宮古そば「愛」から「ボトルネック」へ

遅い目覚め。ベッドから抜け出してすぐにりんけんバンドの拠点・北谷アメリカンビレッジにあるアジマァに向かう。ソニーレコードを辞めて沖縄に移住、現在はアジマァをマネージしている中西義明さんとティンクティンクやりんけんバンドの将来を語りながら昼食。宮古そば「愛」の支店。支店といってもスタッフは本店と同じ。昼は支店、夜は中の町の本店という勤務態勢だという。つまり昼と夜の営業場所が違うってことだ。これって効率がいいんだか悪いんだかよくわからない。沖縄らしくはある。中の町といえば、テビチの名店「揚羽蝶」がこの夏に閉店してしまったので、魅力がまたひとつ減った。時流には抗しきれない。コザはこのまま朽ち果てていくのだろうか。

今夜も那覇だ。やちむんの新作(『チムがある/チムがある2001』)のための撮影に立ち会うことになった。栄町の「ボトルネック」。かつて58号ぞい、宜野湾の真志喜にあったものが、栄町に移ってきた。昼は地元向けの市場、夜になると高齢(?)のオネエサンたちが出没する栄町市場の真ん中にある。ミュージシャンの知念保が経営している。酒場だが、カレーライスが美味い。そばにも力をいれているという。なかなかいい感じの店である。

撮影には、93年に自主カセット『チムがある』を発売した当時のやちむんのメンバーが勢揃いしている。初めてこの編成でのやちむんを見たのは東村のつつじ祭りだ(93年)。りんけんバンドの前座だった。演奏はまとまりがなかったが、なにかがあると感じた。やちむんとはこのときからのつきあいである。

撮影も終わった深夜、入院中の義父が亡くなったとの知らせを受けとる。半ば予測していたことだが、死に目にはあえなかった。昭和一桁として、新天地を切り開いてきた男である。ガン宣告が2年ほど前。長くても半年といわれたが、ガン細胞は最後の最後までほとんど増殖しなかった。ほんとうによく頑張りましたね。ながいこと苦労様。お世話になりました。合掌。

やちむん『チムがある/チムがある2001』
ライナーノーツ  2001/11/23発売

やちむん【沖縄語(うちなーぐち)で“焼物”の意】は、 奈須重樹(1964年3月22日宮崎県東郷生まれ)と山里満寿代(’73年7月28日沖縄県首里生まれ)の二人組だ。ボーカルとギターを担当する奈須は、 琉球大学に進学するため沖縄を訪れ、卒業後はプロのカメラマンとして沖縄でお気楽に暮らしながら`91年に“やちむん”を結成。幾たびかのメンバー・チェンジを経て、’95年からはバイオリンの満寿代とのデュオで活動している。満寿代は沖縄県立芸術大学でバイオリンを勉強中だった’94年に“やちむん”と 出会い、大学を中退してそのまま“やちむん”に「就職」してしまったという無謀な(?)女性である。

「がんばれいぼやーるー」がNHK沖縄の「あたらしい沖縄のうた」(’94年)に選ばれたのをきっかけに活動は本格化し、’96年12月には“しげなすレコード”を設立して、最初のアルバム『プリン』を発表、少年時代の皮膚感覚を取り戻させてくれるやちむん独自の世界を一気に開花させた。’98年7月には自宅録音のセカンド・アルバム『トゥナー、ストゥ&ピーツァ』を、2000年3月には、慶良間諸島・慶留間島で録音したサード・アルバム『ニューハウスミュージック』を発表。地道な活動が功を奏して、やちむんは今や沖縄のみならず全国各地に熱心なファンを得ている。東京を中心にたびたび行われるツアーも大盛況だ。

