【再掲・龍柱関連】決定版:那覇・孔子廟移設問題

以下は、2015年6月12日現在、那覇市政のトピックになっている「龍柱問題」に深く関わる論考ですので再掲します。オリジナルのテキストは2013年6月30日にアップされました。

<プロローグ>

沖縄における税金の使い途をいろいろ調べていたら、 あまりにアホらしくなってきて、WEBの更新をしばらくやめてしまった。まさに「乱脈」「公私混同」の極み。開いた口が塞がらないとはこのことだ、と思った。形式的な「合法性」は確保されているかもしれないが、実際のお金の使い途は不透明。突っこめばいくらでも突っこめそうだが、「あんた、那覇市民でも沖縄県民でもないだろ!」と怒鳴られるのも不愉快だから、しばらく呆れたまま静観することにしたのである。

もっとも「他人事に頭を突っこむな」という叱責や批判に対しては、簡単に反論できる。ぼくは那覇市民でも沖縄県民でもないが日本国民だから、沖縄のこととはいえ文句をつける権利はある。今回再び取り上げる孔子廟・明倫堂(正式には至聖廟)移設についていえば、25億円を超える総事業費の半分以上が、国庫からの支出、つまり国民全体の負担である。日本の納税者なら誰でも文句をつける資格はある。同様の不透明な事業は、日本の他の都道府県や市町村でもあるだろうが、沖縄県およびその市町村は、国庫負担100%の一括交付金や50%以上の特例的な国庫補助率を優先的に利用できる立場にある。言い換えると、沖縄以外の都道府県・市町村が主体となる事業の場合、国庫補助率は3分の1が主流だが、沖縄の場合、少なくとも半分、多ければ全額が国庫から支出されるケースが主流ということだ。それだけ優遇的に国費を使っているのだから、沖縄以外に住む納税者でも、沖縄の事業を監視する権利はあるはずだ。

最近の報道によれば(『沖縄タイムス』電子版2013年6月25日付)、那覇市若狭に龍をデザインした高さ15メートルのゲート(龍柱)ができるという。発注先も「中国」と決まっているようだ。しかも、その 事業費は全額国費。2億5400万円の一括交付金が充当される。「あらたな観光資源」ということだが、この観光資源には歴史的な根拠など全くない。歴史を振り返れば、若狭地区は遊廓と日本人租界(薩摩の侍や商人などの屋敷が密集)が入り交じった地域である。遊廓や薩摩屋敷を復元した施設をつくるというのなら話はわかるが、ありもしなかった中国製の「龍柱」をつくるというのだから理解に苦しむ。若狭の隣町の久米は、中国系の人びとの居住地で、かつて町の入り口には西武門(にしんじょう)という門があった。その西武門を復元するのであれば、国費を投入するエクスキューズもできるだろうが、「ありもしなかったもの」に2億5千万もの経費をかけるのは、沖縄の自治体がいかに歴史を軽んじ、いかに国費を荒っぽく使っているかを証明するようなものだ。それだけのお金があるのなら、現行の不親切極まりない史跡案内板や史跡地図を作り直したほうが観光客のためになる(以下の写真はいずれも『沖縄タイムス』より)。

 

龍柱イメージ図

龍柱イメージ図

龍柱建設予定地

龍柱建設予定地

多額の国費が投入される那覇市や沖縄の自治体の新規事業や継続事業は、万事がこんな具合である。孔子廟移設の問題を調べてから、たいていのことに驚かなくなった。税金の無駄遣いはなにも沖縄の専売特許ではない。専売特許ではないが、呆れるほどわかりやすい分、問題の根っ子も深刻だと思う。今回の「龍柱建設」問題を沖縄タイムスが取り上げたのはどちらかといえば珍しい例で、沖縄のジャーナリズムは沖縄の首長や自治体に甘すぎる。政府に厳しいことでは「定評」があるが、まず「足元を観よ」だ。いやいや、沖縄に関する公金の使い途に甘すぎるというべきかもしれない。内閣府の出先機関である沖縄総合事務局の予算の使途についてだって、謎や疑問はいくらでもあるのに、沖縄のジャーナリズムは「不問」にしている。総合事務局が発注する公共事業の入札だって不思議なことばかりだ。会計検査院などもだらしないと思うが、公的機関が自主チェックできないなら、ジャーナリズムがきちんとチェックすべきだ
おっかしいよ、ホントに。

※ぼくのような立場にある人間が予算の使途をチェックせよというのも不遜かもしれないが、お金の使途には表と裏があることをぼくは人より知っているつもりだ。何が違法で何が合法かもわかっている。表裏のお金の処理の仕方も承知している。ぼくなどが関わったのは十万単位、せいぜいが百万単位の費目だが、沖縄では千万単位、億単位の費目が操作されている。その操作はぼくの眼には自明だが、ちょっと精査すれば沖縄のジャーナリストも問題を提起できるはずだ。だが、誰もやらない。ひょっとしたら彼らはすっかり麻痺しているのもかもしれない。その意味でも沖縄の現状は深刻である。

