4月18日に決まった那覇孔子廟「違憲」訴訟控訴審の判決公判

那覇孔子廟違憲訴訟の控訴審判決(福岡高裁那覇支部)が4月18日に下されることに決まった。
 
この裁判を「中国と沖縄との関係を問う」という側面から観る人も多いが、裁判で議論されている最大のポイントは、「儒教的な基盤の上に成り立っている久米崇聖会に対して、松山公園の敷地の一部を那覇市が無償で貸す出すことが憲法(政教分離の原則)に違反するか否か」である。
 
日本国憲法には、

 
第20条
一 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
三 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第89条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便宜若しくは維持のため、……これを支出し、又はその利用に供してはならない。
 
との定めがあり、久米崇聖会に対する那覇市の市有財産(国有財産の払い下げ)の無償貸与がこれに抵触するか否かである。那覇地裁の差し戻し審では「違憲」の判断が下され、久米崇聖会に賃料の支払いを命じたが、那覇市はこれを不服として控訴している。
 
那覇市側は、「儒教は宗教ではなく学問である。久米崇聖会は学問としての儒教の拠点として孔子廟を建立した。これは歴史的文化的施設であり宗教施設ではない。よって無償貸与は憲法違反に当たらない」と主張している。
 
これに対して、原告側(金城テル氏/徳永信一弁護士)は、「儒教には学問としての側面もあるが、クローズドな血縁団体である久米崇聖会が孔子廟で催行する釈奠祭礼(せきてんさいれい/孔子祭り)という祭礼に着目すればその宗教的秘儀性は明らかであり、憲法違反である」と主張する。徳永弁護士はこの裁判を「日本人の宗教観と憲法観が問われる裁判」と位置づけ、儒教研究の碩学・加地伸行氏の力も借りながら、驚くほど明解な学術的弁論を展開してきた。差し戻し審は、基本的に原告側のこの主張に沿った判決を下している。
 
儒教の学問的側面は否定できないが、久米崇聖会は祖霊崇拝という儒教的価値観を共有する「血統・血縁」を最大の入会要件として構成され、女性の入会も認めていない閉じられた同族団体である。孔子廟に歴史的価値を認めるとしても、釈奠祭礼が久米町全体の祭礼として位置づけられたこともなく、市民的公共性を備えたものともいいがたい。孔子廟や現在執り行われている釈奠祭礼の「文化財としての価値」が公的に承認されたという経緯もない。
 
久米崇聖会が儒教の学問的側面を重視して設立された団体なら、同会は、学術研究団体としての要素を有していなければならないが、これまで紀要(研究論文集)を定期的に発行した事実はないし、学術研究会などを定例的に開催した事実もない。さらに、儒教の専門研究者が会の運営に関わっているわけでもない。
 
佐賀県多久市行われている孔子祭り(釈菜)の手順書には、「孔子に感謝し丁重にお供えをあげる儀式には、釈奠と釈菜があります。釈奠は牛・羊・豚などを供える儀式です。多久聖廟では甘酒や銀杏(棗)・栗・芹・筍の蔬菜類と雉(鮒)・御飯・餅などを供える釈菜が行われています」との記載がある。古式に則ったこの祭礼は佐賀県の無形文化財に指定されているが、祭官(祭礼の担い手)を市長、議会議長・教育長・小中学校長などが務めることで、その宗教性は大幅に薄められ、地域の文化財としての価値を重視したイベントとして位置づけられている(観光イベントとしての側面も強い)。
 
東京・湯島聖堂は、その文化的・歴史的な価値を文化財審議会によって認められた史跡であり、国有財産である。国から委託を受けた公益財団法人斯文会が聖堂を管理し、釈奠祭礼を主催しているが、国によって「文化財」として認められた範囲での儀式の挙行であり、一般参加者がその宗教性を共有しているわけではない。長崎の孔子廟は純然たる民間施設であり、入場料で運営されており、自治体や国からの補助金は一切受け取っていない。
 
残念ながら、久米崇聖会の釈奠祭礼は多久市の釈菜と異なり、血統を受け継いだ代表者(有資格者)が、祝詞をあげながら祈りと供物を捧げる儀式であり、「宗教的側面はない」と強弁することは難しい。宗教的側面よりも文化的側面が優るというのであれば、孔子廟という建築物とそこで行われている儀式の文化的・歴史的価値が、文化財審議会や学術団体によって公的に認められたものでなければならないが、これまでその価値が認められたことはない。
 
したがって控訴審判決も、「違憲」という、久米崇聖会にとって不利なものになる可能性が高い。
 
賃料の減免を求めるためには、一般社団法人である同会が、公益性を追求するオープンな公益財団法人に改組し、孔子廟や釈奠祭礼の文化的歴史的価値が公に承認される必要がある。しかしながら、同族団体・血縁団体としてのクローズドな属性にアイデンティティを見いだす会員が大半だろうから、公益性や公開性を必要条件とする改組や運営方針に踏み切る可能性はきわめて低いだろう。
 
批評.COM  篠原章
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