ショーボート・レーベル小史

A History of SHOWBOAT Label

「ショーボート・レーベル」は、1973年に「トリオ・レコード」(現存せず)が創設した、日本のフォーク&ロック専門のレーベルです。本稿は、1998年に発売された紙ジャケ盤CD(発売:スカイステーション)『SHOWBOAT SINGLES 1』のブックレットに収録された、篠原章による解説(ライナーノーツ)です。
なお、1989年にショーボート・レーベルが徳間ジャパンから初めてCD化されたとき、篠原章はブックレットに「日本のフォーク&ロック専門レーベル」に関する概説を書いていますが、本稿は、その概説をショーボートに絞って詳しく書き直したものです。批評ドットコムのアーカイブのなかでもとくに人気のある記事ですので、皆様にあらためて告知させていただきます。
※Original Uploaded Date:April 20 1998
ショーボート・レーベル小史
A History of SHOWBOAT Label
出典:『SHOWBOAT SINGLES 1』(SWAX-13)ライナーノーツ

日本のポップ・マーケットでいわゆる「レーベル」が本格的に意識され始めたのは、1970年代に入ってからのことであった。折しもフォークやロックといった新しい音楽表現が、しだいにその潜在力をあらわにしてきた時期で、こうした胎動を受けるように新興レーベルが次々に設立された。

皮切りはインディー・レーベルの先駆けといわれるURC。アングラ・フォーク・ムーヴメントの核として多数の個性的なアーティストが輩出した。母体は大阪の高石友也事務所(社長・秦政明)。歌詞の“過激さ”ゆえにメジャーでは発売できないシンガーの作品を世に送り出すことを目的に、1969年2月、会員制組織(アングラ・レコード・クラブ=URC)としてスタート。同年8月に会社組織に衣替えして市販に踏み切った。全日本フォーク・ジャンボリーの主催、「季刊フォーク・リポート」の発行など、レコード会社の枠を越えて活動、後のフォーク/ロックのスタイルに大きな影響を残した。原盤制作会社としてもパイオニア的な役割を果たしている。岡林信康、高田渡、中川五郎、早川義夫、はっぴいえんど(細野晴臣・大滝詠一・松本隆・鈴木茂)、五つの赤い風船、六文銭、遠藤賢司、斉藤哲夫、友部正人、加川良、ザ・ディランII、三上寛、なぎらけんいちなど強力な布陣だったが、レーベルとしての個性はベルウッドの設立とともに薄れてしまった。

URCと同じ1969年に設立されたインディー・レーベルがエレック。吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸などビジネスとして成功したフォークを世に送り出した。拓郎が1972年にCBSソニーに移籍すると、伝説のロック・バンド“村八分”をリリースするなど脱フォークを目指したが、フォークのレーベルという印象は容易に拭えなかった。1975年、大滝詠一のナイアガラ・レーベルがエレック傘下で設立され、山下達郎・大貫妙子などのシュガー・ベイブがデビュー、大滝詠一本人のソロも発表されたが、エレック本体は1976年に倒産してしまう。

URCの人材を大部分継承してメジャー展開に導いたのがキングのベルウッド。後年、マーキュリー・ミュージック・エンタテインメントの会長となる三浦光紀が責任者となって72年に設立されたが、実質的なスタートは1971年。“ニュー・ミュージック”のレーベルとして知られるが、「メジャー化したURCフォーク」という色合いが濃かった。ラインナップは、CBSソニーに移籍した岡林信康・友部正人、ポリドールに移籍した遠藤賢司、ビクターに移籍した三上寛などを除いてURCとほぼ同じ。URC時代にリリースのなかったあがた森魚、西岡恭蔵、はちみつぱい(ムーンライダーズの前身)などがベルウッドからのデビュー組である。はっぴいえんどの大滝詠一、細野晴臣のソロ・デビューもベルウッドから。1975年、三浦が日本フォノグラムに移ると、再び主要アーティストが移籍、ベルウッド時代は事実上終わりを告げる。

GS期のヒット・メーカー、村井邦彦が、川添象郎やミッキー・カーチスとともに設立したマッシュルームは日本最初のロック専門レーベルとして日本コロムビア傘下で出発、71年11月に小坂忠、ガロなどを第1回新譜として発売した。このうち日本のCSN&Yと呼ばれたガロが「学生街の喫茶店」(1972年)などのナンバー1ヒットを放つドル箱スターとなった。村井はこのレーベルに先駆け、原盤制作会社・アルファを設立して東芝と契約、赤い鳥や荒井由実などの大スターを育てあげた。70年代半ば、マッシュルームは事実上アルファに吸収され、ヤナセ資本の導入でアルファ・レコードとして再出発、1978年にはYMOをデビューさせて大成功を収めた。マッシュルーム~アルファは日本のロック・レーベルの王道を歩んだといえよう。