熱心なやちむんファンでも、デビュー作は『プリン』ではなく、’93年10月に自主制作されたカセットテープ『チムがある』であると知る人は少ない。製作本数はわずかに200本、当時の奈須はこのテープを1本1500円で直売していた。かくいうぼくも、奈須から『チムがある』をしぶしぶ買わされた口なのだが、率直に言って最初は「かったりいなあ」という印象だった。実は同じ年の春に、やちむん(『チムがある』の録音メンバーと同じ)のライヴを見ていたのだが、感心できる演奏ではなかったからである。が、ある日ちょっとした手違いで『チムがある』をカーステレオにセットしてしまった。不揃いな演奏のせいか、体にベタついてくるような粘り気があったのだが、聴き込むうちにフーッとその粘り気がとれ、やがてやちむんの世界に吸い込まれてしまった。

ぼくにとって『チムがある』はやちむん評価のきっかけだったことは確かだが、3枚のCDアルバムが出て、しばしその存在を忘れていた。数年前に『チムがある』をリイシューすべきだと満寿代が力説するのを聴いたことはあったが、「奈須+満寿代」という現在の編成が最善と思っていたぼくは、「アレはねえ…」と言ってあまり相手にしなかった。『チムがある』は、奈須(ギター・ボーカル)、本村実篤(パーカッション)、儀部高行(トランペット)、佐藤哉(トロンボーン)、平良受理(アコーディオン)、仲村和弘(サックス)という6人編成の「第5期やちむん」によって録音されており、今のやちむんとは似ても似つかないサウンドだったからだ。

ところが、2001年の初夏頃から、結成10周年を記念して『チムがある』をリイシューしたいと奈須が言い出したのである。しかも、2001年時点でのやちむんが『チムがある』の全楽曲をセルフカバーした新録アルバムと2枚組でリリースしたいという。一度腹をくくったら、あっと言う間にモノが出来上がってしまう。やちむんはいつもそうだ。早くも夏の終わり頃にはそのテープが送られてきた。

まず、久々に聴いた『チムがある』でぶっ飛んだ。時を経 て音が熟したようで、鬼気迫る迫力がある。ホーンセクションと男性コーラスがサウンドを実に濃密にしている。アメリカ音楽発祥の地であるニューオリンズには、甘ったるさと泥臭さを併せ持った音楽が溢れているが、’93年のやちむんは、まるでニューオリンズのストリート・バンドのような趣がある。もちろん、そこには沖縄の空気感が込められている。ただ現在のやちむんが、沖縄の朝も昼も夜も等しく表現できるグループであるのに対して、 ’93年のやちむんは、ミステリアスで粘っこい沖縄の夜の空気感しか表現できない。その不器用さがまた愛おしく思えるのだが。

これに対して『チムがある』のセルフカバーである『チムがある2001』は、現在のやちむんの実力が十分に発揮された、“やちむんベスト”的な仕上がりの作品となっている。これまで音盤として聴けなかった「タコス屋で逢いましょう」がステージのままの姿で収録されているのを始め、既発CD収録の「マイロード・アゲイン」「パイプラインそばでそばを食べて」「がんばれいぼやーるー」もほぼ現在のライヴ演奏に近いかたちで収録されている。ライヴそのままを収録した「モクマオウのトンネルを抜けて」や満寿代がボーカルをとった「君といっしょに」も新鮮だ。最近はライヴで聴くことの少ない「ばんしるー」「バイバイバルブボックス」「マシキ・オン・マイ・マインド」も、こうしてあらためて聴くとかなりの名曲である。

『チムがある』と『チムがある2001』は、同じやちむんというグループとは思えないほど異質のサウンドだが、この2枚を対照しながら聴くことで、ぼくにはやちむんの本質が見えてきた。やちむんは“フォーク”に括られることが多いが、彼らの音楽はたんなるフォークではなく、ちょっとした巡り合わせでたまたま沖縄に生まれてしまった、アコースティックでポップなリズム&ブルース、言うなれば「南島リズム&フォーク」なのだ。

最近はいいニュースが少ない。哀しみが世界を覆い始めている。が、ぼくは、この2枚組のやちむんを聴くことで、正直言って救われる思いがした。やちむんとはそういうものだ。ぼくはちょっとだけ幸せな気分になった。

批評.COM  篠原章
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