以下、本コラムでは、孔子廟(至聖廟)移設問題に関する「ほぼ最終版」を掲載する。5月11日に記事を掲載して以来、何度か訂正を繰り返してきたが、今回のものが現時点での決定版である。

孔子廟

孔子廟

<本編>

那覇市の孔子廟・明倫堂(正式には至聖廟)は、2013年6月に、那覇市の波之上神社近くの那覇市若狭から、久米郵便局跡地(福州園隣の那覇市が管理する公有地)へ移設されました。いずれも那覇の旧市街一等地ですが、至聖廟は1945年に戦災で焼失するまで久米にあったことから、「本来の土地に回帰する」ことを理由に今回の移設計画は進められました。

移設先の総面積は約7500平米(2300坪)。うち400坪が孔子廟や明倫堂の敷地に充てられていますが、他に施設はありません。那覇市議会における当局の説明を総合すると、市当局は同地に交流施設や学習施設を備えた「歴史公園」をつくり、施設の一部として至聖廟を建設する予定でした。ところが、実際に建設されたのは孔子廟・明倫堂だけで、残余の敷地は 公園として供用されています。公園といっても、ベンチ、通路、芝生、築山、わずかな子供用遊具以外はとりたてて特徴もない「近隣公園」(都市公園法の分類)で、歴史公園とはほど遠いシロモノです。公園というより「緑地」といったほうが適切かもしれません。市当局は市議会において、この一帯を台湾・中国から訪れる観光客向けのエリアにする、と答弁もしていますが、実態として存在するのは、宗教色の強い民間団体の建造物のみ。平成25年度から、孔子廟・明倫堂の西側に小規模な事務所や売店などを整備する計画がスタートしていますが、その計画が完了したとしても、敷地の大半が安っぽい芝生公園であるという実態 に変化はありません。つまり、公共性のある「歴史公園」というイメージを先行させながら、実は私的な信仰の拠点である孔子廟・明倫堂を公的資金を使って移設させたといわれてもしょうがないような、なんとも危うい事業に成り下がってしまっているのです。

言い換えると、この公園は、沖縄に古くから居住する中国系の人たちの子孫の私的信仰の場である「孔子廟」を移設する場所を確保するために、国から買収した土地につくられた公園だということです。おそらく公園をつくることが目的だったのではありません。孔子廟を移設するために莫大な公金を使って土地を確保し、帳尻あわせのために名ばかりの公園をつくったと いうことです。

殺風景な芝生公園。奥の建物が至聖廟。なぜこの公園に25億もかかったのだろうか?

殺風景な芝生公園。奥の建物が至聖廟。なぜこの公園に25億もかかったのだろうか?

「久米村」や「久米人」が史上重要な歴史的無形資産のような存在であるとすれば、歴史資料館 のような施設も併設してもいいはずですが、そのような計画もありません。しかも、移転元である若狭の土地は、孔子廟・明倫堂に併設されていた天妃宮と天尊廟は従来どおり存続し、久米崇聖会によって継続的に管理されています。今後、久米崇聖会は二つの施設を同時に管理・運営することになりますが、これでは移設というより増設です。2000坪を超える公有地に建つ中核施設の建設・運営・管理を、一民間団体に事実上委ねるのに、那覇市議会でこの問題を正面から取り上げた議員はほとんどいません。無所属の前泊美紀議員が、廟に設置されるシンボル「五本爪の龍」の製作に一億二千万円を超える公金を使うことに異議を申し 立てていますが、公園そのものは問題にしてはいません。沖縄のメディアもこの問題にまったく触れません。

いちばん気になるのは資金面がどうなっているかです。久米崇聖会、那覇市、沖縄総合事務局(内閣府の出先機関)などの資料によれば、孔子廟・明倫堂の建築に直接かかる費用2億6000万円は久米崇聖会が負担しますが、土地は那覇市から無償貸与されたものです。その土地も、もともと国有地だったものを那覇市が公園整備を理由に3分の2を国から買い上げ、残りの3分の1を国から無償で借り上げたもの。土地の買上価格は7億6600万円、総事業費は計画段階で22億4200万円にのぼっています(平成17〜 22年)。事業は平成23年度以降も事実上継続されているので、総事業費は今や25億円規模に膨れあがっています。一方、事業費に対しては沖縄特例の国庫補助率「二分の一」が適用されています。平成23年度からは一括交付金(使途に制限のない補助金)の制度が導入されているので、事実上の国庫補助率はおそらく二分の一を超えていることでしょう。たとえば、2013年6月の開業の際に目玉となった至聖廟のシンボル「五本爪の龍」の彫像は1億2400万円の製作費で中国に発注されたものですが、久米崇聖会の負担ではなく国費(一括交付金)を使っています。最終的に、総事業費の半分強を日本国民が、残りの半分弱を那覇市民が負担していることになります。