トリオレコード傘下で73年に設立されたショーボートも他のレーベルと同じくフォークやロックの新しい胎動を受けるかたちで設立されたレーベルのひとつだったが、他のレーベルとはいくぶん異なるスタートを切った。

当初ショーボートは、よそと違って「フォーク」とか「ロック」という音の色分けにこだわった表看板を掲げなかったのである。その代わり、「ショーとしての」あるいは「エンターテインメントとしての」ポップへの志しを、意識的にレーベル名にこめて出発したのであった。

この志しは、そもそも「日本語のロック」という評価に甘んじたくない“はっぴいえんど”に端を発していた。フォークやロックを絶対視するのではなく、洋楽一般の過去と現在を柔軟に取りこみながら、「新しい日本のポップ」に形を与えていきたい。彼らのモチーフはおよそこのようなものだった。言い換えれば、フォークでもロックでもない、文字どおり“ニュー・ミュージック”を構築しようという志であった。

こうした志を実現するには、音だけでなく音づくりのシステム全体を変革する必要があった。はっぴいえんどのマネジメント・スタッフはアーティストの側に立った制作会社・音楽出版社として71年に風都市(City Music)を設立したが、これも「システムの変革」に関わるものだった。そして、その風都市がトリオと結んで生まれたレーベルこそショーボートだったのである。

ショーボートの第1回新譜は南佳孝『摩天楼のヒロイン』と吉田美奈子『扉の冬』の2タイトルとそれぞれのシングルが1枚ずつ。いずれも風都市所属の“新人”で、前者を松本隆が、後者をキャラメル・ママ(ティン・パン・アレー)がサウンド・プロデュース。しかもその発売日は、風都市主催のはっぴいえんどの解散記念イベント“CITY-Last Time Around”(文京公会堂)に合わせて73年9月21日。南、吉田にとってこの日はデビュー・ステージともなった。「ニュー・ミュージック時代」が始まった歴史的な瞬間である。

が、志はあくまで志だった。1974年には風都市が事実上消滅し、はっぴいえんど系人脈も業界内に広く拡散してしまう。ショーボートも他のレーベルと同じく個性の喪失を心配されたが、幸いにもこのレーベルには、ルート・ミュージックを早くから指向していた久保田麻琴&夕焼け楽団、唯一無二の日本版グラム・ロック・バンドである外道、大阪ネイティブのブルース集団である憂歌団、といったように相当“脂っこい”連中が所属していたので、“ニュー・ミュージック”というより“ロック”のレーベルとしてその後も命脈を保ちつづけることができた。1976年にはマッシュルームから小坂忠が移籍し、レーベルとしての個性に花を添えた。後期には、憂歌団がショーボートの“顔”となったが、憂歌団人脈に連なる誰がカバやねんロックンロールショーや花伸などもショーボートのアーティストとして活躍した。

ショーボートは、1981年の秋に店じまいしてしまうが、ニュー・ミュージック時代の幕開けを演出し、多様化したJ‐ROCKのなかでもいちばん個性的な部分を育てあげてきたという意味で、J‐POP史、J‐ROCK史に長く名をとどめることは間違いない。

なお、今回のシングル集の編集にあたっては、ザリバ、かまやつひろしなどショーボートの親レーベル“トリオ”のアーティストの作品も一部含めたことを断っておきたい。

解説 篠原章
 

ショーボート・レーベル小史
SHOW BOAT SINGLES 1  1973-1975
1998年4月20日発売 SWAX-13 定価2,800円(税抜)
EAN: 4948722003144
・デジタル・リマスタリング
・全作品オリジナル・ジャケットを完全復刻した23Pブックレット付
・解説:篠原章
収録曲

01. ねこ/吉田美奈子
02. おいらぎゃんぐだぞ/南佳孝
03. 26号線/ダッチャ
04. にっぽん讃歌/外道
05. ひとりぼっちの音楽会/かんせつかず
06. 或る日/ザリバ
07. 時の流れの中で/阿心院
08. ビュンビュン/外道
09. バイ・バイ・ベイビー/久保田麻琴
10. 扉の冬/吉田美奈子
11. 眠れぬ夜の小夜曲/南佳孝
12. 君の空の下/ダッチャ
13. 桜花/外道
14. 遠くへ/かんせつかず
15. こわれた時計のように/ザリバ
16. フレディーペイルのギャンブラー
17. 逃げるな/外道
18. 初夏の香り/久保田麻琴

http://www.ymns.com/showboat/disco/swax013.html


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