追悼・小坂忠

小坂忠さんが亡くなった。73歳だった。ショックだし、心残りも多い。

ぼくは忠さんをたんなるミュージシャンとは思っていなかった。気恥ずかしいのでご本人に伝えたことはないが、忠さんの話を聴くといつも心が軽くなった。ちょっとした心の支えだった。ぼくは忠さんのようなクリスチャンではないが、忠さんとやり取りしていると、「神の家」の近くで遊んでいるような気分になった。忠さんはぼくにとっての「師」のひとりだったといってもいいだろう。

初めて忠さんと長く話したのは、都営新宿線の曙橋駅近くにあったミクタム・レコードの一室だった。1989年のことだ(インタビューは1990年に白夜書房から刊行された『日本ロック大系(上)』に収録)。その頃の忠さんは、「小坂忠は音楽業界から消えちゃったね」と行方不明者的な扱いを受けていた。実は消えたのではなく、ゴスペル(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)専門のレコード会社「ミクタム」を立ち上げ、歌う牧師、ゴスペル・シンガーとして、布教しながら教会などで音楽活動を続けていたのである。久保田早紀さんや岩淵まことさんも忠さんの同行者だったが、音楽業界の人たちは彼らの活動を知らなかった。ぼくもそのひとりだった。

まだ30代前半のぼくは失礼にも、「なんでフツーの音楽シーンで活動をしないのですか」と責めるような発言をしてしまったが、忠さんは笑いながら、「年に130回ほど教会などでコンサートやっていますよ。それだけで手一杯。いまは昔のような音楽活動をする時期じゃない。クリスチャンに向けて歌うことに専念したいんです。それに昔作ったレコードは聴く気にならないんです」と答えてくれた。

篠原による小坂忠インタビュー・ページ(『日本ロック大系(上)』1990年)

2000年になって、忠さんは「こちら側」(これも失礼な言い方だが、当時の率直な感想だ)に戻ってきてくれた。Tin Pan(ティン・パン・アレーの再結成プロジェクト)のツアーに出演したのである。このプロジェクトに関わっていた川勝正幸君の手配で神戸のチキン・ジョージに行き、久々にステージで歌う忠さんを見た。翌年には細野さんのプロデュースで『People』と題する新作をリリースし、2009年には『Connected』を世に送りだしている。2010年には、『HORO』(1975年)のボーカルトラックを録り直してミックスを変えた『HORO 2010』をリリースし、ぼくらを感激させた。

節目節目でインタビューさせて頂き、ライヴにも足を運んだが、ぼくには忠さんに話したいと思っていることがあった。ところが、いつまでたってもそれを話す機会は訪れなかった。忠さんの活動はチェックしていたから、いつか地方の小さなライヴに行き、忠さんとじっくり話せばいいやと思っていたが、それもままならなかった。Twitterなどで知る忠さんの体調は芳しくなさそうだったが、昨年11月の松本隆さんの記念ライヴ(武道館)ではお元気そうに見えたので、すっかり安心していた。よもや亡くなるとは……。

忠さんに話したいと思っていたことはいまだ心の中に抱えたままで、天に召された忠さんと対話するほかなくなってしまったが、それはそれでいいのかもしれない。いずれ高叡華さん(小坂忠夫人)が主任牧師を務める秋津の教会にお邪魔し、忠さんのソウルに触れてきたいと思う。

忠さん、ほんとうにありがとう。感謝の気持ちで一杯です。

なお、長くなるが忠さんの牧師としての最期(4月17日付)の説教(叡華さん文責)の一部をここに貼りつけさせていただく。

<復活の主を信じる信仰によって>

私はクリスチャンになってから音楽で福音を伝える働きをしてきましたとにかく日本の教会の賛美音楽を何とかしたかったのです。しかし日本の教会は頑固でなかなか新しいことを受け入れようとしませんでした。それでも今に至るまで40年間働きを続けてきたのです。

2000年まで25年間一般の音楽界から離れていましたが、ある時祈っていると僕の心に「あなたも行って同じようにしなさい」とルカの福音書にある良きサマリヤ人のたとえのみことばが心に響いてきました。それまで、この素晴らしい福音を音楽界に伝えるクリスチャンはいなかったのです。それで自分が行こうと決心し、2001年に「ピープル」というアルバムを出しました。まさに神に導かれた歩みでした。

ところが2017年に大腸癌が見つかり、ステージ4と宣告されました。すでに癌は体中に転移し、13時間にも及ぶ大手術を受けました。無事手術は終わりましたが、その後が大変でした。誰かに世話をしてもらわなければ、自分の力で排泄も出来なかったのです。プライドなどあったものではありません。

手術以降は調子がよく、活動も順調にいったように感じていました。けれども昨年は腸閉塞になり、大腿骨にも癌が見つかりました。またも手術、そして術後に麻酔が切れると今まで経験したことのない激痛に見舞われました。その痛みの中でイエス様の十字架を思ったのです。イエス様はどれほど十字架で苦しまれたのか。その痛みの中で「父よ。彼らを赦したまえ」と叫ばれ、私たちの罪の身代わりとなって死なれたのです。それを思い涙が溢れてきたのです。そこに看護師さんが入ってきて、「痛いのですか」と尋ねられました。 「いや感動しているのです」と答えると不思議そうにしていました。

このように辛く苦しい場面を何度も体験してきましたが、神の恵みによって今あることを感謝しています。あなたは神の御子を自分の祈りを聞く都合のいい神としていないでしょうか。あなたの神は死から勝利し蘇られた神であることを信じているでしょうか。

クリスチャンの人生は死んで葬られてそれで終わりではありません。復活の主を信じる信仰によって天国の希望、永遠のいのちが約束されているのです。皆さんの人生にも多くの痛みや悲しみを経験することがあるでしょう。しかし、そこにも神の恵みはあります。それを見い出して欲しいのです。イエス様は十字架で死んで墓に葬られましたが、イースターの朝に死の力を打ち破り蘇られたのです。

あなたの神は今も生きておられますか?

(文責: 叡華師)

批評.COM  篠原章
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