【新刊『はっぴいえんどの原像』番外編 (5) 】サエキけんぞう×篠原章「『ゆでめん』の正体 — 大滝詠一の孤立感、細野晴臣の焦燥感」

『ゆでめん』から53年、はっぴいえんどとは何だったのか?……
『はっぴいえんどの原像』発売記念トークスペシャル

2023年1月20日、リットーミュージックからサエキけんぞう×篠原章『はっぴいえんどの原像』が発売される。

当サイトでは、サエキ・篠原による〝はっぴいえんど〟をめぐる対談を6回にわたって掲載したが(2015年)、その内容は『はっぴいえんどの原像』の土台の一部になっている。そこで、今回この対談を編集したうえ『はっぴいえんどの原像』番外編トークとして分割再掲載する。
番外編(5)は「『ゆでめん』の正体 — 大滝詠一の孤立感、細野晴臣の焦燥感」

『ゆでめん』の背景にある「大滝さんの孤立感」と「細野さんの焦燥感」

サエキ大滝(詠一)さんの孤立感、岩手を出てこられて東京で暮らしていた大滝さんの孤立感は切り立っている。エッジにいた細野(晴臣)さんの焦燥感、それは時代に対して何とかしなくてはならないという焦り。そこが際立つポイントですね」

篠原松本(隆)さんが何かのインタビューで語っておられたけど、大滝さんという岩手出身の人を入れることで、フォークの世界のカントリーっぽいパワーを、東京のバンドであるはっぴいえんどに導入できるんじゃないかと考えたって。大滝さんを入れたのは、松本さんにとってちょっとした戦略だったってことですよね。 大滝さんは、それを覚悟した上であのバンドに入ったんですよ」

サエキ「音楽の問題というより、人間としてどういう人間と組むか?ということでしょうか?」

篠原「松本さんにも、明治から昭和という歴史のなかで育まれた東京の文化に対する何らかのコンプレックスがあったのかもしれませんね。どこか斜めに見ているみたいな。逆にいえば、松本さんは、東京を客観的に見られる立場だったんでしょう。その意味で、鹿鳴館文化に通ずる、あるいは欧米カルチャーに対して開かれた、明治以降の東京の文化的伝統を体現できる立場にあったのは細野さんだけだったんです。東京文化のコアにある希有な人なんですよ、細野さんて

サエキ「なるほどね……」

篠原「細野さんという、いってみれば東京文化のエスタブリッシュメントの側にいる人に松本さんが絡んだのは、意識的・無意識的に、東京文化の伝統性みたいなものに接近したかった、ということもがあるんじゃないかと思います。”東京”そのものを代表できるのは細野さんだけですから」

サエキ「今では見えにくくなった、文化の階層についての所見ですね」

篠原「でも、その細野さんも自分の役割を知って身動きがとれないという焦燥感があったんでしょうね。さっき話したように、先日、りんけんバンドのパリ公演に同行して、パリで細野さんの同級生にいろいろお世話になったんです、偶然。パリに30年住む日本人の男性です(前出の貞廣孝さん)。大学は立教で、細野さんと完全に同級。“細野君は全然学校に出てこないから親しくはなれなかったけど、周囲が心配になるほど暗かった”と仰ってました」

サエキ「その感じ気になりますよ。暗いっていうのが」

篠原エイプリル・フールのアルバムを出したときはものすごい長髪になっていて、“今度、ぼくアルバム出したんだ”とぼそぼそ語っていたそうです」

サエキ「音楽的に合理化して分析すれば、1968年頃のサイケデリックなニューロック的な盛り上がりって、完全に輸入文化で、リアルタイムにはマネしようがな かった。GSはGSというフォーマットでやるしかなかったし、ゴールデンカップスはブルースロックだった。ジミヘンやクリームニューロック的なサウンドは、1968年には実現不能だった。それが1969年になると変わってくる。とはいえ、様々な技術がまだまだでした。だから、その暗い感じ、凄くわかります。1969年のエイプリル・フールのアルバム、いいですが、暗いです。もしあのまま、はっぴいえんどがなければ?細野さんは暗いままだったのでしょうか」

篠原「どうでしょうかねえ。ここでいえることは、はっぴいえんどの暗さは、エイプリル時代から引き摺っているサウンド的な暗さ、大滝さんの孤立感、細野さんの焦燥感が入り交じっているってことですね」

サエキ「僕は、そこに技術問題以前というか、技術とは関係ない、当時の日本の若者の必然的な暗さも感じてしまう」

篠原「そこはもう少し掘り下げられるかもと思います」

サエキ「お互いのライバル心も、そうした「暗さ」を背景にしたものだと思うのですが?いかがでしょうか?『ガロ』も暗かった。『COM』も暗かった。でもGSは明るかったし、テレビつけたら、かなり面白かった。『ゲバゲバ90分』とか」

篠原「あの時代の東京の若者一般って、実はそれほど暗くなかったんじゃないか、という思いもあります。ロックや芝居やっている人たちには、なにか象徴的に暗い感じがあるけど」

