「論壇不在」の時代を生き抜くための「術」とは?〜三誌女性編集長鼎談

「隔世の感」があるというか、『中央公論』(中央公論新社刊/五十嵐文編集長)、『世界』(岩波書店刊/堀由貴子編集長)、『正論』(産経新聞社刊/田北真樹子編集長)の“老舗論壇”三誌で女性編集長が生まれ、中央公論が音頭をとって三誌編集長の鼎談が実現した(『中央公論』4月号 特集「荒れる言論空間、消えゆく論壇」)。

三誌とも個人的に縁の深い月刊誌である。高校・大学時代のぼくは『世界』の愛読者で「岩波文化人」に焦がれてもいたが、大学院に入ってから『中央公論』を熟読して村上泰亮、栗本慎一郎、浅田彰などが牽引した「ニューアカ論壇」をフォローしていた。現在は『正論』に連載をもっているが、『正論』との縁は「血縁」みたいなもので、祖父が一愛読者の立場から熱心に後援し、恩師の一人である気賀健三先生が常連執筆者だった。

だが、いわゆる「論壇」なんてものは、とっくの昔になくなっており(そもそも雑誌カルチャー自体が風前の灯)、今あるとすればSNSを中心とする〈言論空間〉だけで、ブログや個人発信のWebなんてものも、ほとんど注目されない時代に入っている。

三誌編集長の鼎談は、それだけで十分感慨深いが、「厳冬の時代」を迎えている老舗三誌が、そろって「女性編集長」の下で編集されている事実は、「時代の大きな節目」を感じさせる。彼女たちの手腕でどこまで「変革」「再生」できるか、大いに注目していきたい。異次元・別次元で再生するのか、傷だらけになっても進み続けるのか、それとも立派な(あるいは素朴な)お墓を造ってくれるのか…。

ひとついえることは、「論壇」亡き後の今日、「思想」なんてものは破れ掛けた古い革袋に過ぎず、現実世界や歴史世界のなかの事実と事実を突き合わせ、そこにどんな「意味」と「無意味」を発見できるか、という時代に入っている、ということだと思う。

批評.COM  篠原章
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