『小山田圭吾炎上の「嘘」』の出版を機に再考したい「小山田圭吾炎上騒動」

中原一歩『小山田圭吾炎上の「嘘」』の出版

『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』 (中原一歩著・文藝春秋)が7月24日に発売された。

「虐め加害者」が「虐め(バッシング)」によって、社会から瞬殺される(東京五輪の音楽担当辞任を強いられる)という「悲劇」の経緯を検証し、「加害者」とされた小山田の復権への道を開くという意味では意義のある著作だと思う。

この問題については、すでに片岡大右『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』 (集英社新書・ 2023年)という社会学的な観点から分析した良書も出版されているが、ジャーナリストとしての立場から問題を丁寧に検証した『小山田圭吾炎上の「嘘」』も注目に値する。

ぼくは「小山田虐め事件」に並々ならぬ関心を抱いていた。なぜならば、2021年に炎上した「小山田の虐め」の大元となった1994年から95年にかけて発表された小山田インタビュー(後述)を読んだときから、小山田圭吾というアーティストに疑問を抱いていたからだ。が、2021年の五輪開幕直前になって小山田の過去に関与した虐めが炎上して、五輪の音楽担当を辞任する事態に追いこまれる様子を見て、今度はマスコミの対応に大きな疑問を抱くようになった。

そこで、2021年7月24日付けの批評ドットコムに「小山田圭吾ははめられた? — 北尾修一の検証記事を読んで」という短文を書いた。珍しく短文だったのは、長文だと誤読されたり、切り取られたりして、返って小山田や被害者のためにならないと思ったからだ。いってみれば、広義の「セカンドレイプ」(被害者と加害者双方に対するさらなる傷つけ)の火付け役になることを畏れたのである。

小山田の1969年生まれの小山田にとって、小学生時代の虐めは珍しくない現象であり(それが都会なら「当然」の現象)、犯人がいるとすれば、それは時代であり、社会であり、人間そのものである、と思った。ぼくは小山田の良きファンではないが、才能あるアーティストのキャリアに深い傷が付くのはさすがに理不尽ではないか、と感じたのである。

批評ドットコムにアップしたこの短文では、自分の感情を抑制しているが、本心では「小山田頑張れ!理不尽を乗り越えろ!」という気持ちだった。

ジャーナリズムの責任と小山田の「自己責任」

小山田の一件は、ジャーナリズムとSNSの生んだ「炎上事件」のひとつにすぎないし、実際に小山田が罪に問われたわけでもない。すでにさまざまなかたちで小山田は社会的制裁も受けている。『小山田圭吾 炎上の「嘘」』が、小山田の復権に資することを願うが、ひとつだけ払拭されない疑問もある。

小山田が虐めの「主犯」であったか、「従犯」であったかはともかく、小山田が自身の関わった虐め体験を語ったのはなぜか、という疑問である。

もちろん、小山田の「虐め体験」をおもしろおかしく記事に仕立てあげたジャーナリズムの責任は重いし、問題のインタビュー記事(『ROCKIN’ON JAPAN』1994年1月号、『Quick Japan』第3号・1995年8月)が出た時点で、小山田の「虐め問題」を深掘りしなかったマスコミの責任も見逃すことはできない。「たかだかサブカル界の出来事だから知らなかった」という言い訳などは認めない。ぼくはフリッパーズ・ギター(小沢健二・小山田圭吾のユニット)のファンだという大手マスコミの記者を何人も知っていたからである。当時の基準に照らしても、小山田の関わった虐めは「酷すぎる」部類に入るし、ジャーナリズム・マスコミも「虐めは許してはならない」という普遍的価値観は共有していたはずだ。

ジャーナリズムとSMSが無責任だったことは大いに問題視したいが、それらはけっして小山田の免罪符にはならないのではないか。「普通の人だったら隠しとおす体験をペラペラ喋った小山田にも重い責任がある。社会的制裁を受けて当然だ」という主張があるが、これにはぼくも反論できない。前出『小山田圭吾炎上の「嘘」』を読んでも、『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 』を読んでも、この疑問は解消されなかった。虐めに関与したことが問題というより、その関与を雑誌記者の前で語った配慮のなさこそ、小山田にとって最大の「自己責任」ではないのか。ぼくはなにも隠すことを正当化・奨励したいのではない。インタビュー時点での小山田の「社会常識の欠落」(虐めはいけないというのは当時でも常識だった)が気になってしょうがないのだ。

「和光教育」に対する疑問

この疑問を突きつめていくと、小山田の出身校である和光学園の教育方針や教育環境そのものが問われる可能性があるが、和光学園はこの件について、「東スポ」の取材記事以外に、特段の反応を見せていない。卒業生の所業まで学校の責任にされたくない、というのは理解するにしても、虐めの舞台となったのは和光学園である。「自由教育」「共同教育」という理念の下に、和光学園は、人間と社会にとって決定的な何かを犠牲にしてきたのではないか、とぼくは推測している。「左傾化した教育方針」そのものを問題にしたいわけではない。「自由教育」「共同教育」を標榜するなら、そうした理念の具体化の際に生ずるリスク(たとえば社会常識の欠落)も重視する必要があったのではないか。

これ以上この問題に立ち入ることは、正直いってぼくの手に余る。読者諸兄の判断に任せたいと思う。

 

批評.COM  篠原章
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket