【新刊『はっぴいえんどの原像』番外編 (6) 】サエキけんぞう×篠原章「あがた森魚のポップス観と学生運動の憂鬱」
『ゆでめん』から53年、はっぴいえんどとは何だったのか?……
『はっぴいえんどの原像』発売記念トークスペシャル
2023年1月20日、リットーミュージックからサエキけんぞう×篠原章『はっぴいえんどの原像』が発売される。
当サイトでは、サエキ・篠原による〝はっぴいえんど〟をめぐる対談を6回にわたって掲載したが(2015年)、その内容は『はっぴいえんどの原像』の土台の一部になっている。そこで、今回この対談を編集したうえ『はっぴいえんどの原像』番外編トークとして分割再掲載する。
番外編(6)は「あがた森魚のポップス観と学生運動の憂鬱」
あがた森魚のポップス観
篠原「あがた森魚さんは、時代を1964年で区切ってるんです。」
サエキ「ビートルズ?」
篠原「ディラン以前とディラン以後。64年まではポップスは楽しかった。65年から使命感に変わったって。”表現”ってことを気にしだしたんだと思います。あがたさんの場合、ディランを聴いて、ポップスの享受者じゃなくて発信者になろうと思ったんでしょうね」
サエキ「大滝さんのお考えにも近いですね。ポップス以前に回帰された大滝さんと。ボーイミーツガールを歌い、気楽な娯楽だったポップスに、ロックの影響で様々な表現の可能性ができ、そこが楽しさを奪った面があった」
篠原「あがた森魚さんの『浦島64』は窪田晴男サウンド・プロデュース、なんだけど、その時代の気分を窪田君に伝えるのは大変だったと」
サエキ「おお、そうなんですか!僕の考えてることにもストライク!です。」
篠原「この作品、あがたさんの歴史に残る名盤ですよ。窪田さん抜きではできなかったと思うけど」
サエキ「まさに、僕が話したいことだし、知りたいことでもある」
篠原「71年頃のあがたさんの詩集=ガリ版刷りに、“今日、北大に機動隊が導入されて惨憺たる気分になった”といった言葉があるんですが、社会的・政治的な流れのなかで、自分が表現者としてすべきことはどこにあるのか、という自問自答があるんですね。あの頃は」
学生運動の憂鬱
サエキ「それは本当にユウウツだと思う。学校に権力が入るのは、イヤになるでしょ。表現の自問自答という状況も、気分がわかってきました」
篠原「実は、今思えば大したことじゃないんです。ほんとうは。学生運動は、機動隊と対決してナンボの世界でしたから、肉体的なぶつかり合いのなかで、自己実現していたんだと思います。」
サエキ「僕はデモは、街角などで割とみたので、すべて曇りの風景として記憶してる。太陽の下の感じじゃなかったです」
篠原「うーん。それは(サエキの兄弟の)真一さんに訊いたほうがいいけど、あれはフェスティバルとかスポーツ大会に近い世界でしたよ。あの頃の学生運動にはなんともいえない高揚感がある。逮捕されても誰もあまり問題にしない時代で、実は就職にさえひびかない」
サエキ「いや、そんなことは断じてないです。暗いですよ。学生運動している姉兄とかいると、家の中が凄く暗かったの。当時、佐伯家は」
篠原「それはサエキ家が真面目だったからです」
サエキ「そういう人も沢山いたんですよ。断言しますが、権力との対峙は、非常に消耗するものだと思います。水俣しかり、原発しかり、安保しかりです。政治の運動があるとして、その中核には、ラグジャリーとは遠い意志がなければ、成立しません」
篠原「真面目な人もいたけど、中核派とか、ぼくは体育会系の人とあまり違わないって思ってました」
サエキ「僕の認識は、屈折と、変節でした。あの70年代初頭の時代の変遷と受けとめきれず、自殺に至った人も多いはず。『ノルウェーの森』にもありますね。気分の変化として“お祭りみたいだった”お話しとか、いまいちピンと来ません。」
篠原「要するに彼らは、ジグザグデモやゲバ棒で、権力の象徴である警察と対決して楽しんでたと思います。卒業生の大半は企業に就職するわけですからね」
サエキ「警察との対決は、お世辞にも楽しいとはいえないと、子供でもわかりました。権力側は、常にギミックを用意するからです。運動をした学校にいて、その認識がないというのは、ちょっと驚きます。そこを意識した文学も多いですが、共感したのは、高橋和巳とかですね。『我が心は石にあらず』とかメチャくらいですね」
篠原「暗いもの、いっぱいありますよ。ほかにも。でも、見かけ上の暗さと本質的な暗さはやっぱり違うんだと思います。あの時代の暗さってのは、新しいのものを 生みだせるか否かっていう不安がない交ぜになった暗さで、実はけっこう前向きだったんじゃないでしょうか。ま、ここは立っていた場所によって認識の違いが出ちゃうかもしれないけど」
サエキ「良くわかりました。もちろん時代は多面性がありますし、とらえ方は色々ですから」
〈つづく〉