小池ゆりこと山本太郎の言語感覚—都知事選全22候補ショートレビュー(2)

「都知事選全22候補ショートレビュー」から続く

同性パートナーシップ条例

込山候補は、東京都渋谷区。世田谷区、港区、文京区などに導入されている「同性パートナーシップ制度」の拡大も公約としているが、この分野に熱意を持っているのはやはり日本維新の会推薦の小野たいすけ候補だろう。現職の熊本県副知事を辞して、行政マンとしての実績と熱意を都知事選にぶつけるかたちの立候補である。「東京を切り開く」というキャッチコピーはいいが、選挙公報は文字が多すぎるというきらいがある。政策の表現も少々地味だ。「危機を乗り越えるのは私しかいない」という思いが伝わりにくいところが残念なところである。

進化した?日本第一党

日本第一党の桜井誠候補は、ここにきて政治家としての「進化」を感じさせる。前回は文字数のやたら多い選挙公報だったが、政党が絡む候補として見ると今回の公報の文字数の少なさはピカイチだ。都民向け公約も「都民税ゼロ」「固定資産税ゼロ」「都知事給料ゼロ」と実にシンプルで、フォーマットとしては悪くない。だが、都知事権限で都民税や固定資産税をゼロにできるのかは大いに疑問である。地方税法という国法があるかぎり、桜井候補の公約は実現しにくい。代替財源の伴わない公約であるところも気になる。特定の外国人をターゲットに絞ったと思われる「外国人生活保護の即時撤廃」「パチンコ規制」もどこまで有権者の理解が得られるだろうか。

カルトというレッテルと戦う幸福実現党

各種選挙の常連ともいえる幸福実現党の七海ひろこ候補。衆院、参院など含めこれで6回目の立候補という。「減税」「規制緩和」「自由経済の尊重」「脱中国依存」という公約はありだが、これらも国政のあり方に依拠しており、「東京再起動プラン」というキャッチコピーにはそぐわないものにみえる。幸福実現党は地方議員を40名ほど抱える政党になったが、国政選挙や知事選で選挙に勝った例はいまだない。Twitterなどでは幸福実現党の母体である幸福の科学を「カルト教団」と名指しして「投票するな」と呼びかける傾向が見られるが、「カルト」というレッテル貼りはやはり差別的で排他的だ。ユダヤ教徒から見れば「カルトの教組」だったキリストが磔の刑に処され、そのキリストを迫害したユダヤ教徒がナチスによって虐殺された歴史を、人びとは肝に銘じておくべきだ。

当選を目的としない候補

自らのビジネスと都政改革を結びつけて立候補した人びともいる。「新型コロナウイルスの治療薬と予防薬を発明した」という石井均候補、薬剤師(ドラッグストア)の立場から医療行政・薬事行政の改革を訴える長澤育弘候補がそれだ。当選を目的としていないことは明らかだが、300万円の供託金を払っても引き合う効果があると判断したのだろう。

IT企業家の沢しおん候補、「老人党」を掲げる関口安弘候補、犯罪被害者支援NPO代表の押越清悦(おしこしせいいち)候補も当選を目的とする気配はあまり感じられない。問題意識先行型の選挙公報ではあるが、これといったセールスポイントがないところが悔やまれる。

生真面目な候補と潔い候補

有力候補の1人である宇都宮けんじ候補も、「コロナ禍で苦しむ都民の救済」を掲げるという点では、上記の沢候補、関口候補、押越候補と問題意識は同じだ。政策はより具体的だが、率直に言うと新鮮味はなく、特徴も薄い。もし、宇都宮氏の経歴を知らず、大手メディアの報道に接していなければ、つまり選挙公報だけを読むと、込山候補、ないとう候補、沢候補あたりと同列の候補に見えてしまう。生真面目さゆえに差別化が図れていない。

選挙公報に限っていえば、「消費税廃止」というシングル・イシューを掲げた竹本英之候補の潔さが目立つ。ただ、消費税は基本的に国税であり、東京都に廃止する権限はない。先にも触れたが、廃止するには独立するほかない。国民主権党を名乗る平塚正幸候補も、「コロナはただの風邪/新生活様式は不要」というわかりやすい主張だけで押し通しているという点では潔い。主張としてはありうるが、コロナ禍で慎重になっている有権者のなかに「この人を都知事にしたい」と思う人は少ないだろう。

小池ゆりこ、山本太郎の言語感覚

現職の小池ゆりこ候補の公報は「いかにも」のレイアウトと言葉遣いだが、残念ながら横文字の使い方にカチンときてしまう。都民ファーストもそうだが、ワイズ・スペンディングとかグレーター東京とか、「俺だったら恥ずかしくて使えない」用語法である。立花孝志候補を始めとしたN国・ホリエモン新党の「ぶっ壊す」にも食傷気味だし、山本太郎候補の「今政治に足りないのは、あなたへの愛とカネ 都知事はやっぱり山本太郎」という巧みな?キャッチコピーを目にしても、「俺にはあんたの愛は要らない」とひねくれたくなる。そもそも私は言霊信仰が強いので、「お金」といわず「カネ」という人がとても下劣に見えてしまう。以上3人の候補の言語感覚はどうしても受け入れられない。その点では、実直に見える宇都宮候補や小野候補のほうがはるかにマシである。ただ、選挙公報のレイアウト、印象力という点では、やはり山本候補のそれがいちばん目を引く。この候補がメディア戦術にもっとも長けていることは否定できない。

公報のない牛尾和恵

22人の候補者のうち、1人だけ選挙公報に原稿を提出しなかった候補がいた。牛尾和恵・33才・無所属・無職(元製造会社社員)・富山大経卒。我が子たちとほぼ同世代だ。提出しなかったのは、体調の問題だろうか。政見放送も収録していないらしい。ニコ生の自己紹介番組では、立候補の動機として、昨年47才で亡くなった瀧本哲史の『ミライの授業』『僕は君たちに武器を配りたい』を取り上げたが、本を紹介したところで終了。瀧本が高校の後輩だったこともあり、牛尾候補の心情が気になった。いつものことだが、多くの候補にとって都知事選は自己実現の場だ。「当選」を目的とした闘いの場ではない。今回は牛尾候補の動向がそれを象徴していると思う。

又吉イエスが懐かしい

総じていえば、なんだかちょっと精彩を欠いているという印象は残った。おそらくコロナのせいだろう。猫も杓子もコロナ、コロナで、「コロナに支配されている感」が選挙の自由度を損なっている気がした。各種選挙の常連だった故又吉イエスが、名誉毀損になりかねない「檄文」を掲載していた時代がちょっと懐かしい。既成概念や規格に捕らわれない「表現の自由」の本来的な意味を教えてくれたからだ。(了)

批評.COM  篠原章
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