LIVE REVIEW: 流線形と比屋定篤子@目黒パーシモン・ホール on 28 Sep.2013

※パーソネルおよびセットリストはなし。

比屋定篤子との出会い

比屋定篤子さんに初めて会ったのは2001年頃のこと。彼女の夫となる奈須重樹さんから「彼女」として紹介されたのがお付き合いのきっかけだと思う。奈須さんは、ぼくが『ハイサイ沖縄読本』(宝島社・ 1993年)をつくるときに手伝ってもらったカメラマンで、やちむんというユニットを率いるミュージシャンでもある。奈須さんとはその『ハイサイ沖縄読本』以来深い仲なので(笑)、ぼくにとって比屋定さんは、シンガー&ソング・ライターというより、まず奈須さんの妻あるいは奈須家の子供たちの母である。

もちろん「比屋定篤子」が歌手だということは彼女がデビューした時から知っている。ソニー時代のりんけんバンド(照屋林賢・上原知子)のライナーノーツの大半はぼくが書いているが、そういう縁もあって、同じソニー系列のエピック・レコードから1997年に比屋定さんがデビューするときにも試聴盤をいただいている。が、出身地が沖縄というだけで、当時ぼくが関心を持って聴いていた沖縄の音楽と彼女の音楽(あの頃はいわゆるシティ・ポップスといわれていた)とはほとんど接点がなかった。もっともぼくは、彼女の音楽のルーツともいえる1970年代〜80年代前半の“シティ・ポップス”については詳しいほうだ。だから、比屋定篤子というシンガー&ソング・ライターについて何かを語ろうと思えば語れたのだが、幸か不幸かその機会は訪れなかった。

2002年にぼくが監修を担当した沖縄系ポップスのコンピレーション『琉球的哀華』(ソニー)がベストセラーアルバムの一角に食い込んだので、シリーズ2作目もつくろうということになり、2003年リリー スの『琉球的哀華II』に比屋定さんの「てぃんさぐぬ花」も収録させてもらった。そのときになって初めて、比屋定さんのアルバムをまとめ聴きした。詞は比屋定さんが、曲は比屋定さん、笹子重治さん、小林治郎さんなどが書いている。ボーカリスト・比屋定篤子は、ボサ系の歌がいちばん似合っていた。小野リサより自分の体にフィットする気がしたが、もうその頃には、近しい関係になっていたので、そういう話を比屋定さんにした記憶はない。ライヴも何度か聴いている。といっても5〜6回だろうか。歌や楽曲よりも、コスチュームやステージのディレクションのほうが気になり、それについて彼女に意見したことはある。 が、あまり口出しすると「小姑」みたいな煙たい存在になりかねないので、彼女とのあいだで音楽の話をすることはあまりないまま今日に至ってしまった。

<流線形+比屋定篤子>との出会い

流線形(クニモンド瀧口さんのプロジェクト)のこともある程度知っている。その存在を教えてくれたのは故・川勝正幸君だ。川勝君が下井草秀さんなどと一緒に選考した、文化デリックの「ポップ・カルチャー・アワード2006」の「音楽部門BEST1」を受賞したことも聞いていた。好きな音だな、懐かしくスタイリッシュな音だなと思ってはいたが、まさか比屋定さんとのユニットが生まれるとは想像して いなかった。

流線形と比屋定篤子『ナチュラル・ウーマン』(2009)

流線形と比屋定篤子『ナチュラル・ウーマン』(2009)

 

比屋定さんと流線形のアルバム『ナチュラル・ウーマン』(ハピネス・レコード)は2009年の11月に出ている。周りでちょっとした話題になっていたので、リリースされてまもなく新宿のタワーレコードで買った記憶がある。流線形のスマートなサウンドと比屋定さんの伸びやかな声がとてもマッチしていた。2010年4月4日にはビルボード東京でのライヴも観た。いいライヴだったが、ビルボードという箱が落ち着かなかった。当時の東京のカッティング・エッジだった六本木ミッドタウンのなかにあるスタイリッシュなライヴハウス、という環境設定は、ぼくにはしっくりこなかった。ビルボード東京にはバブルの時代の名残のようなモノも感じたが、70年代の六本木のポジションと2000年代の六本木のポジションのあいだにある乖離のことが気になった。両者は少なくとも同質ではない。比屋定さんのライヴに絡めて語るべき問題ではないかもしれないが、ぼくにとってのビルボード東京の居心地の悪さは、都市カルチャーや都市ポップの史的展開や変質をどう捉えるか、というテーマと結びついていたので、<流線形+比屋定篤子>というユニットとの出会いの場所としては適切でなかったかもしれない。六本木のことで頭が一杯になってしまっ たのだ。

(以下 ブラウンカラーの部分は10月9日追加分)
それは「いかにも的なリゾートホテルを見ると背中が痒くなる」気持ちによくにている。「流行の最先端を行く六本木」というのならまだしも、「バブルな紳士が集まる六本木」「キャバクラ・クラブが密集する六本木」「キャッチが袖を引く六本木」「高中層の商業ビルが林立する六本木」という1990年代後半からの六本木のイメージがしっくりこないということだ。

山の手と下町が混在し、<タレントや外人もいれば駄 菓子屋や銭湯もある>という雑居性が70年代までの六本木・麻布地域のイメージだった。土着東京人のあいだに外人も含めた非東京人が混ざるといったほうがいいかもしれない。ミッドタウンや六本木ヒルズのような、職住近接の複合的な高層商業ビルが「街の臍」という現状には戸惑ってしまう。スターズ&ストライ プス(米軍広報部)と防衛庁からなる“基地の街”としての痕跡が弱まりつつあるのはやむをえないとしても、「坂のある町・東京」の象徴としての六本木が、 他地域との競合や景気に応じて「一気に金が入りこんで、一気に金が引いていく」“開発”という名の津波にさらされるのは、やはり本来の姿の消失を意味している。

ぼくにとっての六本木は、グループサウンズの街であり、『風街ろまん』(はっぴいえんど)の街でもあった。70年代六本木・青山的なサウンドイメージの「流線形」が、現代における六本木の“臍”でライヴするというのも、どこか捻れている。六本木はこれでよかったのか。そうした思いが、流線形+比屋定篤子の音楽への集中を妨げたのである。

卓越したボーカリスト・比屋定篤子

以上の経緯もあり、今回の目黒パーシモンホールのライヴでようやく<流線形+比屋定篤子>にじっくり向き合うことができた。1度切りだけだったはずの公演だが、発売当日にチケットが完売したため、昼の時間帯に追加公演も設定された。<流線形+比屋定篤子>の人気の高さがうかがわれる。

総じていえば素晴らしいライヴだったとは思う。ほんの少し不安定な部分もあったが、比屋定さんの声は昨年那覇でソロ・ライヴを聴いたときよりもはるかにのびやかだった。声量だけではなく艶もある。流線形はアルバムごと(計3作)に新しいボーカリストを起用している。比屋定さんが3代目、最新のボーカリストである。このライヴでは、比屋定さん自身がボーカル・楽曲で参加した『ナチュラル・ウーマン』(2009年)だけでなく、前2作の楽曲も歌いこなしている。1作目『シティ・ミュージック』(2003年)ではサノトモミさん、2作目『TOKYO SNIPER』(2005年)では「江口ニカ」こと一十三十一(ひとみとい)さんが歌唱を担当している。サノさんは軽いハスキー・ボイスに特徴があるが、少しばかりナイーブ、一十三さんは技術も声量もあるが、音程が不安定になるときがあった(ふたりとも北海道出身というのはおもしろい)。比屋定さんが、クニモンドさんの楽曲にいちばんフィットするボーカリストである。というか、比屋定さんのボーカリストとしての器は大きい。熱唱型ではないし、小細工もしないが、楽曲ごとの振れ幅が大きくても実にナチュラルに歌いこなせる。そういうボーカリストは探してもなかなか見あたらない。

あまり書くべきではないだろうから具体的な描写は控えるが、比屋定さんの日常はけっして“シティ・ポップ”ではない。夫の奈須さんは希に見る自由人だし、4人の子供の母でもある。ライトアップされた夜の摩天楼の一角の、スタイリッシュなインテリアに囲まれた生活感の薄いライフスタイルとはほど遠い。土の香り、味噌汁の臭いがするライフスタイルといってもいい那覇の下町での暮らしである。

そんな比屋定さんが、ユーミンの「中央フリーウェイ」にも似た、きらきらしたテイストのある「3号線」や六本木の高層マンションのペントハウスでの出来事を想像させる「ムーンライト・イブニング」を違和感なく歌いこなしている。リアルライフとステージ上のパフォーマンスのギャップをほとんど感じさせないというのは、比屋定さんの歌唱がいかに優れているかの証しである。

ヘンな褒め方だと訝る向きもあるだろうが、朝ドラ「あまちゃん」の鈴鹿ひろ美が、撮影現場では大スターらしくふるまうが、日常生活ではフツーのおばちゃん以上の何者でもない、とクドカンに描写されていたことを想いだしてもらえば、許容される範囲の褒め方だと思う。他方、ソロ・アルバムでは、ボサノバ調のリズムとグループに載せて、等身大の、素のライフスタイルに近い歌も比屋定さんは見事に歌いこなしている。沖縄民謡も感心するほどシンプルに歌う。技巧的な装飾を欠いたまま歌っても心に響く声を届けられる歌手はなかなかいない。いい意味でのアマチュアリズムを具えているのが比屋定さんだ。要するに、並みのボーカリストではない、ということである。

誰とはいわないが、能力の高いボーカリストのなかには、自分の歌唱に酔いしれて「歌=自分」になってしまっている人もいる。「プロに徹している」といえば聞こえはよいのだが、フレッシュな歌心を失ってしまっている。歌に対して冷静に向き合うことを忘れ、自分だけを肥大化させてしまう、こうした“俺様主義”の歌手は、いつのまにか聴き手の心から離れてしまうリスクを負っている。だが、比屋定さんにはその気配がまったくない。