サエキ「はっぴいえんどのボックスセット『はっぴいえんどマスターピース』に松本さんの当時の詞を記したノートが付いていて、そこにこんな一文があるんです。
“青春は限りなく痛む傷痕の陰に立ちすくんでいる 都市の抒情を唱う彼ら はっぴいえんどはきっと ぼくらの傷口に やさしい風を 吹き込んでくれるだろう”
と、青春の傷について明確に触れているんですね。だから『ゆでめん』は、大滝さんの関わる、唯一、暗い盤ですね。あとはポップスの明るさがイメージを明るくしてる」

篠原「初期のはっぴいえんどといえば、<春よ来い>であり<12月の雨の日>、あるいは<かくれんぼ>」

サエキ「<飛べない空>という曲があるじゃないですか。これが象徴している暗い世界がある」

篠原「アレ傑作ですよ。でも、ライブでは滅多にやったことはないんじゃないでしょうか」

サエキ「“閉ざされた陸のようなこころに 何が起こるのか” まさに自殺しそうな人の歌。これに“お正月といえば・・・何処で間違えたのか?”という詞が重なると、かなり暗い!」

篠原「<飛べない空>は細野さんの詞曲で、松本さんの創りあげようとした世界に細野さんが乗り切れなかったことを象徴するような楽曲ですね」

サエキ「そうです。だから自殺しそう。『ゆでめん』の演出について、詳しくお聴かせください」

篠原「松本さんの世界は、もうかなり出来上がっているんです。あの段階で。それを音楽としてどう表現するかってことが細野さんと大滝さんの課題だった。おそらく細野さんには、松本さんの詩の世界を音として表現し切れないっていう焦燥感があって、それが暗さの背景にあるんだと思います。ところが、大滝さんは意外にも素直に表現出来ちゃったんです。それがますます細野さんの焦燥感を深めたんじゃないでしょうか」

サエキ「大滝さんは作曲家志望だったといいます。ですから、詞を曲にするということでは、一歩先んじておられたのかもしれませんね。松本さんの演出・・・?『ゆでめん』の松本さんの詞世界は、後に比べると、圧倒的に暗い。“曇った空の浅い夕暮れ”(『かくれんぼ』) “古惚け黄蝕んだ心は 汚れた雪のうえに落ちて 道の端の雪と混じる”(『しんしんしん』) 写実もメチャクチャ暗い(笑)」

篠原「まあ、そこはけっこう中原中也的な暗さですね。でも、ちょっとした演出とか戦術もあると思います。当時、松本さんが参考にしていた遠藤賢司さんなんかの“フォーク”も暗かったし。が、そんな中で切磋琢磨があって。細野さんの<敵タナトス>って曲。あれは松本さんの作詞ですが、じっくり聴くと<はいからはくち>の元歌じゃないかとも思えます。SEの入れ方とかも」

サエキ「最後のドラムのドンチャカが、<はいからはくち>のドラムソロと酷似してます」

篠原「そうなんです。細野さんがいたからこそ大滝さんがあの曲を作れた。暗さの切磋琢磨ですね。いってみれば(笑)」

サエキ「“何を怨うか 何を呪うか”(タナトス) もう使っている言葉が圧倒的に暗い!これが『風街ろまん』では、“空色のくれよんで君を描いたんです”になる。これは物凄いカーヴじゃないっすかね〜」

篠原「新しい突破口を見つけたんですね」

サエキ「そのカーヴこそがはっぴいえんどの描いた壮大なドラマで。でも子供だったけど、『風街ろまん』的な風情は、「マックスロード」(松本隆が当時通っていた渋谷桜ヶ丘の喫茶店)とか、たんまり共有できました。しかし、『ゆでめん』は・・・」

篠原「『ゆでめん』が出た頃は、もうローラ・ニーロの世界とかにいっちゃてるんですよね。カントリー的な素養もみな身につけ始めていたんだと思います。70年の後半は。自分たちが本来好きだったポップスに近づいているっていう感じはあったんだと思います」

サエキ「僕がはっぴいえんどを知ったのは、さっき通りかかったジャックス・ファンクラブの清水(義光)さん。お姉ちゃん。はっぴいえんどはジャックスとつながってた。ジャックスの暗さを考えると、『ゆでめん』の暗さも理解の糸口にはなる。先ほどの清水さんも『ゆでめん』と ジャックスは同じような気持ちで聴いてたといってた。早川(義夫)さんのあの暗黒を描くような意図は、その後、アーティストとしは誰に継承されたのでしょうか?」

篠原「時代的な暗さっていうことがいいたいのでしょうか?」

サエキ「それがですね、小学生だったから、全くわからないのです」

篠原「ほんとうの暗さとはチョット違う気がするんだよなあ」

サエキ「たとえば、細野さんが周囲が心配するほど暗く見えたとして、それは何故だったのでしょう?品格のある家にそだち、沢山の文化を追求しながら、どうして暗かったんでしょう」

篠原「沢山の文化を吸収しているから、暗かったんじゃないでしょうか。これは俺の文化だろうか?っていう自問自答が続いたんだと思います」

サエキ「それは何となくわかる」

〈つづく〉

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