都知事選に出馬する石丸伸二安芸高田市長と「極左フェミニスト」上野千鶴子

安芸高田市長・石丸伸二の都知事選出馬

何かと話題となっている石丸伸二安芸高田市長の「東京都知事選出馬会見」動画をフルで見た。出馬の動機について15分ほどの説明したのち、約45分の質疑応答がつづいた。

石丸市長は、「日本は地方自治体から崩壊していく。そうした現状を変えるために、東京都知事になって多極分散を進める」と主張している。会見を見たかぎり、従前より「市長として発信し、知名度が広がったら都知事選に出馬する」という石丸の戦略があったのは明らかだが、そうした手法はけっして新しいモノではなく、石丸がパイオニアというわけではない。この戦略を問題視して「石丸は信用できない」という人もいるが、騒ぎ立てるほどのことではない。本人も自らが「確信犯」であることは半ば認めている。

石丸は「安芸高田生まれ、京都大学経済学部出身のエリート銀行員」という経歴をもつ。「安芸高田を捨てて東京に行くのか。安芸高田は利用されただけだ」と非難する人も多いが、東京という大舞台のほうが魅力的に決まっている。他県にルーツを持ちながら東京で活躍している人なんていくらでもいる。

安芸高田市長としての石丸の仕事ぶりについては、功罪相半ばすると思う。「市議会との対立」が評判になったが、時流に合わない「旧体制・旧慣」を守ろうとするごくフツーの市議の姿勢を攻撃したことで、一部の市民に反感と不信を生みだしたことが「罪」だとすれば、「効」は、「二元代表制」「地方自治」の孕む課題を顕在化(いまふうの言葉でいえば「見える化」)したことだ。簡単にいえば、「石丸の功罪」は同じものの両面なのである。表裏どちらに注目するかで評価は決まる。石丸は、「フツーの市長」であることを拒んだだけのことである。

多極分散型日本社会の構築

石丸の出馬動機は「多極分散型日本社会の構築」にある。実は、30年以上も前から、「日本のもっとも大きな課題は東京一極集中の是正と多極分散(機能分散)」といわれてきた。にもかかわらず、多極分散はあまり進まず、東京(首都圏)回帰という現象すら起きた。東京回帰現象自体は、バブル期に高騰した地価が、バブル崩壊に伴って下落したことに主因があるが、それは循環のプロセスで必ず生ずるもので、けっして特異な現象ではない。多極化・地方分散に絡んで進んだのは、「ネットの普及に伴う、薄められた東京文化の地方都市への浸透」ぐらいだった。たしかにそれも「文化的」にはきわめて大きな現象だが、必ずしも課題の解決には直結しなかった。

問題は、「人口減少時代」が予期されたよりも速いスピードで訪れたことだ。経済政策や社会保障政策から安保・防衛政策に至るまで、われわれが直面する大半の課題の根っ子にあるのはこの「人口減少」だが、岸田政権の「異次元の少子化対策」(どこが「異次元)かは不明だが…)をもってしても、簡単に答えが出るような課題ではない。石丸は、敢えてその課題に挑もうというのだ。石丸の志自体は「是」である。誰もが唱えそうで唱えていない主張だが、都知事も含め多くの首長が共有できる問題意識だ。

石丸の多極化のためのアイデアや手法を会見で知りたかったが、具体的な施策はまだ固まっていないようで、「全国の道府県知事、政令指定都市の首長と連携しながら若い女性が地方に移住したくなるような仕組みを作る」と述べるに留まった。とはいえ、その主張に「ごもっとも!」と肯けるところも少なくなかった。

会見場から追いだされたRCC中国放送

記者会見での圧巻(言い過ぎ?)は、RCC(中国放送)の記者が会見場から追いだされるシーン。「わたし(市長)からの公開質問状に対するRCCの回答は不十分。いま回答できないならここから出ていってほしい」と要請したら、他の記者たちが注目するなか、おとなしく退席してしまった。そこだけを切り取ってみれば「報道・言論の自由の敵」に見えるが、石丸の質問状に対して型どおりの回答文書しか作成しなかったRCCも悪い。現場の記者に退席するほどの責任があるのかどうかわからないが。

石丸は、「(意図的に)敵(対立軸)を作ってやっつける」のが得意だった小泉純一郎・橋下徹のスタイルを踏襲する政治家とお見受けした。だからこそ熱心な信奉者が次々生まれるのだろうが、それはそれでよいと思う。彼の「多極分散が日本を救う最大の処方箋」という信念がどこまで貫かれるか、どの程度の効果があるのか。お手並み拝見といきたいところだ。

勝負のポイントは支持層の掘り起こし

ネットでははともかく都民のあいだでの知名度は低いので、都知事選で何票集めるかは未知数だが、1か月以内にまちがいなく知名度は上がる。小池百合子都知事を脅かす候補者になることはほぼ間違いないと思う。

