (3)

批評.COM  篠原章
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