2013/04/21
再びヤンバルクイナに出遭う
別に自慢するほどのことじゃないんですが、2011年の4月16日にヤンバルクイナの撮影に成功(ヤンバルクイナと出逢う)して以来、なんだかヤンバルクイナのお友だちに 続きを読む2013/04/06
「敵」はいったい誰なのか? 〜アントニオ・ネグリの「マルチチュード」〜
「マルチチュードとは、マルクスの階級論を乗り越えるための概念でしょうか」という質問を提出しました。 続きを読む2013/04/02
正統的な不条理劇だったNHK連ドラ『純と愛』
定時に出勤する、といった習慣が失われて2年ほど経った。そのかわり、NHK朝の連ドラを見るという、ぼくの人生にこれまでなかった新しい習慣が生まれた。『カーネーショ 続きを読む2013/03/27
1970年代の渋谷界隈—はっぴいえんど、遠藤賢司、山下達郎etc.
「渋谷は若者の街」といわれはじめた頃に渋谷に住み始めた。高校生だった。渋谷パルコができ、「公園通り」がもてはやされるようになった時期である。 百軒店のB.Y.G 続きを読む2013/03/26
“Japanese Farewell Song”は誰が創ったのか?
1979年にぼくは細野晴臣さんの弟子のようなことを始めた。「渋谷ヤマハのベース教室」の 講師を細野さんが務めるという噂が流れ、店頭に行ってみるとたしかに「細野晴 続きを読む2013/03/21
吉本さんちからの手紙
K社のTさんが、よしもとばななさんの新しいエセーを教えてくれた。それを読んだら、いろいろ想いだした。想いだすままにTさんに返信を書いた。 考えたら、吉本隆明さん 続きを読む2013/03/18
伊丹万作「戦争責任者の問題」(転載)
昭和20年8月15日まで、日本国民の大部分が軍国少年・少女、皇国の戦士、天皇の赤子だった。8月16日を迎えると、彼らは皆、民主主義の申し子になった。民主主義は素 続きを読む2013/03/13
「共同幻想論」と「琉球独立」 (1)
大韓航空機が撃墜され、エイズが知られるようになっ た1983年の9月9日。20代半ばだったぼくはその日旅人としてニューヨークにいた。マイアミに向かう予定だったが 続きを読む2013/03/11