我喜屋良光『恋のどぅるるんぱ』を初めて聴いた
元りんけんバンドの我喜屋良光(よし坊)が亡くなったのは2006年5月17日のことだが、この年の2月、ミニ・アルバム『恋のどぅるるんぱ』が発売されている。これがよし坊にとって最初で最後のソロ作品となったが、アルバムが発売されたことはうっすら知りつつ、入手しないまま13年もの歳月が流れてしまった。
よし坊が亡くなったとき、ぼくは追悼の一文を書き、当サイトの前身である「立ち食い魯山人備忘録」(大東文化大学サーバー内)にアップしたが(「我喜屋良光のこと」2006年5月23日)、これを当サイトに再掲するにあたり、沖縄に詳しいアシスタントがAmazonにある『恋のどぅるるんぱ』のリンクを張ってくれたことにも気づいていなかった。
昨日、荒木町(四谷三丁目)のしゃぶしゃぶ屋で小さな忘年会があり、『沖縄の不都合な真実』の共著者である日本経済新聞の大久保潤さんとりんけんバンドのマネジメントに関わっていたソニー・ミュージックの元プロデューサー・中西義明さんと痛飲したが、その席で中西さんから「よし坊のアルバム」の話が出て、深夜になってからメールでリンクが送られてきた。『恋のどぅるるんぱ』はなんとApple Musicで配信されていたのである。
Apple Musicとは月極契約しているので、早速『恋のどぅるるんぱ』をダウンロードして聴いてみた。ネットで調べてみたら、金城安紀さんというミュージシャンのブログにこの作品のデータが掲載されていた(金城安紀のブログ)。それによれば、このアルバムは2006年2月6日に備瀬善勝(ビセカツ)さんの主宰するキャンパス・レコード(沖縄市)からの発売で、プロデューサーはKenji Ohki (Kaasa Records) となっていた。Kenji Ohki とは大木謙次さんのことらしい。大木さんは、内地(本土)から沖縄に移住したフリーのプロデューサー、ディレクター、ミュージシャンで、ラジオ沖縄(ROK)では藤木勇人の番組のディレクターも務めていたとのこと。今は沖縄市与儀の米軍住宅でウクレレ教室を開いているようだ(大木さんのホームページより)。
『恋のどぅるるんぱ』の収録曲は以下の通り。
1. Yuntiti のテーマ(作曲:Kenny Kamara)
2.恋のどうるるんぱ(東京ドドンパ娘)(作詞:宮川哲夫 作曲:鈴木庸一 沖縄口:我喜屋良光)
3. 琉球男児の唄(作詞:Zenny.B 作曲:Kenny Kamara)
4. 油断(Kenny Kamara)
5. KOZA(作詞:ビセカツ 作曲:Kenny Kamara)
6. Yuntiti のテーマ—インスト(作曲:Kenny Kamara)
Kenny Kamaraとは大木謙次さんのペンネームとのこと。「琉球男児の唄」の作詞が「Zenny.B」が誰かは不明、全篇話芸となっている「油断」と同じくよし坊自身の作詞だろう。歌詞の大半がウチナーグチだから、CDには歌詞カード(訳詞)も添付されていたらしいが、いずれ内容を確認したいと思う。
全体的になんとなく元気なく聞こえるのは気のせいか? マンボ風のトロピカルなインストに載せて即興的な話芸が展開される「Yuntiti のテーマ」はどこか消化不良を起こしそうな出来具合だが、タイトルのYuntiti が「閏月」だとすればちょっと意味深。この年は3年に1回ほど訪れる旧暦の閏月が7月(閏7月)に設定されていた。亡くなった5月17日は旧暦では4月20日、アルバム発売日の2月6日は旧正月7日。特別な意味はなさそうに見えるが、よし坊には「Yuntiti =閏月」に拘る意味がどこかにあったのかもしれない。ドドンパ・ブームの皮切りとなった「東京ドドンパ娘」(渡辺マリ/1961年)のウチナーグチ・カヴァー「恋のどうるるんぱ」には、独自の語りまで入ってよし坊らしい世界が垣間見られる。「琉球男児の唄」の場合、メロディの「琉球風」が少々あざといのが玉に瑕だが、つづく「油断」はよし坊のウチナーグチが炸裂する独演作で、よし坊の心の深淵を覗いてしまったかのような気分になる。ビセカツ作詞の「KOZA」がこのアルバムのなかではいちばんまとまったポップスで、「琉球男児の唄」と対をなすようなコザ・イキガ(コザ野郎)の捻れた心情が「ちょっといい感じ」である。が、先にも書いたように、トータルではパワーに欠ける。アルバムとしてはちょっと中途半端だったかもしれない。「もっとできたはず」と考えるのはぼくだけだろうか。
だとしても、よし坊の肉声を聞ける機会はこのアルバムぐらいしかない。聴くほどに切ない気分にはなるが、「そこによし坊がいる」という安心感もある。あり余る才能を持て余してダメンチュ化していったよし坊の残念な部分も、ぼくにとってはまた愛おしい。