「野蛮人の民主主義」はいつ終わるのか—原爆記念日に思う

広島市議で、読売新聞の記者だった椋木太一さんが、Webマガジン・SAKISIRUに「広島の平和祈念式典を妨害するデモ団体の“騒音”:静謐は取り戻せるか」という一文を投稿していた。原爆記念日における左派の恣意行動が、祈念式典を妨害する状態がつづいているという。

私事になるが、1983年8月6日(土曜日)、大学院博士課程の学生だったぼくはフランクフルトにいた。市庁舎(レーマー)前の広場にHiroshimaというプラカードを掲げた若者たちが三々五々集まり、チラシを配りながら、「知っていますか?今日は原爆記念日です」と道行く人々に伝えていた。拡声器もノボリもない。チラシを渡された方も、若者と話し込み、核の是非について静かに議論していた。怒声怒号が飛び交うデモしか知らないぼくはとても驚いた。

十代の一時期、ぼくは毎週のように街頭デモに参加していた。デモといっても、ヘルメットを被りタオルで顔を隠した「ジグザグデモ」だった。ジュラルミンの盾を持った機動隊に規制されると興奮した。拡声器の声に唱和して「安保反対、闘争勝利」と叫べば革命は成功すると信じていた。今思えば、デモを主導する大学生の資質は、タチの悪い体育会系の連中となんら変わりなかった。あの人たちはデモという「肉弾戦」が大好きだったのだ。ただそれだけのことだったと思う。

いま、広島を始め各地で行われる怒声・怒号のデモを見ると、当時のことを思い出して嫌な気分になる。ほとんどのデモは、70年安保闘争の生き残りの「先輩」たちが今もリーダーシップを取っている。かつてジグザグデモが大好きだった団塊の世代の面々である。

ドイツのように広場で議論する民主主義が最善だとはいわないが、拡声器の怒声が響き渡るデモ行進は「野蛮人の民主主義」に見えてくる。まして、平和を祈る原爆記念日の恣意行動としてはまったく相応しくない。団塊のリーダーたちが死に絶えるまで、ぼくらは怒声怒号のデモに耐え続けなければならないのだろうか。

批評.COM  篠原章
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