まとめ:色褪せる東京地検特捜部の「正義」

批評ドットコムでは、『特集 東京地検特捜部「暴走」説の検証』と題して、これまで3回にわたり近年の東京地検特捜部の「仕事」を振り返ってきた(以下構成)。 

  1. 「リニア談合」はほんとうに犯罪だっのか?(2020年1月10日)
  2. ゴーンの傲慢、日産幹部の無能、特捜の不遜(同1月12日)
  3. IR汚職は三文役者の猿芝居(同1月13日)

3つの事件について共通していえるのは、「特捜のシナリオ」がかなり強引に描かれているということである。

リニア談合:旧態依然たる特捜の「談合観」

リニア談合では、インフラ市場、土木建築市場、労働市場など関連した市場環境の変化に配慮しないまま、特捜は旧態依然たる「談合観」に固守して捜査を推し進めた。被害者のいない事件であるにもかかわらず、特捜は、古びた経済観・市場観に基づいた「談合=悪徳」というシナリオを描いて捜査を推進し、ゼネコンの主導する今後のインフラ整備やミニ再開発の受発注に対してネガティブな影響を与えることになった。公取委が特捜のシナリオに追随したこともきわめて残念だ。老朽化したインフラの更新、より新しい社会経済環境の創出が日本の急務になっている現在、旧態依然たる談合モデルに固執した特捜のこうした姿勢は、国民全体にとっても悪しき影響をもたらしかねない。

カルロス・ゴーン事件:企業内紛争を拡大した特捜

特捜とほとんどのメディアは、「ゴーンは日産の再建に功はあったが、今やたんなるカネの亡者だ。日産と日産社員と株主が受け取るべき利益を掠め取っている」という姿勢だが、カネの亡者だからといって悪質な犯罪者であると決めつけることはできない。「金商法違反」とされる「報酬の虚偽記載」は未実現の報酬に関わるものであり、「背任」とされる一連の行為も立証の困難な事例ばかりだ。最大の問題は、独裁者を追いだしたい一企業に、特捜が積極的に手を貸してしまったことだ。歳月とともに傲慢になったゴーンを制御できなくなった日産幹部が、自らの無能を棚上げして「追い出し工作」を特捜に外注したというのが事の本質ではないか。特捜は企業内紛争に介入し、これを拡大したともいえよう。市場への悪しき介入である。

IR汚職:特捜の見通しの甘さへの懸念

現在報道される情報を総合すると、秋元司議員らが犯したと思われる行為を「贈収賄」と捉えることに不合理はないが、全体の構図でいえばケチな詐欺事件に終わる可能性も否定できない。大物政治家は釣れなかったというより、最初から大物など関わっていなかったのではなかろうか。特捜の見通しの甘さが目立つシナリオだという印象だ。不良議員を排除する効果とIRという蜜に群がる亡者たちを抑制する効果はあるといえようが、実のところIRをめぐる議論はまだまだ進行中で、今後も国民的議論が必要だというのが私の解釈である。国民のIRに対する視線を必要以上に曇らせる副作用を伴った摘発になっていやしないか。その点が大いに懸念される。

色褪せる特捜の「正義」

近年の特捜の捜査活動をつぶさに観察すると、特捜をある種の象徴とした日本の刑事司法のあり方が時代に合致していないのではないかという疑念を抑えることができない。特捜が描く「正義」の一部は陳腐化し、時としてきわめて粗雑なものに見える。戦後日本の法令遵守精神を醸成する過程で特捜が果たしてきた役割には大きなものがあるし、その独立性も正しく評価したいと思うが、特捜という存在は時代に追いついていないのではないか、特捜の正義は色褪せているのではないか、というのが率直な感想である。今後は「人質司法」と呼ばれる司法のあり方、司法と民主主義の関係を制度的に見直すと同時に、特捜の「正義」も更新していく姿勢が求められる。特捜は「暴走」しているというより、「迷走」している、というのが実態だろう。

批評.COM  篠原章
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