「歌うこと」には他のリスクも伴う。たとえば、安藤裕子という歌手がいる。ソング・ライターとしても秀でた能力を持つ人だ。彼女は自分のオリジナリティを追求するあまり、近作では曲ごとに歌唱法を変えている(『グッドバイ』)。実に技巧を凝らした歌いっぷりだ。だが、聴き手は安藤裕子の歌唱七変化を心地よいと感ずるだろうか。少なくともぼくは七変化についていけない。どの歌い方がホントの安藤裕子なのかわからなくなってしまう。それはせっかくの才能を台無しにする行為だと思う。比屋定さんはまさにその対極にある。

<流線形+比屋定篤子>の未来

とはいえ不安もある。それは比屋定さん自身の問題というより、<流線形+比屋定篤子>の行く末の問題である。「70年代〜80年代前半のシティ・ポップを現代という文脈で解釈することに成功した」といわれる流線形の路線は今後も継続して追求されるのだろうか。率直に言うと、その路線はもう限界に達していると思っている。

ぼくのような70年代シティポップのファンが、流線形のサウンドを分解すると、山下達郎、今井裕、佐藤博という3人の方法論にたどり着くことになる。あの時代、彼らの楽曲と編曲は煌めいていた。この3人が、往時のブラック・ミュージックやフュージョンなどから採り入れたマジックを巧みに使うことによって、70年代前半までモノクロームだった東京の町をカラフルに染め上げたのである。流線形のサウンドにはその3人の「遺産」がちりばめられている。当時のアルバムでいえば、達郎さん、佐藤さんの音楽が光る吉田美奈子さんの『MINAKO』(75年)や『FLAPPER』(76年)、大傑作ながら最近まで顧みられなかった今井裕さんのソロ『クール・イヴニン グ』(77年)、全編安井かずみさんの詞を使い、達郎さんがコアな役割を果たしている笠井紀美子さんの『東京スペシャル』(77年)などで見られる手法が、クニモンドさんの手から次々に繰りだされる。

クニモンドさんは、比屋定さんを起用するにあたり、沖縄出身でかつボサ調の楽曲を得意とする比屋定さんに、おそらくトロピカルなテイストも求めたのだと思う。その成果のひとつが先に触れた「ムーンライト・イブニング」である。シティ・ポップスにトロピカルなエッセンスを加えて成功した例は高橋幸宏さんの名作『サラヴァ!』(78年)だが、クニモンドさんがこの『サラヴァ!』も念頭に置いて『ナチュラル・ウーマン』をつくったこともはっきり読み取れる。

流線形は、ぼくらのような往年のシティ・ポップスの ファンには懐かしく心地よい音だし、ヒストリーを知らないより若い世代にとっては、フレッシュな音に聞こえると思う。その意味では良質のポップスといっていい。だが、現在の路線を追求することが、比屋定篤子や流線形にとっていいことなのかどうかぼくは疑問に思う。「どこかで聴いたようなフレーズ」や「どこかで聴いたような言葉」がモザイクのように嵌めこまれていることをぼくはいけないとはけっして思わないが、彼らには今以上にオリジナリティを発揮する能力があるとぼくは考えている。現在のような音づくりをつづけても、山下達郎や高橋幸宏の作品群を乗り越えられないのである。

【追記】

「じゃあどうすればいいのよ」ということになるが、ひとつのヒントとして、久保田麻琴と夕焼け楽団「星くず」(77年/『ディキシー・フィーバー』所収)、ティン・パン・アレー「月にてらされて」(75年/『キャラメル・ママ』所収/松任谷正隆作品)のような、テクスメクス調のシティ・ポップスを挙げておきたい。ニューヨーク風、ウェストコースト風のシティ・ポップスは、70年代後半〜80年代前半の日本でもかなりいいところまできわめられているが、テクスメクス路線はほとんど継承されていない。同様に、アラン・トゥーサンが『Southern Nights 』で試み、ドクター・ジョンが『City Lights』 (78年)や『Tango Palace』 (79年)で示そうとしたニューオリンズ風シティ・ポップス路線も途中で途切れている(もちろん、ボ・ガンボスのように泥臭く継承していくやり方もあるが、あれはシティ・ポップスとは違う)。テクスメクス、ニューオリンズ的なジャパニーズ・シティ・ポップスをつくるのは、かなり難しい作業であるに違いない。エスニシティの粘っこさをどう薄めていくかというのは大きな問題だ。だが、流線形+比屋定篤子には、こうした手つかずの部分にもぜひ挑戦してもらいたい、というのがぼくの願望である。守備範囲を広げることで見えてくる明日(=正真正銘のオリジナル作品)があるに違いない、とぼくは思っている。

2013年10月8日(10月9日補足)

流線形と比屋定篤子

流線形と比屋定篤子

批評.COM  篠原章
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