なにが「DJポリス」だよ!〜ジャーナリズムの没落

こんなことあんまりいいたかないが、「DJポリス」とかいって警察のソフト警備を褒めそやすだけのジャーナリズムはどうかしていると思う。ふざけてんなと思う。警察の広報に力を貸しているだけならまだマシだが、日本のジャーナリズムが信じられないほど情けないことを実証してしまった。ぼくがジャーナリストや批判勢力の指導者なら(残念ながら、ぼくは「既存の批判勢力に対する批判勢力」という立場だが)、「DJポリス」を警戒する。少なくともその背後にあるものは分析して公にする。

DJpolice

「DJポリス」は脱原発デモに対する警備の経験から生まれたものだ。かつては警官隊がデモ隊を挑発して逮捕者を増やすことが運動へのプレッシャーになると(警察は)判断していた。今はその逆だ。デモ隊を挑発するのではなく誘導に徹することで衝突を減らし、運動の盛り上がりを抑えようとしている。逮捕者やけが人などを増やせば運動を盛り上げてしまうと警察は考えているのだ。

警察は、脱原発運動の盛り上がりを抑えるためにソフト警備に徹した。そんなこと、ちょっと考えればわかることだ。なのにジャーナリズムは、こうした事実関係をきちんと究明しないで、「DJポリス」とかいってひたすら持ち上げている。警察の意図を覆い隠すのを手伝うのと同じことだ。

なにもデモ隊が警官隊と衝突することを望んでいるわけではない。ソフト警備を批判せよといっているのでもない。国家権力は脱原発運動やジャーナリズムが考えるよりもはるかに賢く巧妙だという事実を、ジャーナリズムや運動の指導者が正しく認識していないのがとても腹立たしいのだ。彼らは、デモの参加者が、 5000人から1万人になり、1万人から5万人になり、5万人から10万人になれば、それが勝利につながると信じている。日本にも「アラブの春」と同じ市民運動が生まれたなどと、素っ頓狂なことをいっている。革マルなどの党派を排除し、平和的なデモを展開したことも自負している。そんなことはまったく本質的ではないにもかかわらず、である。

彼らは「自民大勝」を批判し、自民政権の原発推進を批判したが、自分たちの運動が自民党を大勝させ、「原発推進政権」を誕生させたとは思ってもいない。自民党は「反自民」「脱原発」の側を上回る広報活動と民意の吸収力を発揮し、それに成功したのだから、「運動」の側もそれを応援するジャーナリズムも、自民大勝に力を貸したのと同じである。彼らが敗北したのは、「所得獲得=経済成長」を強調する勢力に対して、有効で説得的な対抗策を打ち出せなかったからだ。「脱原発」だけでは政治的なビジョンになりにくいことを正しく認識しなかったからだ。批判勢力自身がいかに脆弱だったかを再認識しないかぎり、まともな政治勢力には成長しない。民主主義にとってそれは大きなマイナスだ。政府批判だけしていれば支持を集められる時代などとっくに終わっている。たんなる批判を超えた理念と政策を示せなければ、政治は変えられない。

たとえば、アベノミクスを批判するなら、株価や為替相場の一時的変動(株価下落・円高)を嗤うのではなく、アベノミクスにとってかわる政策体系を示すべきだ。「成長」に対抗しうるものとして「分配」のための政策パッケージを全面に押し出すべきだ。あるいは「成長」と「脱原発」のトレードオフ関係を前提に、安心・安定した社会の未来像を具体的に示すべきだ。なのにこうした方向で積極的に行動する政治勢力はほぼ皆無だ。最大野党の民主党は、「地域から歩く、聴く」と称して反省したフリをしているが、どう考えても旧態依然たる選挙運動にすぎない。自民党に対抗する政策パッケージを出せない民主党など無用の長物だ。

護憲論議も完全にミスリードだ。憲法9条改正に本気で反対するなら、日米同盟の破棄や弱体化を唱えるのではなく、日米同盟の強化を訴えるべきだ。「軍隊は要らない。軍国主義の復権を許すな」と本気で考えるなら、日本とその周辺地域への米軍のプレゼンスを高めることが「日本の非軍国化」につながる。米軍が強化されれば、自衛隊を強化し憲法9条を改正する必要性はなくなる。こうした議論を展開すれば、自民党のなかの改正慎重論者まで巻き込んで、改憲議論に歯止めを掛けられるのに、誰もそうしない。本気で護憲を唱える勢力など存在しないということだ。

親中派が本気でその姿勢を貫きたいなら、文書というかたちでの証拠がない「尖閣棚上げ論」ばかりを強調するのではなく、日本経済がいかに中国経済と密接かを数字を挙げて理詰めで説明しつづけるべきだ。周恩来や鄧小平との口約束の話など、いくら強調しても政府の公式見解や外交政策を変える力にはならない。中国との関係悪化がもたらす経済的マイナスを「倒産●社、失業者●十万人」というかたちで示すほうがはるかに説得的だ。

「DJポリス問題」は実は小さな問題じゃない。日本の民主主義やジャーナリズムが、いかに無定見で無批判か、図らずも実証してしまった。こんなことをいつまでつづけるつもりなのだろうか?

批評.COM  篠原章
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