台湾の処遇で原爆忌を「国際問題」にしてしまった長崎市の対応

8月9日の長崎原爆忌祈念式典にあたって、長崎市は台湾を招待せず、台湾側の要請に従って席は用意したものの、各国代表の座る区域の外に置いた。これに抗議して台湾代表は式典を欠席する事態になってしまった。この問題を、中国との対比において語ることもできるが、「対比以前の問題」だと思っている。

結論からいえば、長崎市の対応は、形式的な基準を盾にした不必要な台湾排除だ。台湾側の問題提起には、十分な理由があるが、論点は二つに分けるべきだ。

第一は、原爆犠牲者を追悼する資格の問題である。台湾出身者が長崎で被爆し、長崎医科大学だけでも18人が死亡したことが確認されている以上、台湾は原爆被害の歴史的当事者だ。しかも1945年当時、台湾人は日本統治下の「日本臣民」として来日していた。日本の植民地支配と戦争動員の結果、長崎で被爆した人もいる、ということになる。

これは必ずしも「日台友好」という話ではない。日本側には、旧植民地出身の犠牲者を日本人犠牲者の陰に隠さず、正面から追悼する歴史的責任がある。「台湾にも共通する記憶」という陳氏の表現は穏当だが、実際にはそれ以上に重い問題だ。

第二は、台湾を国家としてどう扱うかという外交上の問題である。日本は台湾を国家として正式承認していない。したがって、台湾の代表機関は形式上の「在外公館」ではない。長崎市は外務省の在外公館一覧と国連代表部の有無を基準にしたので、台湾がどちらからも外れたと説明する。

この基準には一応の機械的整合性があるが、平和祈念式典は外交承認を決める国際会議ではない。台湾に開催案内を送り、「台湾」の名称で代表席を用意したからといって、日本政府が台湾を国家承認したことにはならない。現に広島市は台湾に案内を送り、他国代表と同様に受け入れている。広島にできて長崎にできないというのでは、「外交上不可能」ではなく、長崎市がそういう運用を選んだにすぎない。

さらに長崎市は、「あらゆる違い、分断、対立を乗り越え、あらゆる国の代表が集まる」と説明しています。その一方で、「駐日公館も国連代表部もない」という理由によって台湾だけを通知対象外とするのは、理念と制度設計が噛み合っていない。国家承認の有無を問わず、核攻撃の被害に歴史的に関係する「国・地域・共同体」には案内を送る、という基準にすれば済む話だ。

台湾側の主張にも、わずかな留保は必要である。「命の尊さを国籍で分けない」という倫理的命題から、直ちに各代表の外交儀礼上の席次まで同一でなければならない、とは必ずしもいえない。個々の犠牲者の平等と国家・地域代表の法的地位は、本来別問題だからだ。

しかし長崎市は、その区別を理由に台湾代表を外交使節団区域の外に置いた。記事の後日談として、8月9日には台湾の李逸洋・駐日代表がこの座席配置に抗議して欠席し、陳氏が代理出席している。鈴木史朗市長は中国への迎合を否定したが、意図がなかったとしても、台湾を格下に扱ったという事実は残された。

最も妥当な解決は以下のようなものだと思う。
●「招請状」を国家承認と結びつけるなら、台湾には「開催案内」を送る。
●名称には政治的判断を加えず、通常日本で用いられている「台湾」とする。
●代表席は他の海外代表と同一区域に置く。
●台湾出身被爆者を、独立した歴史的対象として調査・顕彰する。
●招請基準を「外交関係」だけでなく「被爆との歴史的関係」に広げる。

国家承認について曖昧さを残すことと、追悼の場から台湾を排除することは同じではない。長崎市は外交問題を避けようとして、かえって追悼を外交問題にしてしまった。しかも、広島市がすでに実務的な出口を示している以上、今回は長崎市の判断の「異常性」が目立つことになったと思う。

 

批評.COM  篠原章
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