映画レビュー:『Perfect Days』(ヴィム・ヴェンダーズ監督作品)

アカデミー賞国際長編映画賞の候補作となったヴィム・ヴェンダーズ監督Perfect Days』を観た。

東京スカイツリー近くの、風呂なしおんぼろアパート(2階建木造テラスハウス)に住み、軽バンに乗って渋谷の公衆トイレ(近年、THE TOKYO TOILET PROJECTの名の下に著名建築家が新装改築を手がけた渋谷区の公共トイレ群)に通う清掃員(おそらくは派遣社員でなく正社員か契約社員)を役所広司が演じている。東京の下町に住む初老の男の日常を淡々と描いた映画である。

名匠と言われるヴィム・ヴェンダーズの作品は大方観ているが、ハリウッドとはかけ離れたインディーズ映画的なその手法には当たり外れがある、とぼくは思っている。

役所広司は、本作でカンヌ国際映画祭最優秀主演男優賞を受賞しているが、製作総指揮(エグゼクティヴ・プロデューサー)としての役割のほうがより重要だったのではないか、と強く感じた。

欧米では、ラスト5分間の役所の表情に、この映画の本質(最大の特徴)が集約されている、との評価もあるようだが、「へー?そうなの?」との疑問を禁じえなかった。せいぜいが細やかな波風しかたたない、それこそ「世捨て人」の日々の暮らしを、観る者を飽きさせない作品に仕上げた技量こそほめられるべきで、役所の表情に、人生の後悔と希望を見いだすような評価は「なんだか的外れだなあ」と思う。「人生ままならぬもの」というならまだわかるのだが…。

「アパートの室内で育てられている植物カセットテープフィルムカメラ」の日常こそがこの映画の主役であって、脇役は丁寧に録音された、それこそ匂いがたちのぼってくるような「音」だと思う。「出来事」に揺さぶられる役所の表情(または感情の動き)に注目してしまうと、折角描かれた「淡々とした時間の流れ」が失われてしまう。あの「淡々」とした感じがいいのである。「淡々」を際立たせるために「出来事」が必要だったのではないか、と思えるほど。

それほど評判になっていないようだが、スナックの薄幸なママを演ずる石川さゆりが、アニマルズのヒットで知られる「朝日のあたる家(朝日楼)」を浅川マキの訳詞で歌い、そこにあがた森魚がギターでバックを付けるシーンがいい。じわじわっと心に沁みいる。石川さゆりの元夫役である三浦友和と役所広司の「影踏み鬼ごっこ」も不思議な感覚に襲われるシーンだ。男どものバカらしさ、悲哀がこもっている。「影が重なるとより濃い影が出来る」なんて発想は、いったい誰から出てきたのだろう。楽しいが切なくもなる。

ふとんや本など小道具類にホンモノを使っているところは共感がもてる。映画のコメント欄に、平山(役所広司)がふとんを上手にたたんで部屋の隅に寄せる様子を観て、「平山は刑務所にいたに違いない」とかいうのがあったが、おそらく見当違い。ふとんが、今どきのポリエステルではなく、真綿の入った分厚いもの、枕はそば殻を入れたものに思えた。録音された「音」からふとんと枕の質感が伝わってくる。

軽バン内でかかる音楽はカセット音源ではなくデジタル音源だと思うが、それらしく加工していると見た。目指した音が、クロムテープなのかメタルテープなのか知らないが(笑)

この作品、昨年12月から上映しているが、アカデミー賞候補作であるにも関わらず客の入りはイマイチだから、上映終了は近いと予想する。劇場で見てこそ楽しめる映画なので、未見の方、「なるはや」で劇場に足を運んだほうがいい。

なお、金延幸子「青い魚」(金延幸子作詞・作曲/細野晴臣プロデュース/1972年)が軽バンのカセットから流れる歌として挿入されているが、これもいったい誰のアイデアなんだろう。音楽ライターの川村恭子さんによれば、ヴィム・ヴェンダーズがそもそも金延幸子ファンだったという。ということは、ヴェンダーズ自身のアイデアか。いずれにせよ、かなりマニアックな選曲である。我がアシスタントは、この曲を聴いてはっぴいえんどの楽曲と勘違いしたらしい。はっぴいえんどが現役で活躍していた時代だけに、確かにそのサウンドははっぴいえんどの醸しだすサウンドに酷似している。ちなみに、「青い魚」が収録されるURC盤『み空』は、せいぜい1000〜2000枚ほどしか売れなかったレア盤であり、当時はカセットも発売されていなかった。

※写真は映画パンフの表紙とキャストを紹介した頁(あがた森魚の似顔絵がある箇所)

批評.COM  篠原章
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