大きな疑問を感ずるのは総事業費の規模です。22億4200万円の総事業費(計画段階)に対して用地費が7億6600万円ですから、その差額が造成・植栽などの土木工事費や照明・遊具などの設備費に充当さ れているはずです。計算するとそれは14億7600万円にのぼりますが、現地を見るかぎり、とてもそれだけの価値がある公園には思えません。参考までに、最近設置された各地の近隣公園の事業費を調べてみると、長岡市の千秋が原南公園(2万6千平米)の土木費・施設費は5億6000万円(52メートル×20 メートルの体験学習施設建築費も含む)、大阪市の巽公園(2万5千平米)は5億円、同じく大阪市の御幣島中央公園(2万3千平米)は7億円。整備面積では これらの公園の3分の1程度でしかない那覇市のこの公園の土木費・施設費がいかに高額かわかります。

公園の敷地造成工事が始まったのは平成20〜21年 ですので、20年度から25年度までの那覇市の公共工事契約情報をチェックしてみました。調査の結果、設計費、土木費、設備費のすべてをあわせても、この公園にこれまで費やされた経費は1億5600万円(契約高ベース)にすぎないことがわかりました。この間の用地費以外の予算額は14億7600万円ですから、13億円余りのお金の使い途が現段階では不明ということになります。那覇市に予算・決算の内訳を公開請求してチェックすることまではしていませんが、「用地費」「設計費」「建築費」「土木費」「設備費」は判明しているのですから、13億円余りのお金はそれ以外の経費に充てられていることになります。と ころが、通常の公園整備であれば「用地費」「設計費」「建築費」「土木費」「設備費」以外の使途は考えられません。13億円超のお金が、予算・決算の見かけ上どんな費目に支出されているとしても、事実上の使途不明金と考えて差し障りないでしょう。

もう一つの疑問は、宗教色の濃い一民間団体の施設に 25億円もの公金が使われているということです。孔子廟・明倫堂の建設を自治体が支援することにダメ出ししているわけではありません。それだけの公益性があるというなら、公益性の根拠を示しつつ、市民・国民が納得できるような計画を実現すればよかったのです。

先にも少し触れましたが、平成15年度の当初計画(『松山公園周辺土地利用計画(案)策定業務報告書』)では、久米人や久米村の歴史的重要性が力説され、「歴史公園」というコンセプトの下、住民や観光客 との交流センターや学習施設なども設置する計画が立てられていました。実現可能性の有無はともかく、それなりの公益性を感じさせる計画だったのです。その計画につけられた予算が22億円だったというわけです。ところが、蓋を開けてみれば久米崇聖会の費用負担で建設した至聖廟(孔子廟・明倫堂)だけが唯一の建築物。前述のように数年以内に事務室・売店を併設する計画がありますが、当該施設の計画面積はのべ240平米程度で、予算規模は1億7000万円。それも22億の総事業費とは別枠です。別枠分と合わせれば事業規模は25億円程度に膨らむわけですが、それだけの資金があれば、恥ずかしくないスケールの歴史 資料館、交流センター、学習施設もつくることができたはずです。が、現在の整備計画が予定どおり終わったとしても、「至聖廟に殺風景な芝生公園」という現状はほとんど変わりません。現状を見れば「歴史公園というコンセプトが実現した」と考える人はまずいないでしょう。至聖廟を移設するために事業化された、 疑問だらけの公園整備事業だといえましょう。こんな事業に巨額の公金が支出されているのですから、その正当性は疑われてしかるべきです。

新・至聖廟(孔子廟・明倫堂) 見取り図

新・至聖廟(孔子廟・明倫堂) 見取り図

よくよく調べてみると、さらに不可解な事実が浮かび上がってきました。今回の事業は、平成13年に久米崇聖会の側から「久米に歴史公園を」という提案が行われたことがきっかけとなっています。それ自体は責められることではないのですが、今回の敷地の隣地である約2500平米(750坪)の駐車場を、なんと久米崇聖会が所有・運営していたのです。この土地自体が、今回の事業で市の買収や借り上げの対象に組み込まれることはありませんでしたが、それだけ広い土地があるなら、なにも至聖廟を公有地に移設する必要はなかったわけです。移設するなら久米崇聖会自身が所有するその駐車場用地を利用すればいい。ところが、あえて那覇市に国有地を買収させ、そこに移設しているのです。一部では「事業に合わせて駐車場を那覇市に売却する意図があった」といわれているようで すが、真相は藪のなかです。

至聖廟隣地にある久米崇聖会所有の駐車場

至聖廟隣地にある久米崇聖会所有の駐車場

いずれにせよ、この事業は明らかに不透明です。一連の事業は、王朝時代の支配階級だった久米人系グループの既得権を拡大するための事業としか思えません。久米人の子孫が絡んでいるなら、公金が関わることであっても不透明でいいとでもいうのでしょうか。ジャーナリズムの徹底した追及を望むばかりです。

批評.COM  篠原章
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