『レコード・コレクターズ』12月号【特集 大貫妙子】で「大貫妙子ヒストリー」を執筆

レコ―ド・コレクターズ12月号 【特集】大貫妙子 (11月13日発売)で「大貫妙子ヒストリー」を執筆しました。

〈以下執筆後の所感—Facebook掲載のテキストに加筆〉

大貫妙子のほぼ全作を聴き直して、あらためて印象に残ったのは、矢野誠が編曲した「 When I Met The Grey Sky 」という、ファースト・アルバム『Grey skies』収録の楽曲である。リリース当時の1977年もこの曲は衝撃的だったが、今も変わらぬ魅力を備えた作品だ。

ちなみに、坂本龍一が「台頭」する以前に、ロック系ポップスを支える最大の理論的支柱(編曲家)は矢野誠だった。矢野顕子、大貫妙子、喜納昌吉のデビュー作のサウンドは、いずれも編曲家・演奏家としての矢野誠の力量に拠るところが大きいと思う。矢野顕子の最初の夫として知られる矢野誠だが、矢野誠がいなければ、矢野顕子も大貫妙子も喜納昌吉も、現在とはまた違う評価になっていたかもしれない。

大貫妙子作詞・作曲の「When I Met The Grey Sky 」は、スティービー・ワンダーが1974年にプロデュースした当時の妻・シリータのアルバム『Stevie Wonder Presents Syreeta』に入っている「Cause We’ve Ended As Lovers」(スティービーが作詞・作曲)にインスパイアされていると思う(大貫はローラ・ニーロに触発されて生まれた曲だというが、それだけではないと思う)。

「Cause We’ve Ended As Lovers」は、天才ギタリスト、ジェフ・ベックの最大のヒット作である『ブロウ・バイ・ブロウ』(1975年)の収録曲(インスト)として有名で、ロック・バンドだけでなくジャズ/フュージョン系アーティストが好んでカヴァーする曲になっているが(日本盤タイトル「哀しみの恋人たち」)、シリータのオリジナルのことはあまり知られていない。

当時は大貫がジェフ・ベックの影響を受けているとはあまり考えていなかったが、1980年前後にシリータのオリジナル(ボーカル曲)を初めて聴いてから、大貫妙子はこのイメージを狙ったんだな、と確信するようになった(Facebook友達の串岡昌明さんから、「大貫さんご本人が何かのラジオで70年代にシリータをよく聴いていたと話しているのを聴いたことあります」というメッセージを頂きました。確認が取れた思いです。串岡さん、貴重な情報、ありがとうございました)。自ら琴を弾くなど独自の「和風」演出に成功した矢野の編曲力や、かしぶち哲夫の抑制的で情念のこもったドラムも素晴らしい(実に惜しい人を失った)。

いずれにせよ「Cause We’ve Ended As Lovers」は名曲だ。この曲にはジェフ・ベックのインスト・カヴァーしかないが、ぜひシリータのオリジナルを誰かにカヴァーしてもらいたいと思う。

まずはご一聴のほど!

 

批評.COM  篠原章
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