りんけんバンドの新地平
義父が亡くなって重い気分を抱えたまま、午後には再びアジマァへ。新作『織りなす日々』のライナー執筆の打ち合わせである。スタジオで林賢と一緒にラフミッ クスを聴く。いつもどおり良質のポップに仕上がっている。夜、りんけんバンドのライブを久々に聴く。言葉にならないほどの感動だ。この感動をライナーノー ツに込めようと思った。以下、そのライナーノーツを掲げておく。
りんけんバンド『織りなす日々』
ライナーノーツ 2001年11月22日発売この9月15日、久々にりんけんバンドのライヴを見た。 ホームグラウンド ・カラハーイでの定例ライヴである。初めてりんけんバンドを見たのが1990年1月のことだから、足かけ12年にわたって彼らの演奏を聴き続けてきたことになる。ライヴに足を運んだ回数も40回近い。その間、色々なことがあったが、彼らのステージの基本的なスタイルは今も昔も変わらない。にもかかわらず、 不覚にも涙を流してしまうときがある。9月15日もそういうライヴだった。
上原知子がいいのはあたりまえである。歌はもちろん、そ の一挙手一投足にいたるまで、もはや至極の芸の域に達している。が、この日涙を誘われたのは、上原知子が素晴らしかったからだけではない。フロント3人衆(桑江良美・稲福克典・大城隼)のパフォーマンスに、人間としての無限の力を感じたからである。島太鼓や櫂を操りながら、ステージを縦横無尽に動き回る彼らの姿が、いつにも増して美しく見えたのである。
直前の9月11日、にわかに信じられないようなテロ攻撃が行われた。人間とはなんと残酷で悲しい存在なのかと、ぼくは絶望的な気分を抱えたまま沖縄に飛んだのだが、りんけんバンドのステージは、「人間って、こ んなに力強く、楽しく、そして優しい存在なんだよ」と、訴えかけてくるようだった。武力など、この上質のエンターテイメントを前にひれ伏すに違いないと、 この日のぼくは、柄にもなく純真無垢な気持ちになった。そのりんけんバンドが、『織りなす日々』と題する12枚目のアルバムを制作した。CDデビュー以来足かけ12年で12枚、1年に1枚ずつアルバムを発表してきたことになる。十二カ月・十二支など、「12」とい う数字は暮らしのなかでよく使われる数字である。おそらく12という数字は、地球のリズムを表す数字ではないかと思う。その意味で12枚目というのは、地球のリズムを体に合わせながら音楽に取り組んできたりんけんバンドにとって、ひとつの節目を示す作品だ。
このアルバムが以前と大きく異なるのは、エンジニアを照屋林賢自身が務めているという点である。そのせいか、陰影が増してキラキラしている。以前の作品より立体感があるのだ。上原知子のボーカルがまたまぶし い。吸い込まれそうな手触り感のあるこのボーカルを際だたせるように、ベース・上原顕の柔らかいフレージングやキーボード・山川清仁の小気味よいプレイが 艶やかに織り込まれている。
作曲はすべて当代随一のメロディーメーカーである林賢。 「織りなす日々」や「夏ぬ風」のような新鮮な作風には感嘆するばかりだ。作詞のほとんどは例によって名嘉睦念で、小林一茶顔負けの素朴で印象的な言葉が連 なる。「涙」あたりを聴くと、二人のコンビはレノン=マッカートニーに匹敵するんじゃないかと思う。今回はまた、「1.2.3.4」で桑江良美が作詞家デビューしている。沖縄とヤマトといちばん違うのは時間の観念である。沖縄では過去と現在と未来が、人を真ん中に置きながら融け合っている。時間を「経済的資源」としか見ないどこぞの世界とは違って、時間に温もりがあるのだ。 『織りなす日々』というのはそういうことなのだ。過去に対する尊敬と、現在に対する柔軟さと、未来に対する希望とが、心のなかで融けあって共生している状 態なのだと思う。
そんなことを考えながら、『織りなす日々』を聴いていたら、ぼくたちの時の流れが紅型のように染め上げられて、天空の星まで届くような錯覚を覚えた。りんけんバンドの次の12年がまた楽しみになった。