「オスプレイ危険論」は反知性主義的

オスプレイの事故に関する書き込みがメディアやSNSを賑わせています。流布されている情報は呆れるものばかりですが、「こいつはふざけてる」と憤った点を二つだけ挙げておきます。

(1)ニコルソン発言「県民は感謝すべき」
ネット上でとくに炎上していたのは、安慶田副知事と会見したときのニコルソン中将の「発言」でした。「沖縄県民は感謝すべき」なのか「神に感謝すべき」なのかは知らないけれど、ニコルソン発言とされる「英文」まで飛び出して、単語「should」の解釈論争まで行われていました。 でも、ネット上を血眼になってさがしても、安慶田=ニコルソン会見の発言記録は出てきません。動画もありません。公開されているのは、ニコルソン司令官による公式会見の発言と公式文書のみです。

「沖縄県民は感謝すべき」発言の「証拠」は、「ニコルソンはこんな酷いこといったんだぜ」というニュアンスで語る安慶田副知事の言葉だけなのです。 つまり、「安慶田発言=ニコルソン発言」なのです。ニコルソン司令官自身から発言の確認をとった記者もいません。今のところ、ニコルソン発言自体を検証する術はないわけです。安慶田副知事(サイド)がどれほど英語に堪能なのか知りませんし、安慶田訳が正しいのかどうかもわかりません。安慶田副知事の一方的な発言が一人歩きしていることになります。

ニコルソン司令官に確認もせず、全国紙まで「安慶田副知事によるニコルソン発言」を記事にするのは「異常事態」です。事件・事故が起こるたびに「警察発表」を事実のごとく報道するメディアばかりですから、こんなことをいくらいっても無駄かもしれませんが、「公人の公人としての発言」である以上、報道には慎重であるべきです。どうかしていると思います。

(2)オスプレイの「危険性」と配備中止要求
航空機が事故を起こせば誰でも不安になります。不安を減らすためには、原因を突き止め、情報を公開し、再発防止の安全対策を講ずるほかありません。これはこれで徹底してやるべきでしょう。運用の方法に問題があれば、改善すべきでしょう。日米地位協定に不備があるなら、改定も視野に入れる必要があるでしょう。しかしながら、「オスプレイ欠陥機説」だけを真実のように語り、「即刻配備中止」を訴える態度はあまりにも中立性を欠いていますし、科学的態度でもありません。

米国の国防情報サイト Breaking Defenceによれば、オスプレイの危険性を訴える有力な論者はわずか一人です。ほぼすべてのオスプレイ反対論はこの人物の「受け売り」です。アーサー・リボロ氏(Arthur “Rex” Rivolo)がその人です。彼自身も米空軍F-4ファントムのパイロットでしたが、引退後、1990年代のオスプレイ開発計画にモニターとして関わっていたという経歴を有しています。沖縄タイムスと琉球新報はこのリボロ氏が大のお気に入りで、米国の国防分析研究所Institute for Defense Analyses(IDA)という民間非営利研究機関の元「主任分析官」として紹介し、オスプレイの危険性を訴えています。「主任分析官」という肩書きが正しいのかどうか確認できませんでしたが、オスプレイ開発の初期段階に関わっていたことは事実のようです。

今回の事故でも、両紙はリボロ氏のコメントを紹介しており、ニコルソン中将に対する批判まで口にさせています。琉球新報などはとても悪質で、『「制御できず墜落」 オスプレイ主任分析官、給油時に問題』という見出しを掲げ、今もリボロ氏が主任分析官であるかのような錯覚を与えようとしています(12月16日付)。リボロ氏は90年代まで、あるいは2000年代初めまでの開発計画に関わっていたにすぎず、試作機の事故を受けて設計を大幅に変更した段階ではすでに現場を離れています。つまり、彼が指摘する「危険性」は、現在のオスプレイとは別の機種ともいえる試作段階のオスプレイに向けられたものと考えてよく、「Breaking Defence」もそのことを指摘しています。

Breaking Defenceは、ビル・レナード(Bill Leonard)、トム・マクドナルド(Tom Macdonald)、ジャスティン・マキニー(Justin “Moon” McKinney)、ジム・シェイファー(Jim “Trigger” Schafer)などといったオスプレイ操縦経験の豊かなテスト・パイロットや元海兵隊パイロットの発言を引用しながら、「ベテランパイロットの証言:空飛ぶオスプレイは危なくない、ちょっと変わってるだけ」(Flying The Osprey Is Not Dangerous, Just Different: Veteran Pilots)という特集を組みましたが(2012年)、オスプレイに対する前向きな評価は他にいくらでもあります。興味深いのは「危険だ」と指摘する人には、オスプレイ操縦経験者ではなく未経験者が多いところ、逆に経験者が「危険だ」といわないところです。

沖縄タイムスや琉球新報が、ジャーナリズムとしてオスプレイの安全性に警鐘を鳴らす姿勢にケチをつける気は毛頭ありません。だからといって「オスプレイは危険である」という情報だけを発信していればいいことにはなりません。米国にはオスプレイに対する好意的な評価が多いことにも目配りすべきです。科学技術的知見もなく、オスプレイはおろかヘリや飛行機も操縦したことのない、それどころかオスプレイやヘリの搭乗経験もない記者が、「オスプレイは危険」と断定して、「配備反対」を掲げる異常さになぜ気づかないのか不思議でなりません。「オスプレイは誰しも認める未亡人製造機」といった報道が、どんなに世論を歪めてきたかを考えると、大きな憤りさえ感じます。

最後にもう一つ決定的なことを付け加えましょう。

オスプレイが代替する予定のヘリコプターCH46は、これまで沖縄県内または近海で9機が墜落しています。同じくCH53は4機が墜落しています(いずれも復帰以降のデータ)。これらのヘリについては、なぜ皆「配備反対」を叫ばないのでしょうか? CH46やCH53はオスプレイより安全だと断言できるのでしょうか? また、事故が発生しているにもかかわらず、復帰以来、沖縄県民に一人も犠牲者が出ていないのは、たんなる僥倖や偶然なせる技なのでしょうか? パイロットが県民に被害を与えないよう回避行動を取ってきたことをなぜ認めたがらないのでしょうか?

こうなると「オスプレイ危険論は反知性主義的だ」というほかありません。ニコルソン司令官が「事故を政治利用してほしくない」と発言した気持ちが実によくわかります。

何度でも言いますが、沖縄の「基地問題」は、人命の問題でも平和や安全保障の問題でもありません。政治的・経済的思惑が絡みあった「業」の塊にすぎないのです。

批評.COM  篠原章
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