不要だった感染研の反論:非常時だからこそ求められる厚労省の統治力

感染研の“ご立腹”

すでに言論プラットフォーム『アゴラ』などでも取り上げられているが(「感染研所長がキレた!PCR検査を巡る非難報道に猛反論」)、「国立感染症研究所(脇田隆字所長)が新型肺炎のPCR検査を妨害している」との一部報道について、同研究所(以下「感染研」と略す)が反論する文書を発表した。

PCR検査における感染研の対応に、メディアが報道したような事実があったのかなかったのかは知らないが、彼らとしては「そんなことはない」と強く主張したかったのだろう。要するにメディアの姿勢に腹が立ったのである。

が、残念ながらこの反論文書には説得力が乏しい。

国民の関心事とのズレ

国民の関心事は「PCR検査を行う際の基準」や「PCR検査の実態」であって、感染研の重視するような「積極的疫学調査」の必要性に基づいた反論ではない。これらの国民の関心事に対して感染研は、「PCR検査の実施の必要性について言及することは一切ない(検査の必要性の有無を判断する権限はない)」としながら、他方で「「検査件数を抑えることで感染者数を少なく見せかけようとしている」「実態を見えなくするために、検査拡大を拒んでいる」という事実はないと主張している。

だが、専門家集団である感染研の知見が検査基準に反映していないわけがない。厚労省本省の役人レベルだけで基準は作れないからである。したがって基準策定に関わった研究機関の職員が現場で助言を求められれば、何らかのアドバイスすることは不自然ではなく、そうであれば現場の意思決定(検査の必要性の有無の判断)にも影響を及ぼすことは明らかだ。つまり、検査基準の適用に実質的な責任を負っていることになる。

にもかかわらず、感染研は「PCR検査の実施の必要性について言及することは一切ない」と遠回しの表現で責任回避の姿勢を見せている。制度上の責任はないだろうが、だからといって完全に免罪されるとはいえない。むしろ、研究所としての重要性を否定しかねないエクスキューズになってしまったと思う。

また、一研究機関である感染研が「感染者数の誤魔化しなどしてない」などと反論する必要は全くない。却って憶測を呼びかねない。現に「感染研の政権への忖度」という、お定まりの批判まで招いてしまっている。

求められる厚労相の統治力・統率力

本来なら報道に対するこうした反論は、感染研を管轄する厚労省あるいは厚労相が出すべき性格のものだと思う。皆が知りたいのは上記のような感染研の見解ではなく、「PCR検査を行う際の基準」や「PCR検査の実態」なのだから、加藤勝信厚労相が会見で所感と方針を表明すべきだ。これについて厚労相は国会などですでに答弁しているが、誤解の払拭と情報公開を目的とした国民向けの会見をあらためて開くことには意義があると思う。逆にいえば、感染症対策に関する行政の取り組み全般やガバナンスを考えた場合、感染研の反論は不要だったということになる。

感染研に在籍した研究者からの情報のリークや批判が、彼らに批判的な報道を勢いづけ、所長など幹部を神経質にしてしまったことはわかるが、感情的な反論は事態を悪化させるだけだ。だからといって、無思慮な報道や無責任な報道が許されるわけではないが、感染研は報道に惑わされることなく、研究機関としての能力向上に注力してもらいたい。

批評.COM  篠原章
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