「多極分散」の理念を共有できる政党・グループなら、自分に対する支持は大いに歓迎するとも述べていた。実際手を挙げてきた政党・グループもあるという。「支持されたからといってその党派の言いなりにはならない」とも付け加えていたが、自民党員かられいわ新選組組員?にいたるまで「石丸支持」に回る有権者もでてくるだろう。いわゆる「無党派層」「無関心層」の関心をどの程度呼び覚ますことが出来るのかにかかっている。今後の動向に注目したい。ちょいと面白い選挙になりそうだ(告示日は6月20日)。

「上野千鶴子招聘」は罪なのか

ところで、X(旧Twitter)をチェックしていたら、「石丸(安芸高田市)が上野千鶴子(社会学者・ジェンダー論・東京大学名誉教授)を講演に呼んだのは怪しからん。上野は補助金喰らいの極左フェミニスト。石丸はろくでもない野郎だ」といったようなポストがたくさんあった。

「極左・上野千鶴子が気に入らないから石丸も気に入らない」というロジックだ。

たしかに上野千鶴子は国や自治体の補助金取りの名人である。そのことは学界ではつとに知られていて、「補助金が欲しいなら上野に教えてもらえばいい」というアドバイスをもらったこともある。

アントニオ・ネグリ(思想家)の来日講演を聴きに学術会議に行ったら、そこに上野がいて、ネグリに対するコメントのなかで「ワタシが持っているNPOは補助金で運営されている」といった発言も聴いた。

補助金をめぐる個人的な体験

かくいうぼくも、大学勤務時代には、職務として累計1億円程度の補助金を獲得した。教員のなかでは断トツで多額だったと思う。逆にそのことが一因となって後に大学を追いだされる羽目に陥ったが…

当時、公的補助金獲得はそんなに難しいことではなく、文科省の発した各種文書を丁寧に読めば、2〜3年で「獲得術」を身につけることができた。

我が勤務先の大学は、研究活動よりも教育活動で期待されていたから、取得したのは主に教育実践のための補助金だが、100万〜500万円の補助金を受けるためには最低でも二三日、長ければ1週間ぐらいの時間が必要だった。その間、せっせと作文するわけだ。

1000万を超える補助金となる最低でも1か月、長ければ3か月ぐらいの時間が必要だったが、自身の教育研究活動も同時に進めているわけだから、当然寝る間も惜しんで文書作成や関連事項の確認作業に臨まなければならない。大学研究室での数日の徹夜はもちろん覚悟の上である。

他の教員は、文科省文書を丁寧に読みこんで補助金申請書をしっかりと書き上げるという複雑で面倒な手続きに意義を見いださなかったから、やらなかっただけだ。

上野は「補助金喰いの極左フェミニスト」か?

上野はそういう勘所に優れた研究者だったから、文科省だけでなく総務省や厚労省などの補助金も獲得していたと思う。その額は累計数億円に達していたはずだ。

もちろんそれを私的に流用することなどなかったと思うが、一定の研究能力も備えた補助金獲得の名人は、必然的に学界のドンに成り上がることができる。そうなれば執筆・講演依頼も増える。余録として政府、自治体、団体の役職就任依頼も来る。

いまはどうか知らないが、少なくとも15年ほど前までは、「研究」以外のこうした雑用や大学行政をこなすのが上手な学者が重用された(我が恩師はそうした才能を「学才」と呼んだ)。上野はそうした意味でとても「傑出した」学者だと思う。

ぼくもエラそうに人のことはいえないが、彼女の研究は矛盾だらけである。そんな矛盾を解消するのも惜しんで(?)、フェミニストとしての社会活動を実践してきた。Xでいわれているような「補助金喰いの極左フェミニスト」というほどの大物ではなく、高い補助金獲得能力を備えた「日本におけるフェミニズム活動のパイオニア」といっていい学者先生だと思う。批判すべき点は山ほどあるが、清濁併せ呑むことができる(世間を知った、実務能力のある)学者なんて往々にしてそんなものだ。ただそれだけのことで、「極左フェミニスト」は過大評価である。

彼女も(またぼく自身も)過去の遺物だが、京都大学の後輩である石丸にそうした認識はあまりなかったのかもしれない。が、この点について石丸を責めるのはお門違いだ。ぼくだって、どこかの田舎の市長だったら、上野の知名度には逆らえないし、近年の老成した(耄碌した?)上野なら市民を煽ることだってほぼないと見てよい。

石丸も、合理性・効率性を掲げながら、それと矛盾しそうな迂闊な言動も多いから、矛盾だらけの上野千鶴子との親和性は案外高いのかもしれない。

都知事選出馬会見する石丸市長(YouTubeより)

批評.COM  篠原章
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